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[37]シーソーの戯れ

男女――あなたはその片割れだ。
世界はシーソーによってできており、あなたはシーソーにふかく根づいている。
実際、あなたはシーソーそのものなのだ。

右が生まれたときより、自然に左が発生した。
右が重くなれば左が軽くならなければならず、左が重くなれば右が軽くなる。
あなたが男だというなら、女がいるだろう。その逆もまた然りだ。

すべてのものには栄養の元になるものがあるが、シーソーに関しては実に欲求とコンプレックスがそれに当たっている。
どんなに美しいものでも、いや、美しいからこそ醜さとコンプレックスが必要になってくるようにね。

例えばだよ、大金を欲するチャレンジャーをみたまえ。青年実業家や投資家をね。
金を崇拝する者にかぎって、金にたいするコンプレックスがつよいよ。貧しければ貧しいほど、金にたいするコンプレックスがうまれ、貪欲になることはよくある話だ。


シーソーというものは、一方の極にあればあるほど、もう一方の極にうつりたがる。
一方の極というのは実に苦しいポジションだからね。バランスから遠のき、極に移れば移るほど破壊のちからが増していく。

これはなんということだろうね。
醜い者は、醜いがゆえに美しさに人一倍あこがれる。
醜さを憎むようになる。

男女だっておなじこと。
あなたが男らしくあろうとすればするほど、コンプレックスがうまれてくる。
女に憧れるようになる。
これは、どうしようもないシーソーの物理的な作用だよ。
極によればよるほど苦しくなるからね。

政治家はたいそれたことを言うが、その背後には何がある?
彼らの仕事は、大衆や国を動かすものだ。権力のちからを得たものだ。
政治家を目指すものほど、他者にたいしてコンプレックスを抱いているのは容易に想像できるよ。
彼らは力を、他者にたいする力を欲している。逆にいえば、他者にたいして、なんと自分が無力とおもってきたことか。
他人にたいしての無力感が、力の無さが、政治家という化け物を目指す動機になることは少なくないよ。
虚栄心がなくなれば、社会的な影響への動機もうせるだろう。

これは、慈善事業家すら例外でない。
彼らは他人のために、人助けのために、自分を犠牲にして働こうとする。
なぜかね?
彼らは、他人にたいして何らかの贖罪の意識、罪の意識があるのではないかね。実際は自分にたいしてだがね。
そもそも、どうしてそこまで人を助ける必要がある。
どうして強引にしなければならない。
どうあっても人助けをしなければならない、と決めつけることはまったくないだろうに。
助けたいとおもったときに助ければ、ありがままの姿であればそれで済むことでないかね。
なにも、決めつけることはないよ。

欲求とコンプレックスなしに、シーソーはありえないよ。
いや、この世界の美しいものはすべて、醜いものやコンプレックスを栄養源として誕生している。
シーソーとともに生きる我々は、そのことをしっかりと覚えておくべきだよ。

椎名蘭太郎


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