[008]医療従事者の労働事情-日本と海外-

最近東大の薬学部主催の医療経済学のセミナーがあり参加してきました。昨年から半年に渡って開催されているセミナーなのですが、今回のトピックは医療従事者。医療従事者といっても今回は栄養士、看護師、救急救命士等の立場からそれぞれの状況について現状を報告するという形式のもので、医師はなぜか含まれていませんでした。個人的にはあまり新しい知見なく、最後の討論がいま一つ突っ込んだ議論にならなかったのが残念でした。

医療従事者は昔から残業はあっても残業手当などは付かず、しかも急患などがあれば全く勤務時間などあってない様な病院も多く、女性は看護師だけでなく医師も家庭との両立が難しいと、どんどん辞めてしまうとのこと。私の友人の看護師も、子供の小さいうちは夜勤もできなければ急患にも対応できず、同僚に迷惑をかけると辞めてしまいました。また別の友人の医師は、臨床医では子供がいては無理と、定時で帰宅できる病理部門に就職しました。結局、いくら看護師や医師を養成しても、特に女性の場合は家庭と仕事を両立できるような労働条件を職場が提供できない限り、彼女たちが労働力となることはできないのです。そして医療現場は益々人手が足りなくなり、1人当たりの労働時間と負担が益々増え、耐え切れなくなった人たちが職場を離れるという負のスパイラルに陥っているわけです。これは日本の医療現場に限ったことではなく、日本の労働市場全般に言えることなのかもしれません。

セミナーではまた、海外に比べて医療従事者の絶対数が足りず、もっと増やさなければいけないという意見と、増やしても効率を上げないと結局問題は解決しないという意見がありました。海外の医療従事者数に関しては、確かに日本より圧倒的に多いのは事実です。しかし例えば米国などは日本よりはるかに手のかかる患者を相手にしていますし、米国の医療従事者が日本より楽をしているかというと、個人的にはそうでもない気がします。

例えば私はカナダに2年程住んでいたのですが、その当時カルガリー大学の医学部にある研究室で働いていました。私のカナダ滞在中、確かバンクーバーの医療従事者が6ヶ月近くストライキをしたのをよく覚えています。日本では医療従事者のストライキなんて考えられませんが、カナダでは公務員でもストライキが認められています。ちなみにその年、カルガリー市営交通も半年近いストライキを行ったため、冬はマイナス30度にもなるカルガリーで、真冬に毎日往復2時間も歩いて大学に通う羽目になりました。

日本人から見るとカナダ人は忍耐力がなく、何でもかんでもストライキをすると思っているかもしれませんが、医療従事者のような命を預かる立場の人がストライキをするのはよほどのことです。それはカナダでも同じです。特にカナダの看護師は慢性的な人手不足(国土が広いために医療従事者がどうしても分散する)、基本的に医療従事者は公務員なのに他の事務系の公務員と比べて実質的な残業が多いのに手当てがないと言った問題を抱えています。ですが一番大きいのは給与が低いという問題です。と、言うのもカナダはすぐ隣が米国で、米国の給与水準があまりにもカナダと違うことが、いろいろと問題を引き起こします。またカナダの宗主国である英国も、為替の影響で長らくカナダから見れば破格の給与水準でしたので、英国への医療従事者の流出もとまりませんでした。

と、言われても日本人にはピンとこないかもしれません。カナダも米国も英国も英語圏ですし、医師や看護師の養成課程はほほ同一。カナダの医師免許、あるいは看護師免許で、米国で働くことも自由貿易協定の一環として自由にできるようになっています。英国は英国連邦ですので言うまでもありません。つまりカナダは自国で養成した優秀な医師や看護師をどんどん米国や英国に吸い取られるという悲しい運命を背負っています。カナダ人にとって米国で働くことは、北海道出身者が東京で働くのとなんら変わりはありません。幸いなことに、日本人医療従事者は技術力では欧米に認められていても、語学が苦手な人が多いのと、日本でもそれなりの給与を手にすることができるため、一部の超優秀な医療従事者を除き、医療従事者の流失は起こってはいないのです。

米国では、医療費も破格なら、医師や看護師になるための大学の授業料も破格です。しかしカナダでは養成課程がほぼすべて国立大学で(当然税金がたくさん投入されている)、私がいた当時は大学院でも授業料が年間40万円くらいでした。(ちなみに米国では桁一つ違います) 散々税金を投入して養成した医師や看護師を米国や英国に持っていかれてはたまらんというカナダの立場もよくわかります。ちなみにカナダでGPと呼ばれる、いわゆるかかりつけ医師は、白人の多い地区でさえかなりの割合でアジア系の移民(多くは中国系、インド系)です。結局米国に比べて給与水準の低いカナダでは、医療従事者となるのはカナダ人ではなく、移民でなんとか補っているのが現状なのです。

しかもカナダの医療制度はお隣の米国とは全く対照的な、社会主義的で徹底的に予算を絞った制度になっており、ストライキをしたところでそんなに給与があがるはずもありません。

ちなみに私がカルガリー大学の医学部にいた頃、研究室から図書館に異動するのにICUの裏手にある通路をよく通っていました。バンクーバーで医療従事者のストライキ起こってしばらくした頃、通路に器械につながれた意識のない患者が放置されている光景をよく目にするようになりました。その通路は一般人にはあまり知られていない通路でしたが、特にスタッフだけが入れる場所にあるわけではなく、大学の医学部の図書館とは言え、カナダでは一般の人も自由に出入りします。(当時は失業者がインターネットで仕事検索のため、パソコン端末の充実している大学図書館によく来ていた)しかもたくさんのコードにつながれた患者のストレッチャーだけがポツンと放置されており、スタッフがそばについているわけではありません。患者の方は意識がないとはいえ、通路に放置して誰か通行人がコードに躓いて何かあったりしたらどうするのだろうと気が気ではありませんでした。

最初1人であった患者が次第に多くなり、長く放置されるのを目の当たりにして、カナダで重症患者になりたくないとよく思ったものです。ストライキをやっているバンクーバーから急患がたくさん搬送されて来たのかもしれません。もちろん、当時ICUにいる医療従事者たちが患者を放置してお茶を飲んでいたとはとても思えません。カナダも医療従事者も決して楽をしていたわけではないでしょうし、現在も解決されているわけではないでしょう。

ちなみにカナダでは効率を極限までに重視した分業体制と、順番待ちの長さから、「重症患者は治療の順番を待っている間に死ぬ」と揶揄されていて、金銭的にゆとりのあるものは迷わずカナダの無償医療サービスではなく、米国での自費診療を選びます。

マイケルムーア監督は前述の「シッコ」の中で、英国やカナダの医療制度をあるべき姿としていました。ですが、カナダの制度にも優れた点はあるものの、全く問題がないわけではありません。

バンクーバーはオリンピックで盛り上がっていましたが、バンクーバーというとなぜかストレッチャーのまま放置されていた患者のことを思い出し、背筋が寒くなります。

城戸 佳織

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