[19]職業訓練校

| 関連記事(0)

 2年半のデイケア生活に終止符をし、職業訓練校に半年通いました。精神障害のクラスは、半年で卒業です。最初3ヶ月は、集中力をつけるための作業、(リングはめ、スナップ台紙付け製図、布たたみ、など)と、パソコンでした。残り3ヶ月は簿記もしました。

 朝早く家を出て、夕方6時に家に着くかなりハードでした。そこで、パソコン検定の受検などもありました。

 身体障害者、知的障害者とのコミュニケーションもありました。健常の友達が「普通(リスカ等)しないよね」って言われたとき、傷つきました。それを学校で友人に話すと(その人は身体障害者です)「普通って言い方はなんなん?」といってました。

 同感です。だれも障害なんて持ちたくありません。私も中途障害者なので、嫌すぎる出来事に遭わなければ障害を持つことなんてなかったのですから。

 障害者と健常者なんて、紙一重だと思ってます。もう、健常の友達とは縁を切りました。

 でも、先生方は健常ですが、障害者のことを知ろうとしてくださってます。精神のクラスの先生も、ネットとかで障害のことを勉強してくださってます。

 卒業してから、今の会社の実習に行くことになりました。2週間です。(勿論この期間は給与は発生しません)


トランペッターさっちん

[18]闘病生活(5)デイケアの仲間

| 関連記事(0)

 デイケアに行って、同じ病気で苦しむ同年代の仲間と友達になりました。デイケアの無い日は水、土日です。ご飯を食べに行ったりしていました。

 職業セミナーというプログラムで、「事務職に就きたい」と思っていたことをスタッフに打ち明けました。

 それから、パソコンの講座を受けました。デイケアを終えてからなので、きつかったです。

 それから、デイケア内で、ポスティングという、新聞配りのバイトをしたり、軽作業のバイトをしてみました。デイケア内なので、特に注意されることとかなかったです。

 作業所、授産施設で実習もいきました。勿論、そこは訓練なので、給料が発生するわけではありません。結構きつかったけど、やり遂げました。

 2年経って、作業療法室で手芸に没頭していました。そこで女子だけの会話も楽しかったです。

 それから、障害者の訓練校に行きました。そこで、本格的にパソコンを習い、資格もとりました。通学が1時間半かかる所で、半年間行きました。

 就職活動をして、面接に落ちてばかりの日々が続きました。それで、今の会社の実習の話が舞い込んできました。

トランペッターさっちん

[17]闘病生活(4)回復期

| 関連記事(0)

 症状が落ち着いてきたので、退院しました。家に帰って、毎日暇で、買い物など、家事手伝いをしていました。あとはずっと寝てたような気がします。けれども、母親は決して小言を言ったりしなくなりましたが、父親には色々言われました。

 相手にしてくれたのは、入院していた友達でした。彼女らといるのが唯一の楽しい時間でした。

 劇太りしました。おかしをいっぱい食べて、20キロも太りました。食っちゃねばかりしていました。家でゴロゴロしていました。たまに退院した人と遊びにいきました。

 まだ働けませんでした。デイケアに通い始めました。料理、スポーツ、手芸等、楽しいプログラムがいっぱいでした。たばこも増えました。同じ病気の仲間と共に暮らすのが楽しかったです。

 「なんで働けないの」とばかりカウンセラーに言いました。睡眠障害もでてきました。

 いつも寝ても真夜中に目が覚めてしまいます。リスミーとベンザリンを処方してもらいました。リストカットもしていました。デイケアは楽しく、しんどいときもありました。3年で退所することになってます。

 「働くのはもう少し待って」と言われていました。そこが歯痒い思いでした。そのカウンセラーとは今でもやり取りをやってます

トランペッターさっちん

[16]闘病生活(3)急性期入院

| 関連記事(0)

 入院して、退屈な毎日を送っていました。最初の私の部屋は、療養病室。そこで、(多分)リウマチの人と一緒になりました。糖尿の人もいました。可哀想なくらい、ひどい人と一緒になりました。

 そこで強迫神経症が悪化していきました。トイレにいったら何回も手を洗いました。

 夢がありました。音楽教師の夢。でも、主治医から諦めてくれと言われ、仕方無かったのです。

 その主治医は、当時精神科の部長でした。その先生の回診でそう言われました。

 途中、私がリウマチの人の世話をしていると看護師が気付き、部屋を変えてくれました。

 入院中は、若い主治医にお世話になりました。何も問題なければ診察はすぐ終わる先生ですが、こっちから話せば聞いてくれるやさしい先生でした。

 病院内だけ外出はできましたが、剃刀を買ってきてリストカットをしてしまい、院内も外出禁止になりました。

 しばらくして、土日だけ外泊許可がでました。平日は病院内で、退屈でした。土日が速く来ないか思っていました。でも、同じ病気と戦っている友達ができました。

 その人らとしゃべったり遊んだりしているときが、唯一楽しかったのです。

 リストカットを繰り返し、退院が遅くなりました。3ヶ月くらい入院して、症状が穏やかになり、退院しました。

 その時、友達が見送ってくれてうれしかったです。退院前に、後で聞いたのですが、母は、私とどう接したらよいか、精神科の本を読みあさっていたそうです。

 通院はまた、前の部長先生に戻りました。

トランペッターさっちん

[15]闘病生活(2)発覚-2-

| 関連記事(0)

 大阪でのクリニックの先生は、私の力では治せないとのことでした。その先生に依存していました。先生の言うことを聞けず、また私の話を聞いてもらえませんでした。診察の時間は5分弱で終わり。(かなり適当)

 とうとう先生と喧嘩になりました。その日の夜、あてもなく彷徨いながら、コンビニの中で倒れてしまいました。

 店員さんが救急車を呼んでくれました。精神病棟に運ばれました。その日寝ていなかったので、ペゲタミンを処方され、2日間寝ていました。ふと起きて、事実が繋がるまで時間がかかりました。

 「あ、えらいことした」と思い、親に電話をかけました。そこの病院には5日間緊急入院でした。勿論治せない先生のもとにその話はいき、お詫び状が届いたけど、父親がグチャグチャにして捨てていました。

 そこで、府立病院に転院し、今の主治医に出会うのです。初診で「私が治します」と言ってくれました。病名は「非定型精神病」うつと統合失調症の混合型だそうです。

 家にいるのが辛くて、入院したいと希望しました。3ヶ月入院しました。「今は神経がかなりやられている」と説明をうけました。リストカットもやってしまいました。

 入院したものの、退屈で陰気くさくて逆に家に帰りたかったです。楽しみは食べること。ぶくぶく太ってきました。


トランペッターさっちん

[14]闘病生活(1)発覚-1-

| 関連記事(0)

 さっちんです。私の病気は、非定型精神病。発覚は、24歳、かれこれこの病気と闘って8年になります。定型が統合失調症、躁うつ病などありますが、私のは色々混ざった状態だそうです。

 岡山でいじめ、失恋、解雇とストレスが溜まる生活でした。そこが原因だったのかな。いじめは、同僚から。飲み会があると、恋愛のことでからかわれ、お絞りを投げつけられたり飲まされたり、いじめは馬鹿がやることです。

 決定的なのは、大阪に帰ってまもなく「岡山にこい。飲んでるから」と呼ばれました呆れるでしょ。私はそんなんに負けてません。もちろん行かなかったですよ(笑)

 失恋は、相手は「そんな女嫌いだ」「そのヘアスタイルなに?」「幼稚くさい」と言われ(これは私のとった行動も原因はあります)

 楽団は経営難に陥り、全員解雇。このストレスから病気になりました。

 岡山での初診になりますが、そこではまだ「神経症」でした。

 福祉用語辞典を見ますと「神経症」はノイローゼとなっています。

 大阪に帰り、近所のクリニックでは、「うつ状態」でした。でも、これは私のなかで氷山の一角で、とんでもないことになるのです。


トランペッターさっちん

【関連記事】
[05]岡山の楽団に入団

[13]職業訓練(2)

| 関連記事(0)

 その年の4月1日から、2週間実習にいきました。作業は宛名書きから始まった事務仕事でした。途中休憩45分で、たばこ休憩もありました。

 とある法人の事務局で働くことになりますが、周りの職員の人も優しく、やりやすかったです。それが今の仕事に繋がるのですが、私はまた断られると思っていました。

 職員名簿の作成、ファイリング、はんこ押し、運営している施設別の書類分けいろいろありました。

 2週間経って、幸運にも、「1日4時間働いてくれ」と人事の人から
言ってもらえました。職業訓練校の先生が、月1で訪れてくれる方針でした。

 私が仕事頑張っている。と褒めてくださってると知りました。(仕事で褒められる会社は私初めてです)月1で医者にかかっている旨を伝えていました。とてもやりがいがあります。

 私をわかりやすく優しく教えてくれる同僚もいました。おかげでどんどん仕事を覚えることが出来ました。皆の理解があり、今こうして働けてます。


トランペッターさっちん

[12]職業訓練

| 関連記事(0)

 こんにちは。職業訓練の話をします。某職業訓練校でパソコンを習ってました。デイケア終了半年前、新たな某職業訓練校に行くことになりました。

 精神障害者のクラスで、いろんな訓練がありました布をたたむ、スナップボタンをつける、リングに部品をとおす、きれいにはさみで紙を切る、製図、パソコン簿記、など。

 精神障害は、薬の副作用などで、作業に障害が残りやすいのです。それを軽減するのも訓練です。

 正直きつかったです。毎日帰るのも遅かったけど、充実していました。6か月の訓練ですが、最初の3ヶ月は訓練と慣れること残りの3ヶ月は就職活動も入りました。

 まだまだ精神障害者を受け入れてくれる会社がそんなにないということを目の当たりにしました。

 障害者を雇う企業の説明会に行っても、医療用語のかんかいがわかっていないようだったり、職安にもいきましたが、かなり狭き門でした。

 受けては落ちてばっかりでした。そんな中事務仕事の実習の話が舞い込んできました。


トランペッターさっちん

[11]デイケア

| 関連記事(0)

デイケアに行くことによって、同じ病気に悩む同世代の友人ができました。月・火・木・金とデイケアは開催されるのですが、休みの日は寝てばかりいました。たまにカラオケにいったりしていました。

仲間がバイトに行きだしたりすると、焦りました。心理士さんに、「何で私は働けないの?」としょちゅう言ってたような気がします。でも、デイケアは守られていて、不快なことは、スタッフの人に助けてもらいました。

デイケア通いだして、大分経ったときに、プログラムの無い時間、デイケア仲間と新聞配達をやっていました。それで少々のお金をもらいました。それだけでいっぱいいっぱいでした。

4時に終わるんですが、それまで手芸にはまってました。手芸は、集中力をつけるために、作業療法士さんが色々キットとか買ってくれました。

デイケアは3年で卒業しなければなりません。そこで、作業所や授産施設の実習もいきました。実習ではやり遂げたことに自信ができました。

病状が安定してきて、次の段階に進むときが私にもやってきました。実際2年半デイケアに行き、障害者職業能力開発校に通うことができました。

朝は体調、服薬の状態を先生(医者ではない)に報告し、職業訓練と、パソコンなどの技術を高めました。

トランペッターさっちん

[10]ゆったり過ごす

| 関連記事(0)

退院してから、しばらくは家で療養していました。後に精神科デイケアにかようことになるのですが、家事を手伝いながらです。その時期を経て、デイケアに通うことになりました。

デイケアでは、精神科医、臨床心理士、精神保健福祉士、看護師の方がバックアップしてくれています。2年半通ったのですが、通い始めはまだ病気のほうがひどかったかな。

プログラムは料理、スポーツ、陶芸など幅広くありました。そこで一緒の病気の友達がたくさん出来ました。何もかも守られている感じでした。必要に応じて、面談などをしてもらいました。病状の良い人は、就労に向けて進んでいました。

何で私はまだ働けないの?と思っていました。結果、病気を理解していない。しんどいときにしんどいと言えなかったから就労は出来なかったのです。冷静に、調子の悪いときは薬を飲む。しんどかったら休む。これこそが病気の理解かな。

私は頑張りやで、最初はあまり心理士さんと話が出来ませんでした。後々この心理士さんが、私を支えてくれる人になるのですが、甘えてはいけないと思っていました。

症状が軽くなった人で、甘えが出る人は、お尻をたたいて、ひどいのに行こうとする人は、ストップをかけてくれる、いい心理士さんです。

トランペッターさっちん

このサイトを購読する

ご訪問感謝!

創刊:2009.07.01


フィードメーター - さっちんの精神科闘病記 さっちんの精神科闘病記

著者プロフィール