2007年12月アーカイブ

[17]差別する障害者

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第14号「差別する介護職」を覚えているだろうか?俺はそのテーマで介護職は本来はあってはならない利用者への差別感情を持っていると訴えた。しかも、多くの介護職はその自らの差別感情をなかなか認めようとはしないことも述べた。

しかし、今回また理想主義に溢れる介護者や障害者両方を敵にまわす議論をしたい。障害者を差別するのは何も介護者や一般の健常者だけではない。障害者の中でもお互い差別しあっている現実があるのだ。信じられないかもしれないが、障害者を差別する障害者はどこにでもいる。

俺がかつて勤めていた老人施設でこんなことがあった。まだ介護認定がない頃で比較的高いADL(日常生活動作)でも入所することができた時の話だ。そこに尾形という80歳の女性がいた。尾形は認知症もなく、ADLも洗濯が自分でできるぐらい自立していた。尾形は仲がいい入居者仲間がいた。同じような能力の持ち主でADLも高く認知症もない3人の老女たちは尾形を中心にいつも食堂で同じテーブルを囲み、仲良く談笑しながら食事をしていた。

ある日この3人の友情がいきなり崩壊することになる。仲良し3人組の一人、西岡が突然入院してしまったのだ。最初尾形は西岡が入院したことにショックを受け、「どうしているのかしら?」と心配していた。1ヵ月後、西岡は何とか退院してきた。

しかし、尾形の前に再び姿を現した西岡はまるで別人だった。歩行はできなくなり、車椅子に乗っていたのだ。あと激しい闘病のため活気もなく、髪もボサボサ、化粧もしていない。入院していてADLが下がってしまったのだ。それでも最初尾形は退院してきた西岡を優しく歓迎した。「いったいどうしていたの?大丈夫?」としきりに声をかけた。

しかし西岡が復帰してから1週間後、尾形は突然食堂に来なくなった。介護職に食事を部屋にまで運ばせるようになったのだ。相談員が不審に思い、尾形になぜ食堂に来ないのか尋ねてみた。すると、尾形は思いの丈をぶちまけるように訴えた。

「西岡さんと一緒に食事をしたくない。あの人と一緒だと食欲が湧かない」相談員は思いもよらない答えに驚きながらもなぜ西岡と一緒に食事をしたくないのか問い質した。尾形はしばらくはぐらかしていたが、観念したように話した。

「西岡さんの食べる姿は気持ち悪い。食欲がなくなる」尾形は西岡のミキサー食にかなり不快感を感じていた。西岡は以前は普通の食事だったが、入院中に食事の嚥下(飲み込みのこと)がうまくできなくなった。そこで食事をミキサーにかけペースト状にしていたのだ。ペースト状にすると外見が悪くなる。それを尾形は「気持ち悪い」と主張した。

相談員は事実を説明した。西岡さんはどうしても飲み込みが悪く、健常者と同じ食事はできない。好きでミキサー食を食べているわけではない。どうか理解して前と同じように食堂で西岡さんと一緒に食べませんか?と根気よく説明した。しかし、尾形の答えはそれまでの友情を何もなかったように覆すものだった。「絶対イヤ!あんな人と一緒にされたくない!」

結局この後西岡と尾形が一緒のテーブルに座ることは二度となかった。

これを読んだ読者はどう感じただろうか?あまりにも醜い、おぞましい物語だが、似たようなケースはどこの老人施設や障害者施設でもありえることだ。老人や障害者を差別して見下すのは何も健常者だけに限らない。同じ境遇にあるはずの障害者や老人もお互い差別しあう関係にあるのだ。特に要介護度が低く認識もはっきりしている老人は要介護度の重い老人を見下す傾向が強い。障害者施設でも中途障害者(脳梗塞などで突然障害者になった人)は脳性麻痺などの先天性の障害者を見下す傾向もある。勿論全員が全員差別するわけじゃないし、モラルある人々は障害者や老人にもいる。しかし、どこの施設でもそのような傲慢な態度を取る利用者はいるのだ。

この世にはありとあらゆる差別がある。人種、宗教、家柄、国籍、健常者は障害者よりももっと多く人を差別するスティグマを見つけ出してきた。どうしてそんな些細な違いで差別をするのか?解り易く言えば、人間には誰しも何らかの不満や不安がある。己の弱さを見つめるよりも、自分の不安や欲求不満を解消するために他人に難癖をつけスケープゴートにするのだ。

本当のところ、尾形の西岡への拒絶の本質的な理由は別にあったのだ。要介護の高い老人に対する「あんな人と一緒にされたくない」と言う露骨な差別感情は実を言うと尾形の不安や恐れに根ざしている。何を恐れているのか?

それは尾形もいつか西岡のような姿になってしまうことだ。人間はいずれは衰える。認知症が進み、人格が荒廃した姿ははっきり言って直視に耐えるものではない。だからこそ尾形は恐怖を感じているのだ。いつか自分も西岡のように「気持ち悪い食べ方」をするようになる。尾形が西岡を避ける本当の理由は自分の将来を直視したくないためだったのだ。

介護者に暴力を振るい、オムツを自分で触って手を便や尿まみれにする姿はあまりにも残酷だ。介護している職員もこんな現場にずっと直面していると、惨めな要介護の生活に自分の将来を悲観する人が多い。

「わたしはあんな風になりたくない。下手に長生きするくらいなら、ある日ぽっくり死にたい」こんな台詞を介護者から聞くのは一度や二度ではない。

だが、若い介護者は西岡のようになるまでに時間がまだある。しかし、尾形にとっては「いま、そこにある危機」なのだ。

エル・ドマドール

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[14]差別する介護職

[16]医療行為

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福祉の現場ではどうしても医療との関わりが必要不可欠である。今回は医療行為について語ろう。

このメールマガジンの読者はおそらく介護者つまり医療従事者ではない方が大多数だろう。あなた方読者諸兄が普段自分の職場でしていることの中には驚きべき事に「脱法」や「違法」なものがあるとしたらどうだろうか?つまり許されないはずの「医療行為」を知らない内に実行しているかもしれないのだ。因みに医師法では無資格者の医療行為には2年以下の懲役または100万円以下の罰金が課される。

医療行為は看護師に任せているはずだし、自分達には関係ない・・・そう反論があるかもしれない。ここで俺ははっきり言っておくが、現場で働く介護者の中に医療行為をした事の無い人間はまずいない。ありえないだろう。そもそも介護者が普通に何気にやっている介助は許されない「脱法」行為であることが少なくない。

あなたが普段職場でしていることが医療行為か否か?ここでチェックしてみよう。さてこの中でどれが医療行為にあたるだろうか?
(1)点滴(2)血圧測定(3)径管栄養の注入(4)痰の吸引(5)吸入(6)内服の介助(7)酸素飽和度の測定(8)爪きり(9)傷にバンドエイドを貼る(10)採血(11)軟膏の塗布(12)湿布の貼付(13)点眼(14)座薬挿入(15)摘便(16)耳掃除(17)口腔内の洗浄(18)ストマパウチ交換(19)褥瘡のカーゼ交換(20)浣腸(21)体温測定

正解は・・・(1)?(21)まで全 部 当 て は ま る 可 能 性 が あ る !

そもそも医療行為の定義とはなんだろうか?
現在の所、医療行為に関しては明確な定義づけが無いのが現状なのだ。極端な話、厚生労働省や医師が判断すれば何でも医療行為になると言わざるを得ない。おかしなことに下手すれば罰則を喰らうかもしれないのに、今まで医療行為については曖昧にされてきたのが現実なのだ。

ここで事情に詳しい人なら「平成18年7月に厚生労働省から爪切りや検温は医療行為とはしないという通知が出たはずだ」と反論があるだろう。下のリンクを参照してほしい。
http://akihaya.karou.jp/kaigohoken/iryoukoui10.html

しかし、この中で認められた「医療行為」にしても条件付で正式に認められているわけではないのだ。解釈の次第によっては都合よく介護者が利用される可能性がある。そもそも上の通知では径管栄養の注入や摘便、吸引などは認められていないが、現実介護職がそれらをしている施設は山ほどある。正直言っていまさら何をと思う福祉関係者も少なくあるまい。

もっとおかしいことはまだある。この通知が出たきっかけはあるALS(筋萎縮性側索硬化症)患者の関係者の訴えがきっかけだった。ALS(筋萎縮性側索硬化症)とは原因不明の病気で、発症すると筋力がどんどん衰えてやがて死亡に至る治療困難な難病なのだが、末期には痰の吸引がどうしても必要になる。

在宅看護をしているALS患者の家族にとって痰の吸引は日常茶飯事の為にいちいち看護師を呼びつけるわけにはいかない。それでALS患者の関係者が医師法の人間性の無さを非難すると途端に家族に限り痰の吸引が認められるようになったのだ。今でも介護者が施設などで痰の吸引は認められていないが、家族が施設で痰を吸引してもお咎めは無いのだ。

しかし、痰の吸引が必要なのはALS患者だけではない。ALS以外の患者以外でも痰吸引を求められると今度は在宅のヘルパーが痰吸引をしてもいいことになった。まったくふざけたご都合主義もいいところだろう。

最初は看護師と医者以外吸引は駄目だったはずなのに、関係者から非難されるとここまで変わる。これでは医師法は医療従事者の醜い既得権を守る紙切れと言われても仕方あるまい。

そもそも爪切りや内服まで医療行為としたのは先ほども述べたように明らかな医療従事者の既得権だった。しかし、福祉の現場では誰もが承知の上で(中には知らない人もいるが・・・)違法行為をしていた。入所している利用者にどうしても医療行為が必要なら看護師にさせればいい。だが、看護師を24時間体制で雇うことはどこの施設もしたがらないのだ。

もう想像つくだろうが、その理由は単純だ。看護師は当然ながら介護職よりもコストが高い。医療行為をさせるために24時間体制で多くの看護師を雇うとなればその負担は施設にとってかなり重いものだった。そこで、看護師がいない夜間は違法を承知で介護職に医療行為をさせるようになったのだ。

介護職が施設や在宅で医療行為をしているのは医療側も勿論知っていた。しかし、十分なサービスや人材供給ができないのもあり、ある程度は介護職に医療行為をしてもらうのを黙認していた。施設側もコストの面から介護職の医療行為をやらせていた。

自分たちのエゴで違法行為を介護職にやらせておきながら、平然とコンプライアンスだの、医療行為はしないなどと語る。偽善者ここに極まれりだが、犠牲になる介護職はたまったものではない。

もはや今では無意味な議論になったが、以前医療側が介護者側に医療行為を認めない理由について反論をしたい。介護者側が医療行為をするとなると、医療側は必ず「医療の知識や技術が十分ではない人間が医療行為をするのは好ましくない」と言っていた。例えば爪きりにしても、巻き爪になっている場合は医療的知識が必要だと言うのだ。しかし、技術や経験を積めば介護職でも巻き爪を安全に切ることはできる。逆に未熟な看護師などは巻き爪を切る際に皮膚も一緒に切ってしまう人もいる。資格よりも個人の技術や経験が大事なのだ。

もっと言えば、昔も今も医療現場はミスや失策の宝庫だ。しかも医療ミスはどれも致命傷になる可能性が介護者側よりも高い。患者を取り違えて誤った手術をするなど小学校レベルのミスも多い。研鑚が必要なのはどちらだろうか?

エル・ドマドール

[15]盗む介護人たち

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前回のメルマガでただでさえ物議を醸しかねないテーマだったのに今回もより危険なテーマに挑むことにする。題して「盗む介護人たち」である。

ここ2,3年、介護ヘルパーが利用者からお金を着服し逮捕される事件が相次いでいる。大阪では4500万円盗んだヘルパーが逮捕された。岩手県花巻市ではなんと1億円騙し取ったとして元ヘルパーが懲役7年の実刑判決を受けている。

この花巻市の事件について読売新聞より引用したい

介護していた84歳の女性が認知症だったことにつけ込み、預金約1億円をだまし取ったなどとして、準詐欺と窃盗の罪に問われた岩手県花巻市矢沢、元ホームヘルパー小原さつ子被告(55)の判決が4日、盛岡地裁であった。杉山慎治裁判長は「信頼関係を逆手にとった犯行で、ヘルパー全体の信頼を傷つけた」として、懲役7年(求刑・懲役10年)を言い渡した。6月4日12時19分配信 読売新聞

こう言う事件を聞くとよく「お年寄りを騙すなんて」「介護に対する信用を無くす」などと非難の声があがる。だが、俺にとって見ればこんな事件など意外でもなんでもない。現にこのメルマガ執筆中にもコムスン元社員がサービス契約者の男性から強盗を働くと言った記事が飛び込んできた。第7号「福祉=ワーキングプア」で語ったように福祉関係者は貧乏人以外の何者でもない。対する老人たちはかなりの資産の持ち主が多い。

振り込め詐欺など老人を狙った詐欺事件などは多いがそのたびにこんな疑問は感じないだろうか?何千万などそんな盗まれるに値する大金をどうして持っているのか?老人が詐欺や窃盗に遭って、何千万も盗まれたと言う報道を聞くと、気の毒と言うよりもひねくれものの俺は「どうやったらそんな額の貯金ができるんだ?」と考えてしまう。20代や30代で貯金1000万以上持っている人は何人いるのだろうか?この国の富の配分に疑問を感じてしまうのは俺だけではないだろう。少子化が進むのは無理は無い。

もうお分かりだろうが、介護をしていると老人たちの多くはかなりの小金持ちであることが少なくない。介護者にとってみれば「自分たちは年収100万や200万で爪に火をともす生活をしている」のに介護される弱い立場の老人たちが「自分たちが納めた年金を元に何千万の預金を持っているのはやりきれない」という気分になりやすい。

もっとも「福祉をやる人は心優しい人々なのじゃないのか?!これじゃ信用できない」と言う声もある。福祉をやっているからと言って「心優しい」を押し付けるのは偏見以外の何物でもないが、こうした疑問にもお答えしよう。

福祉関係者の多くは「理想主義者」であることは否定できない。その理想主義が彼らのモラルを維持している現実がある。だが、理想主義とは裏返してみれば独善性と紙一重だ。そしてご存知のように福祉は理想主義とは程遠い偽善が渦巻く世界だ。福祉の現実を直視するたびに自分の理想が崩壊してしまう。すると理想主義の負の側面の独善性が強くなり、モラルの崩壊が止められなくなるのだ。金を盗んだヘルパーにしても、元々は理想に燃えた「心優しき」介護職だったのだ。だが、厳しい現実に失望し己を見失ってしまった。

福祉だけに限らないが、どこの世界にも光の輝きに比例してその闇も濃いところがある。利用者の物産を盗むなど「福祉」とは思えない劣悪な行為だが、現に犯罪に手を染めた福祉関係者は跡を絶たない。彼らを見て、自分たちに関係ないと思ってはいけない。理想に燃えていた彼らがなぜ犯罪を犯してしまったのか?同じ業界人としてとても残念に思うが、その傾向を分析したい。

一言で言えば、彼らは自分を見失ってしまった。それに尽きるだろう。

福祉関係者の多くが理想に燃えてこの業界に入ってくることはもう言及した。しかし、その理想は遅かれ早かれ悪夢の現実に吹き飛ばされてしまうのだ。

恐ろしいことに彼らを雇っているはずの法人や企業はコムスンのように内部告発されるような悪行や犯罪行為に手を染めている事が多い。しかも、その悪行の片棒を自分も担ぐようになってしまうのだ。その点は第8号「モラルよ、さらば」に掲載したので参考にしてほしい。

その現実に直面して、多くの介護職は苦悩を抱える。その苦悩に対して現実を拒否し、すでに壊れた理想に逃避してしまう人もいるのだ。理想主義の負の側面とは別の意見や観点を受け入れられない独善性である。自分の望む姿以外シャットアウトしてしまうのだ。しかし、その代償は高くつく。自分自身のモラルや初心を忘れてしまい、気がついたら自分が首まで悪徳に取り付かれてしまっているのだ。

俺はこの業界で長く、しかも正しくいたければ断固たる決意が必要だと信じている。英語で言えばデタミネーション(determination)というが、たとえ何があっても「これ以上は妥協できない」という一線が必要なのだ。彼らはそれが無いために、雇い主の悪行に手を貸し、悪魔に魂を売ってしまったのだ。

自分のやっていることが本来の理想よりも程遠く醜くても、勇気をもって現実を直視する事が必要なのだ。俺が初めて障害者療護施設に勤めた時、あまりの矛盾と偽善に悩んでいた。「自分がやっていることは犯罪行為の片棒を担いでいるだけじゃないのか?」「俺は利用者を搾取するために福祉の大学を卒業したわけじゃない!!」何度か真剣に辞職をしようと思った。しかし、ある日気がついた。

「自分は何時でも辞めることができるが、ここには嫌でも出て行けない人々がいるではないか。この人たちは俺がどんなに醜くても悪人でも俺を必要としている。この人たちに必要なのは正しき理想主義者ではなく、自分たちを助けてくれる人間なのだ。だから、頑張ってみよう。自分がどんなに醜悪でも彼らを助けることはできるのだから」

この気づきから10年以上が経つ。俺は厳しい現実と向き合う介護者に言いたい。あなた方は正しき神の使いではない。ただ単に無力な子羊に過ぎない。自分たちが介護している人々と同じ弱い人間なのだ。だが、彼らはそんなあなた方でも必要としている。そのことを是非忘れないで欲しい。

エル・ドマドール

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[07]福祉=ワーキングプア
[14]差別する介護職

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前回では利用者側の問題点をあげたので、今回はフェアに介護者側の問題点をあげたい。俺は最初にこのメールマガジンを発行するときにあらかじめこのように宣言した。ありとあらゆる「聞きたくない真実を告げる」と。今回もそのようにしよう。

福祉には差別と戦って来た歴史がまとわりつく。俺の行っていた大学にも「差別問題論」など差別や偏見をターゲットにした授業があり、障害者の基本的人権を守るのが福祉関係者の使命だと教育された記憶がある。

常識的に言うと福祉は障害者に対する差別や偏見と戦うものだと思われていて、福祉関係者は差別に反対するものだ、また認めないものだと思うだろう。障害者を差別する人間は外部の無知な人々で障害者を助ける立場にある人々はそんなことはしないと福祉関係者は言う。しかし、俺はその意見には同調できないときがある。

俺は断言する。福祉関係者は思った以上に障害者を受け入れていない。多くの介護者は彼らを無意識に差別している現実がある。障害者と健常者との融和や社会参加を声高に主張するが、自分たちは障害者と本当の意味で融和してはいないのだ。

福祉に勤める人が障害者を差別する??物議を醸す事必至だが、本当のことなのだから仕方ない。俺が体験した事を語ろう。

俺が最初に勤めていた身体障害者施設でこんなことがあった。そこでは利用者も職員も同じ内容の食事を取っていた。しかし、食事の内容が同じでも使っている食器が違うのだ。そこの施設では予め意図的に職員と利用者が同じ食器を使わないように配慮されていたのだ。

これだけでも差別確定だが、若く理想主義的な俺は自分の勤める施設がこんな偽善的な真似をするとは信じたくなかった。俺は利用者と職員が違う食器を使うのはなぜなのか?何か正当な理由があるかもしれない。俺は施設長に理由を問いただした。しかし、その返事は恐ろしいものだった。施設長は次のように言った。

「利用者から何らかの病気を移されるかもしれないだろ?感染予防のためさ」うすうす利用者と障害者が違う食器を使うのはろくでもない理由だろうとは予期していた。しかし、予想はこの答えで確信に変わった。

食器は毎回きちんと洗浄されている。そもそも食器を同じにしただけで移る感染症とはなんだろうか?人種や障害者であるかどうかで出される食器が違うレストランがあったら、どうなるだろうか?多分マスコミの格好の餌食になるはずだ。

MRSAや疥癬で利用者を隔離するケースは多い。しかし、その根拠は偏見に近いものだ。MRSAはそもそもメシチリンと言う抗生物質を湯水のように使いすぎて黄色ブドウ球菌がメシチリンに耐性を持ってしまう病気だ。抗生物質の乱用を止めなければ意味がないし、部屋を隔離しても本人を傷つけるだけだ。

疥癬はビゼンダニが人間の皮膚に卵を産みつけ繁殖し、体の至る所に丘疹ができてとても痒くなる。ビゼンダニは人間の体温環境でなければ生きられないため、人体の接触でしか感染しない。感染者が他人にべたべた触りまくるなら仕方ないが、そうでないなら隔離は行き過ぎだ。そもそも疥癬は介護者が媒介しているのが現実なのだ。

俺はいくつかの施設で感染症の対応を見てきたが、その殆どは差別主義と偏見に基づく過ちだった。科学が発達し、理論的に感染症の事が解明されてもやっていることは中世の魔女狩りと大差ないのだからあきれてしまう。原因の一つに施設関係者の無知があるのは否定できない(そもそも専門職のはずなのに無知なのも許されないが)。しかし、そのベースには障害者や要介護者への差別感情がある。

現実俺が勤務した別の老人施設は「幸運なことに」食器を利用者と職員で分けることはしなかったが、それでも職員の中には「利用者と同じ箸は使いたくない」という人がいた。トイレなども利用者と障害者を別にしている施設が殆どだろう。別にする必要性など無いはずだが無意識の差別意識が垣間見える。

少し関係の無い話になるが許してほしい。介護職とはつくづく観察する商売だ。そして観察して得た情報を分析して現状の問題解決に役立てる。それを外来語でアセスメントと言う。我々の相手は言葉で正しく自分の置かれた状況を説明できない人々が多い。たとえ言葉で説明できても、それが本当に正しいのかわからないことも多い。だから、本人の言動や周りの状況、疾病などを含めて総合的に分析する必要があるのだ。このアセスメント、別に利用者だけに使えないわけじゃない。介護をしている職員に当てはめると、意外な真実が見えてくる。そう、受け入れられない真実が。

よく老人施設やデイサービス、または障害者施設に行くと、よく派手な模造紙や色画用紙を駆使した飾り付けがしてあることが多い。今の季節ならちょうどクリスマスの飾りつけなどが大人気だろう。だが、この飾りつけ・・・よく見ると保育園などにあるそれと大して変わらないことが殆どだ。つまり、職員はいい年したはずの老人や障害者を子供と同等に見ているのだ。

こういう分析を突きつけると大抵の福祉関係者は嫌な顔をする。中には俺を嘘つき呼ばわりしたり、酷いのになると「お年寄りを見下している」など問題を摩り替える人もいる。(このように本音と反対のことを強調するのを心理学で「反動形成」と呼ぶ)。だが、真実は明らかだ。大人が集まるところでこんな子供じみた飾りつけなどをしているところは無いだろう。

普段職員同士では利用者を一人の人間として大事にしよう。尊厳をもって接しようと訓示を垂れておきながら、目の前には子供じみた飾り付けがある。これではM・スコット・ペックの「平気で嘘をつく人たち」ではないか。第11号「現実からの逃避」でも述べたように人間、意図的に他人に嘘をつくよりも自分に嘘を付くほうが邪悪になるものだ。

ここで言っておきたいが、差別や偏見は誰にでもあるものだ。それは人類の普遍的な歴史が何らかのスティグマを理由にお互いに差別して来た歴史でもあるからだ。なぜ差別するのか?それは単純に言えば、自分の中の不安や無知を「決め付ける」ことにより解消したいが為である。その「決め付け」が正しいかどうかよりも不安を和らげることの方が人間社会では優先するのである。

俺自身はもう読者諸兄にもわかるように偏見と差別意識がある。障害者や要介護者の老人にも心底から分かり合っているとは思わない。見下している部分があるのは事実だ。それはおそらく自分の中にまだ彼らに対してわからない部分があるからだろう。これからもそれを追っていかなければならない。介護とはずっと探求の旅でもあるのだ。

差別意識を持つこと自体は仕方ない。だが、自分自身の邪悪さに目を逸らすからこそ人は本当に邪悪になってしまうのだ。苦い真実よりも甘い嘘に浸る介護職員には次の言葉を贈ろう。今では差別だと非難されるかもしれない表現だが、なかなか本質を捕らえていてこのメールマガジンにふさわしい。

―彼らは盲人を手引きする盲人である。もし盲人が盲人を手引きするならふたりとも穴に落ち込むだろう           マタイ伝15章14節

エル・ドマドール

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[11]現実からの逃避
[13]施設に入るとき

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