カテゴリ"福祉社会"の記事

[124]生活保護(3)

| 関連記事(0)

今回はまたまた生活保護をテーマにする。第77回でも語ったように今回も本来は生活保護をテーマに挙げるつもりはなかった。もう本質については語りつくしてしまったと思っていたからだ。しかし、社会情勢が悪化するとともに生活保護がマスメディアで取り上げられる回は増加する一方だ。今回は生活保護についての新たな情報を元に語りたい。

「市民の20人に1人が受給者という実態が、果たして生活保護の本来の方向性に合っているのか。1950年から抜本的な改革がなされていないよどみがある」

予算案発表の記者会見時に大阪市の平松市長はこんな発言をしている。苛立ちを隠せないようだが、無理もない。なんせ99年には6万人だった生活保護者が今年度には13万人以上に増加。生活保護費は一般会計の16.9パーセントを占めているのだ。金額も99年の2.3倍の2800億円に達している。生活保護費が自治体予算の16パーセントを超えると言うのは驚きの数字と言う他ない。ただでさえ累積赤字で財政再建団体一歩手前の大阪市にとってこれは痛い出費だろう。だが、平松市長を苛立たせるものがまだある。

大阪市で生活保護を受ける被保護者の内、その1割以上が他の地方から大阪市に転居してきた人々だと言われている。つまり、他の自治体が自分たちが保護すべき困窮者を大阪市に押し付けている実態があるのだ。

中には「大阪なら生活保護が受けやすい」と耳打ちして大阪までのJRの切符を要保護者に渡して、文字通り厄介払いしている自治体がある。北九州市、高松市、大阪府松原市、大阪府豊中市などがそのような違法行為に手を染めている実態がある。このような「厄介払い」をする自治体は他にもある。静岡県伊東市から熱海市、小田原とそれぞれの市役所が隣の自治体の交通費を渡してたらい回しにしていた事が以前発覚した。また東北のある自治体は仙台市への切符を渡していた。しかも切符を渡す費用は財布を無くしたり困窮した旅行者など交通費が無くて困っている人に貸し付ける制度から流用していた。目的外の事に税金を使うなど納税者に対する背任以外の何物でもない。メディアの事実確認に対しても「そんな事はしていない」と平然と嘘を付いたり、「簡易宿泊所を紹介しただけ」と言い訳するなど公務員としてだけでなく人間としての最低限のモラルさえない。大阪市は「これ以上要保護者を押し付けるなら自治体名を発表する」と言ったが、そんなものとっくにするべきだ。

だが、交通費を渡してホームレスを他の自治体へ押し付けてもいずれ発覚するのは時間の問題だ。発覚すれば世論の袋叩きに遭う事は小賢しい公務員なら予見できるはずだろう。それでいてなぜこんな愚行をするのか?

冷静にそんな当たり前の判断さえできないぐらい追いつめられた地方自治体の事情がある。生活保護費の支給は国4分の3、地方4分の1を負担することが法律で定められている。今の苦しい地方自治体の財政事情ではその4分の1の負担も決して軽くはない。前述した大阪市も支出の16パーセントを生活保護が占めるのだ。どこの自治体もかつての放漫財政が災いして破綻の危機に直面していないところが少ない方だ。一昔の水際作戦(生活保護申請をなんだかんだと難癖付けて追い返すこと)などは生活保護受給者に対する反感や偏見が原因になっているところがあったが、今はもう財政面での悪化でそこまで追い詰められているのだ。ちなみに数年前にこの割合を国と地方で折半する提案がなされたが、地方自治体の猛反対でとん挫した経緯がある。

要保護者の押し付けやたらい回しを防ぐ方法は簡単だ。生活保護費を全額国庫負担にすればいい。それなら地方の醜い要保護者の押しつけ合いはやる理由がなくなる。しかし、これはまず国が首を縦に振らないだろう。「地方負担を課さないと地方は無節操に生活保護を認める」と国側は主張するかもしれない。どちらにしろ、納税者の金には間違いないのだが。

生活保護の不正受給摘発が増加するなど被保護者のモラルにも問題は多いにある。しかし、被保護者の増加でその実態を把握するためのケースワーカーは全く足りない。そして最大の生活保護破綻のトリガーは年金の破綻だろう。年金支給額の減少、年金支給年齢の引き上げ、そして年金破綻。年金が破綻すれば生活保護の原資である地方および国家財政も破綻するだろう。もう困窮者を救う最後の砦は無くなってしまうのだ。俺はこの恐ろしいシナリオを回避する方法を思い付けない。

エル・ドマドール

【関連記事】
[77]生活保護(2)派遣村について
[09]生活保護

[117]竹原市長発言

| 関連記事(1)

11月8日に書かれた阿久根市長竹原信一のブログをご存じだろうか。

この市長はそれまでも散々なトラブルを起こして来たが、11月8日に自身のブログで医師不足の問題に触れこんな発言をしている。

「例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害をもってのを生き残されている。結果、擁護施設に行く子供が増えてしまった」(竹原信一市長ブログよりそのまま引用)

この記述をめぐっては議会や障害者団体のみならず教育界や宗教界からも反発を受けた。市長は「ブログの発言の一部を取り上げて誤解している」と差別的意図を否定。謝罪を拒否した。しかし12月21日にこの市長は講演会でまたもや過激なスピーチをしていた。それを以下に紹介するが、これを聞くと確信犯的と言われても仕方あるまい。

「社会をつくるには命の部分に踏み込まないと駄目だ。表現としては厳しいが、刈り込む作業をしないと全体が死ぬ。壊死した足は切り取る。それで全体を生き残らせる。情緒で社会をつくることはできない」

諸君はどう思っただろうか?俺の意見を言わせてもらえば、はっきり言ってこの市長はあまり洗練されていない無知な人だと思ってしまった。発言の内容が障害者の存在を否定するために非難されているが、それ以前に文章の内容が日本語としても酷い。未だに産婆などと差別用語を使っていることもそうだが、この文章の内容で機能障害を使うのは誤りだ。正しくは障害、詳しく言うなら先天性障害と書くべきなのだ。擁護施設も正しくは養護施設だろう。福祉分野や医療分野に対してあまりにも無知なのも酷いが基礎的な教養が無さすぎる。中傷するつもりはないが、阿久根市民はよくこんな無教養は人物を当選させたものだ。まあ、前首相も漢字が読めないのだから仕方がないかもしれない。

世間ではこの文章について感情論で非難を浴びたようだが、俺にとっては驚きではない。この程度の障害者差別発言などは竹原市長が政治家だから問題になるのであって、程度の差こそあれ障害者を軽蔑したり嫌っている人などいくらでもいる。俺のメルマガでもその事は何度も指摘したはずだ。冠婚葬祭に体裁が悪いからと障害者の家族を排除しているケースだって俺は何度も見聞した。視覚障害者が火事を起こすかもしれないからと言う理由で無条件でアパートの契約を拒否される事もある。障害者差別ではないが、インターネットの掲示板や動画サイトには韓国人や中国人を誹謗中傷する発言で溢れ返っている。酷い差別だろうがその醜い社会が我々の直面する現実だ。竹原市長との違いは話題になるかならないかだけだ。

その竹原市長発言に対してのマスコミや議員、教育関係者の反論はあまりにもお粗末だ。「障害者を差別している」という感情論しか聞かれない。だが、そんな感情論だけでは誰もが納得させられるわけじゃない。現に今もこの市長はリコールされていないではないか?どうしてもっと冷静に理路整然と議論ができないだろうか?そこで代わりに俺が理論的な反論を試みたいと思う。

竹原市長は「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害をもってのを生き残されている」と今の先進医療のお陰で障害者がなまじ生き残っていると書いているが、これはそもそもの前提から誤りだ。確かに今は医療の発達で植物状態でもそう簡単には死亡しない。長寿大国日本の躍進に医療が良くも悪くも医療が重大な役割を担っているのは否定できない。しかし、それはあくまでも末期医療の話だ。産科医療に関しては全く逆の話になる。

医療の歴史を紐解けば元々出産の現場に医師は関与していなかった。ところが19世紀から20世紀にかけて医師が産科医療に関わるようになる。一般で信じられている事とは裏腹に医療が出産に関わるようになってから先天性障害が増えたのだ。ここで詳しくは述べないが、脳性麻痺、奇形児、ダウン症、知的障害などの先天性障害は医療行為が原因である医原病なのだ。特に陣痛促進剤による無理な陣痛は知的障害や脳性麻痺などの原因になり、あまりにも危険すぎる。しかし、こんな危険な薬物を使っているのが病院なのだ。高度医療が障害者をなまじ生かしているなんてそれは全く逆だ。先天性障害者の悲劇は経験から学ばない医師や行政、司法、立法が引き起こしたものなのだ。医療が出産にしゃしゃり出てこなければ彼らは無事に生まれて来たのだ。竹原市長の発言はその点から事実誤認が著しすぎる。無知が故の暴論であるだけなのだ。

エル・ドマドール

【関連記事】
[81]ダウン症

[112]福祉関係者のヒエラルキー

| 関連記事(0)

前回は派遣を被差別部落の穢多・非人に例えた。今回もついでに職場内の身分制度、いわゆるヒエラルキーについて話そう。福祉に携わる人々は基本的人権を尊重し、差別を良しとしないと思われている。実際それは利用者に対してはデタラメだと俺はかつて書いたことがある(第14号「差別する介護職」参照)。しかし、世の中の人々はそうではない。福祉に関する人々はひどい差別はしないものだと思っている。そして介護者を含め、福祉関係者もそう思い込んでいる節がある。しかし、俺は次のようにはっきり言いたい。

「人間は平等だと言うならなぜ介護業界には派遣や契約社員、非常勤職員がいるのだろうか?」

言っておくが、俺はこの世に差別はあってはならないと臆面もなく主張するほどナイーブではない。小学校教育の順位を付けない50メートル走のように「結果の平等」は行きすぎだ。しかし、誰しもが平等にチャン スが与えられる「機会の平等」は与えるべきだ。人間の歴史上、格差 や競争は上手く作用すれば社会の発展に役立ってきた。しかし、福祉 業界における契約社員や派遣社員などは能力や成果に基づいた「格差」とは全く違う。それらはかつてのインドのカースト制度や人種差別同様に不道徳極まりないものだ。しかし、福祉の経営者たちは自分た ちは偏見や差別とは縁がないと言いながら、平気で従業員の差別雇用はするのだから偽善者もいいところだ。

このような主張をするとこんな反論をしてくる人が必ずいる。

「プロ野球の巨人だって、無名の育成選手が活躍しているじゃないか。 福祉業界でも頑張れば、契約社員でも非常勤職員でも常勤職員になれたり、給料が上がるんじゃないのか?」

残念だが、プロ野球のヒエラルキーと福祉業界のそれは全く違う。プロ野球は結果が全てだが、その結果を判定する基準ははっきりしている。

だが、他の業界でもそうだが、福祉においても何を持って成果を挙げたかという基準が曖昧ではっきりしないところがある。勿論、個人個人の優劣の差はあるが、それがプロ野球ほど明確ではないのだ。だからどうしても判断の基準が上司の選り好みだったりする事が多くなる。上司に好かれれば幸せだが、嫌われた場合は悲劇だ。

そしてプロ野球は結果が伴えばどんどん報酬が上がるが、派遣や契約 社員にはその可能性がない場合もある。もう最初から非常勤は非常勤 で、正規職員に絶対なれないケースもある。これは都道府県の社会福 祉事業団や公務員系の福祉施設に多いが、1年契約で契約する嘱託職 員や契約職員の場合はどれだけその職員が優秀でも正規職員になれないところもある。しかも、契約は一年毎に更新でいつ更新がストップするか分からない。まさに現代版被差別部落もいいところだ。

しかし、まだ非常勤は何をしても常勤に上がれないと最初から明確に決まっているなら、納得はできなくてもまだ精神衛生にいい。しかし、中途半端に非常勤から常勤職員に登用の可能性があるとなっている場合、事 態はもっと複雑になってしまう。まだ新人職員を雇った時にどんな職員なのか見極めるために2,3カ月は非常勤職員で採用し、問題なければ自 動的に正規職員にするというパターンならまだ救いはある。しかし、問題は何カ月、何年非常勤で勤務してある資格があれば常勤に昇格するとか明確な規定がない場合だ。その場合、下手すると何年も非常勤で奴隷状態が続くことになってしまう。非常勤から常勤へ昇格できる可能性はあるが、それは上司や経営者の気まぐれに左右される。いつ昇格になるか分からない。そしてその基準は曖昧。その心理状態はおそらく経験したものでないと判らないほど絶望的なものだ。

同じ仕事をしていて、常勤職員より給料は低い。
どうやれば、常勤になれるのか?
あと何年頑張れば、常勤になれるのか?
どうしてあいつは常勤に昇格できたのに自分はなれないのか?

ずっとこのような疑問が頭にまとわりつく。絶望感のために精神的にも荒れてくる。特に誰かが常勤職員に昇格する場合にそれは顕著になる。昇格する人は幸せだが昇格できなかった非常勤職員は当然納得しない。職場内に人間不信が蔓延して、権力争いや足の引っ張り合いで人間関係も険悪なものになってしまう。当然ただでさえ高い離職率がますます高くなる。辞めたくても次の職がなかなか見つからない人もいるが、辞めずに頑張るとしてもストレスからか利用者への対応が乱暴になったり業務に集中できない事も増える。長期的視点で見れば、職場内の人材の質の低下をもたらすなどこの身分制度にいいところは全くない。

パフォーマンスの質を下げるなど職場内ヒエラルキーにはデメリットしかない。しかし、なぜ多くの福祉事業者や施設はこのようなヒエラルキーを導入するのだろうか?

よく言われるのが人件費を削るためだという理由だろう。しかし、俺はそれはあまり説得力がないと思う。別に全職員が正規職員でも、全体を平均して賃下げすれば人件費を削れるはずだ。それにこの身分制度を続ける限り、どうしても離職率が高くなる。離職率が高ければそれだけ広告を出したり面接などの雇用コストが上がるから、結局人件費が余計にかかるという悪循環になってしまう。ましてや職場内の内紛も仕事の効率を下げるために余計にコストがかかる。施設や事業者がこのカースト制度を作りたがるのは明らかにコスト面以外での別の理由があるからだ。

それは時の権力が被差別部落やカースト制度を制定した理由と同じだ。全 職員が平等の身分の場合、団結されるとダイレクトに経営陣に不平不満が向かう。これが一番経営者には恐ろしい。だからこそ、内部でいがみ合いや不和が絶えない身分制度は支配者にとっては非常に都合がいいのだ。つ まり、派遣や非常勤職員は社員の不満を反らすため、経営者の保身のために犠牲になっているのだ。大企業などには労働組合があるが、多くの場合彼らの中には派遣や非常勤職員は含まれていない。そんな組合など単なる御用組合に過ぎない。

以上どうして福祉施設や事業者が時代錯誤なヒエラルキーを求めるのか十分にご理解いただけたかと思う。そして日本企業は現在21世紀にもなるのにこのような被差別部落を維持するつもりらしい。中核となる幹部社員を新卒から雇い、誰にでもできる末端の仕事は派遣や契約社員で賄うとのことだ。しかし、この傾向を俺は憂慮している。すでにこのヒエラルキーによる悪影響は随所に見られるからだ。スイスのビジネススクールIMD(国際経営開発研究所)が発表したところによると日本は国際競争力で07年度で55カ国中、前年度16位から24位に転落した。89年から92年に1位だったことを考えると競争力の衰えは明らかだ。この結果に疑問の声を挙げる人もいるが、俺には不思議でもなんでもない。組織や国家が発展する時は誰もが機会を平等に与えられる時なのは歴史の必然だからだ。被差別部落を保持する日本企業がどうなるかは言うまでもないだろう。

エル・ドマドール

【関連記事】
[14]差別する介護職
[111]現代の被差別部落民・派遣

[111]現代の被差別部落民・派遣

| 関連記事(1)

派遣を書いたマーセナリーは前回で終わったはずだった。しかし、メルマガ発行後に俺は書き忘れがあることに気付いた。前回まではあくまでも派遣を雇用する側の視点で「なぜ派遣が良くないのか?」を書いた。しかし、派遣として雇われる側の視点も書くべきではないかと思い始めた。そこで今回は派遣で雇われる立場で語りたいと思う。

前回は施設側の立場で派遣を雇うことに関して俺は一貫して否定的だった。今回派遣として働く事も基本的には同じだ。派遣で働くなど、はっきり言うが自ら人間性を貶める行為に他ならない。前回も言ったが、派遣など組織内のヒエラルキーの一番下、江戸時代の被差別部落制度の穢多・非人と同じだ。

どうしても失業中でそれしか職がないなら仕方ないが、そうでないなら絶対避けるべきだ。よく「人間関係が気楽でいいから」「あまり特定の職場にディープに関わりたくないから」などよく訳の分からない理由で派遣を選ぶ人がいるが、そんな主体性のない理由で派遣を選ぶのは絶対止めるべきだ。余計な御世話だが、もっと真剣に自分のキャリアを考えた方がいい。かつて被差別部落だった人々はその身分から逃れる事ができなかったが、派遣はわざわざ自分から不利極まりない立場になろうとするなど不可解ではないか?

「ハケンの品格」などふざけたテレビドラマがあったが、派遣に品格などない。殆どの派遣社員は屈辱的な扱いを受けている。あのドラマは派遣を幻想的に見せて、搾取に苦しむ派遣を侮辱するものだ。派遣などただ単なる企業の労働力調整ツール、つまり人間ではなく消耗品として扱われるだけなのだ。

派遣で働くことのデメリットを説明しよう。どうして派遣で働くことに俺は強硬に反対するのか?その理由はいろいろある。

(1)収入が低い
(2)不景気になると真っ先に解雇される
(3)技術やスキルが身に付かない

(1)や(2)は説明不要だろう。(3)は前回も説明したが、派遣はろくな教育やトレーニングを受けさせずに業務をさせるために技術が十分に身に付かない。製造業の派遣でも単純な作業の繰り返しが多いためにスキルや技術が身に付かずにただ年齢だけを重ねることになってしまう。実を先ほど例えに出した穢多・非人の被差別部落民は人々が忌み嫌う職業を負わされていた。その分、彼らの存在価値は社会の中にあったが、派遣はそれがない。誰でもできる単純作業しかあてがわれない分、すぐに代用がいくらでも効く。ある意味、派遣は穢多・非人以下だ。

これらだけでも十分派遣が駄目な理由に十分だが、俺が強調する派遣に就業してはいけない最大で最悪の理由は次の一言に尽きる。

「下流から抜け出せなくなる」

どういう意味なのか?少し説明が必要だろう。一昔の高度経済成長期ならどんな仕事でもまじめに働けば最低限の文化的生活は謳歌できた。しかし、今は違う。今は派遣などで下流層に落ちてしまうとそう簡単に這いあがれなくなる。一億総中流と揶揄される事があったが、それはもう過去の話だ。日本に「下流層」が生まれていることは読者諸兄はよく存じているだろう。「下流社会」の話はもう書店に行けば十分すぎるぐらい参考文献が出ている。その下流社会に転落するきっかけの一つが派遣での雇用なのだ。そして派遣に転落するとそこから正社員に転職するのはかなり困難だ。俺が派遣を被差別部落の穢多・非人に例える理由はそれだ。現在は同和問題と言えば同和事業の不正や癒着を指すように部落差別など無いも同然だが、代わりに彼らのポジションは代わりに派遣が務めている。現代の被差別部落民が派遣なのだ。もう一度繰り返すが、派遣に落ちてしまうと下流からも派遣からも抜け出すことは不可能とは言わないが、かなり難しいと覚悟した方がいい。

事実、派遣社員で正社員への転職は相当難しい。なぜならどこの大手企業も福祉施設も派遣をまともなキャリアを見なさないからだ。第57号「転職者シリーズ(2)鎖国メンタリティ」でも分かるように正社員の転職者さえ、正当に受け入れようとしないのが福祉業界だ。ましてや派遣社員など面接に至ったらラッキーだと思った方がいい。例え派遣でも個人の能力や資格があれば、正規職員になれるのではという疑問は湧くかもしれない。だが、その疑問には逆に質問で答えた方がいいだろう。

「ではどうやって面接する側は派遣の求職者の能力を面接で知ることができるだろうか?」例えその派遣の求職者がとても優秀でもそれを面接官が30分くらいの面接で見抜くのは困難だし、ましてや殆どの面接者は相手の派遣だと言うだけで何らかの欠陥があると偏見を抱いてしまっている。面接官もサラリーマンだ。もし求職者を雇用した後にとんでもないトラブルメーカーだった時に「だから元派遣なんか入れない方がいいんだ」と非難されてしまう。だからそれまでの学歴や経歴に依存して、個人を見抜けない採用になってしまう。今の日本の雇用体系では能力があっても、派遣であるだけで正社員採用されない。だからこそ派遣に落ちてはならない。アンフェアでこれ以上ないほど下劣だが、これが日本の社会なのだ。

エル・ドマドール

【関連記事】
[110]マーセナリー(下)
[57]転職シリーズ(2)鎖国メンタリティ

[105]障害者自立支援法

| 関連記事(2)

現在、障害者自立支援法が揺れている。すでにこの法律、「生活権の侵害」だと何人もの障害者が裁判を起こしていた。しかし、先日の総選挙で事態は急変。民主党が障害者自立支援法に代わる法律を制定するために原告と裁判所に3ヶ月の猶予を求めたのだ。 障害者の社会保障サービスが良くなるのではと障害者関係者や障害者たちは期待しているとのことだ。

ここで話題に上がる「障害者自立支援法」とは一体何であろう?同じ福祉関係者でも老人福祉分野に携わる人などは知らない人も多いだろう。

簡単に言えば「中途半端な障害者版介護保険」だと思えばわかりやすい。この法律は2006年にそれまでの支援費制度に代わり施行されたが、その内容ははっきり言って障害者にとっては不利になるものだった。それまでは収入に応じた応能負担であったのが、利用したサービスの1割を負担する応益負担に変わり、介護保険の要介護判定と同じく障害判定区分が導入された。その結果障害者は以前よりも多くの金銭負担を強いられることになり、その不満が渦巻いているのだ。苦しいのは障害者ばかりではない。施設や事業所も収入が激減し、しかも利用者が負担増のために利用を減らせば、その分が施設の収入も減ることになった。

障害判定区分も問題だ。これは介護保険の要介護判定をモデルにしている。介護保険でも介護負担が大きい、よく動いて無断外出などを繰り返す認知症老人は軽めに判定されてしまう欠陥があるが、障害者の場合も同じ欠陥が早くも露呈した。どちらかというと問題行動が多く、重点的な見守りが必要な知的障害者や精神障害者は比較的軽度の人が多い。しかし、こういう人は要介護も軽度に判定され、十分な見守りが必要にも関わらず必要なサービスを受けられないという問題が発生しているのだ。老人の判定さえ正確にできないのに多種多様な障害者の判定が役人にできるわけがないのだ。

そして最大の問題はサービスがどれぐらい供給できるのかは自分が住んでいる自治体に左右されてしまうことだ。これは老人介護分野にいる人には少し理解しにくいかもしれない。介護保険なら要介護度5の人は月約90ぐらい時間の身体介護サービスを1割負担で受けられるが、これはほとんど全国どこへ行っても同じだ。単価の違いは自治体によって多少差があるがほとんど1点=10円だと解釈してもいいぐらいの微妙な差だ。しかし、障害者自立支援法は違う。どのぐらいサービスの供給をするかは自治体の判断に任されているために同じ障害でもある都市では50時間のヘルパーサービスを受けられていても、別の都市では30時間しか受けられないことが平気であり得るのだ。こんな馬鹿げた事態に障害者たちが怒り出すのは無理はない。おそらく地方分権の思想がこの政策に反映されたのだろうが、物には限度がある。

障害者がこの法律に不満を述べるのは当然かもしれない。世論もどちらかというと彼らに同情的である。しかし、それは障害者自立支援法の中身を一般の人はよく知らないからだ。障害者側も自分たちに不都合な情報を隠しているところがある。障害者自立支援法の本質をよく調べると、障害者たちの主張には簡単に同意できないところはたくさんある。今回はそれを俺が白日のもとにさらそう。

まずは障害者たちが文句を言う1割負担、応益負担だが、あれはとてもじゃないが応益負担と呼べない。確かに1割負担は事実だが、月額上限がある。住民税を払う世帯でも最高37200円。低所得2(世帯の年収80万以上だが住民税非課税)は24600円、低所得1(世帯年収80万以下)は15000円、そして生活保護なら負担なしだ。つまり、住民税を払う世帯でも最高37200円以上払わされないのだ。こんなもの事実上の応能負担ではないか。厚生労働省も馬鹿ではない。障害者を締め付けたら世論から袋叩きに遭う。だからこんな保護策をしているのだ。また介護保険では介護保険料を払っているが、障害者自立支援法にそれはないことも強調しておく。

そして自治体や障害判定区分次第では、介護保険よりはるかに恵まれたサービスを受けている障害者が多い。ある障害者がこんなことをマスコミに訴えていたことがある。

「障害者自立支援法のおかげでヘルパーサービスが月150時間に減らされた」

俺はこの発言に耳を疑ってしまった。介護保険では要介護度5でも一割負担は月90時間ぐらいが限度だ。ましてや徘徊など一番手のかかる認知症の場合、身体能力は高いため要介護度は低くなる。すると、90時間ぐらいが60時間程しか1割負担でしか受けられなくなる。老人介護をしている人が障害者自立支援法を見るとなんて言うだろうか?

言っておくが、老人介護は悲惨の一言だ。介護殺人、介護自殺、新聞で1週間に一度でもこんな記事が載らない日はない。一度でいいから門野晴子氏の本を読んでみるといい。自分の母親を介護するルポタージュだがその内容は壮絶だ。「区役所に母を棄てに行くわよ」など過激さでは俺のメルマガにも劣らない。だが、ここまで肉親に言わせるほど介護保険は冷酷なのだ。

勿論、権利を削られる障害者たちの不満は分らないでもない。だが、それでも老人介護に比べれば、はるかに恵まれているのは事実だ。正直申し上げると老人介護をしている俺に言わせれば、障害者自立支援法に反対する人々の主張は後期高齢者医療制度(廃止の方向だが)同様、声高なエゴの合唱にしか聞こえない。

1割負担になり、収入が減ったと言う障害者は多い。例えばこんな例がある。
ある障害者授産施設に通う障害者がいた。授産施設とは障害者が簡単な労働をして、工賃を貰う施設だと思えばいい。自立支援法以前、彼は1か月の工賃一万円貰うことができた。わずかなお金だがいきがいになっていた。しかし、自立支援法施行以後彼は食事代とサービス利用料を請求され、それが三万円。差し引き-2万円負担することになったのだ。彼には相当なショックだった。

この事例を持ち出して、障害者自立支援法の欠陥を攻撃する人が多い。しかし酷なようだが「それはそうだろうな・・・・」というのが俺の意見だ。授産所は赤字経営もいいところで障害者に給料を払うどころではない。政府からの補助金抜きではやってゆけないのが現実なのだ。市場原理を導入したら、授産所はどこも倒産だろう。ノーマライゼーションや平等主義を実施して健常者と同じ立場になれば、賃金を貰うどころか利用料を払わなければならない。これが現実だ。健常者でもネットカフェ難民などろくな職につけていない人もいるのだ。障害者もそれなりの負担は覚悟した方がいい。今の日本社会は障害者を保護する余裕さえない。

エル・ドマドール


アマゾンで門野晴子を探す

【関連記事】
[33]後期(長寿)高齢者医療制度
[69]障害受容するべき人々

老人ホームの裏事情シリーズ

たまごや内を検索する


メルマガで購読する

 

 

powered by まぐまぐトップページへ

このサイトを購読する

たまごやの"新着"記事

Loading...

ご訪問感謝!

創刊:2007.09.04


フィードメーター - 学校では教えない本当の社会福祉 学校では教えない本当の社会福祉|エル・ドマドール

学校では教えない本当の社会福祉 カテゴリ

新着コラム

アーカイブ

全 129 件-タイトル表示

著者プロフィール