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[128]介護レベルの低下

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あとこのメルマガも残り少なくなってきた。まだまだ言いたい事は多いが今回は前回の続きでなぜ介護のレベルが低下するのかを説明したい。

何度も言うが、これだけ福祉が社会の中で大きな位置づけを得ているにも関わらず、介護のレベルは上がるどころか下がっている。ヘルパー2級講座でも最低限の実習と学習はしているはずだし、法人や会社でも教育研修は前に比べるとはるかに充実してきた。なぜだろうか?

*競争はレベルを上げない

資本主義の論理でよく「競争すればサービスの質が良くなり、価格が下がる」と言われている。介護保険の導入時にもこの論理でサービスの質が良くなると言う有識者が多かったが、所詮は現場の事を全く分かっていない机上の空論だ。競争の意味が福祉においては全く違うからだ。福祉には競争がある分野とない分野がある。競争があるのがデイサービスやホームヘルパー、有料老人ホームなど。一方特養や老健、グループホームなど入所系施設は需要が多く競争などあり得ない。だから競争があるデイサービスやホームヘルパーなどは他社と切磋琢磨してレベルを上げているかと言うとそれも違う。実を言うと今の介護保険制度ではどれだけサービスのレベルを向上させても貰える報酬は全く上がらない。その当時のトレンド、例えばユニットケアなどを行うと介護報酬が上乗せされるがそれも微々たる額でしかも数年経てば増額の対象外になる。他のサービス業のように価格にコストを全面的に転嫁できるわけじゃないから、事業者は利益を得るためにどうしても人件費などのコストの削減に励むしかない。そもそも福祉は金がかかるにも関わらず、介護報酬が低すぎるのだ。だからドングリの背比べのような事業者ばかりになってしまう。

*雇用者に介護能力の差は見えない

俺もこのキャリアを続けて10年以上になるが、はっきり言って上司から介護を教わった記憶は少ない。なぜなら技術的になっていない上司が多いからだ。最近は特に酷い。おむつ交換一つまともにできないリーダー、主任は非常に多い。体位交換、着衣着脱介助、移動介助など介護技術はなんとかごまかせても実際の現場介護となると足手まといになる上司が多い。介護知識は研修などで小賢しい知識はあってもその知識をどう現場に生かすのか?という実践ができない。例えば認知症の老人が食事したにも関わらずに「私はまだ食事を貰っていない!!」と訴える時にどう対応するのか?このようなシチュエーションで部下から助けを求められても、殆どの上司は具体的な指導ができない。だからこそ部下から助けを求められても「自分で考えろ」と突き放す上司が多い。本当に判らないから指導ができないとは口が裂けても言えないのだ。

上司がこの様では介護レベルなんて上がるわけがない。他の業界では信じられないだろうが福祉においては介護レベルが無能でも上司が勤まるのだ。どうしてそうなるのか?それは上司に抜擢する側、つまり雇用者である経営者が介護の事をあまり判っていないのが大きい。介護は野球やサッカーみたいに明確な結果が出るわけではないし、パフォーマンスが公開されているわけではない。だからこそ上司に選ぶ基準として「体裁がいい(上司っぽく見える)」「雇用者が気に入っている」など介護と関係のない基準が用いられるわけだ。利用者やその家族だって介護者のマナーなどすぐ判る部分にはクレームを付けるが、介護の内容の優劣については判らない人がほとんどだ。介護には優劣がある。しかし、それは判りにくいのだ。

*雇用者は介護レベルを上げる気などない

雇用者が介護の本質を判っていないのも無能な上司を蔓延らせる原因の一つだが、それ以上にもっと深刻な理由がある。実を言うと、殆どの福祉の経営者は本気で介護レベルを上げる気などない。身も蓋もない言い方をすれば誰が介護しても同じだという認識なのだ。この意見に抵抗を感じる人は多いだろうが、長い介護経験からこう結論せざるを得ない。なぜなら今の福祉制度最大の欠陥はどんないい介護をしても貰える報酬は同じだからだ。これは何千万と言う入居金を取る有料老人ホームでも同じことだ。施設が満床になってしまえばそれ以上収入が増えようがない。だったら有能だが鼻っ柱の強い生意気な人間よりも組織の理念に従う(=会社の言いなりになる)従順な人間の方を上司にしたがる。

一般企業の営業やデイトレーダー、あるいはJリーガーのように稼いでくる事が大事であれば、多少組織に対し批判的でも黙認せざるを得ない。しかし、介護職はいくら能力が良くても売上に反映しない。利用者からいいケアしても「ありがとう」と感謝されても介護報酬が余分に増えるわけじゃない。だからこそ雇用者にしてみれば「介護者なんか非識字者でもない限り誰でもいい」と言うことになる。言っておくがこれは採用する時も同じだ。前にも何度も述べたが、福祉の雇用者が最も嫌がる人材は福祉のベテランだ。なまじ福祉に詳しい人よりも未経験の素人の方が採用されやすい。ベテランよりも新人の方が育てるのに時間がかかりそうだが、そんな心配は無用だ。どの福祉の職場も内心「自分の施設の教育システムで世界一だ」とさえ思いこんでいる。勿論そんなもの救いようのない幻想だが、そんな幻想を破壊する人間こそ福祉の職場が最も恐れるものなのだ。

今週もいかがだっただろうか?たまごや様でのメルマガ発行が来週で最後になる。メルマガの発行については「続けて欲しい」との意見も頂いた。だが、まだ俺自身は迷っているのが現実だ。まだネタはあるが、正直需要があるのかどうか疑問に感じる。面倒でなければ諸君の忌憚ない意見を聞かせて欲しい。

エル・ドマドール

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[127]介護の教科書

[127]介護の教科書

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今回は介護の教科書について語りたい。

俺がこの世界に入ったのはまだ介護という言葉が一般的でない時代、1990年代だった。その当時は介護という言葉も今ほど知れ渡っていない。当然のことながら介護を語った教科書やマニュアルのような書物は殆どない時代だった。その当時、介護の世界に入ったばかりの俺は本当の普通の介護というものは何ぞやと思いながら暗中模索していたのを思い出す。看護学、医学などはもう教育体制がしっかり確立されていて、きちんとマニュアルも存在していた。しかし介護は全くそういうものがなかった。老人介護に関する本はあったが、それが障害者福祉となると全滅状態だった。何でもマニュアルや教科書に頼るのは感心しないが、全く教科書も何もないよりかはマシかもしれない。

しかし、現在は介護という言葉を知らない人はいないぐらいメジャーになった。そしてちょっと大きい本屋に行けばいくらでも介護に関する教科書は平積みになるぐらい売っている。ヘルパー2級の講座に申し込めば丁寧に編集された教科書を貰えるだろう。企業や法人によって独自の研修や講義を行ったりして、措置福祉の時代に比べるとかなり教育に関しては充実してきた。

だが、それだけ教育環境が整っていてもなぜか介護のレベルは全く俺が入った時代と比べて全く上がっていない。それどころか介護のクオリティーはどんどん下がる一方なのだ。なぜだろうか?

今「新しい介護」など介護の教科書はいろいろあるが、俺はこれらの介護マニュアルについてはこのように思っている。

「参考にはできるが、絶対性を持たせるのは禁物だ」

言っておくが俺はこの類のマニュアルを全面否定するつもりはない。ただ何でもマニュアルが正しいと教条的になるのは良くないと言いたいだけだ。この本には致命的な欠陥があるからだ。俺がこの類のマニュアルに疑問を抱く最大の理由は「所詮現役に勝てるわけがない」からだ。例えば王貞治は日本野球で一番ホームランを打った打者だが、今現在ダルビッシュ有と勝負してホームランを打てるだろうか?無理に決まっている。この類のマニュアルを書く人々はかつて介護現場にいた事はあるだろう。しかし、今現在介護をしているのだろうか?介護をしていると言っても、人前で講演したりパソコンに向かっている時間の方が長いだろう。現場に現在も深く携わっていないと、どうしても現場の介護観や介護感覚が鈍ってくる。この類のマニュアルの致命的な欠陥はまさにそれなのだ。

そしてマニュアル本にある介護方法の中には誤りも多い。それはこれから版を重ねることに修正されるとしても、最大の誤りは利用者の恐怖感を全く計算に入れていない事だ。モデルが健常者ではリアルな介護される側の恐怖感をマニュアルに反映する事は出来ない。実際介護をやっていればトイレや風呂で介護バーを握りしめて離さない利用者はいくらでもいる。彼らににどうやってバーを離してもらうのか?その状況でこそマニュアルが必要だが、マニュアルの執筆者が接する利用者は物わかりのいい利用者ばかりなのだろう。その状況を解決する方法は載っていない。ちなみに利用者がバーを強く握って離さない場合は親指を外してから残りの4本の指を外すのが鉄則だ。

そもそも介護現場はマニュアルにありがちな一つの型で介護できるほど単純ではない。同じ利用者でもその能力、その時の体調、障害、またその時に抱く感情で介護の方法は驚くほど変わってしまう。一応基本はあるが、それをどう状況にフィットさせるかが大事なのだ。

例えば手引き歩行。文字通り利用者の手を引いて歩くことだが、この手引き歩行は利用者によっては危険な介護方法になる可能性がある。利用者が後ろにバランスを崩しても受け止める事ができないし、バランスを崩した時に無理に立て直そうとして腕を脱臼させる事もある。だが、人によっては介護者に腕を持ってもらう方が安心する人もいるのだ。ベストな介護方法はマニュアルではなく利用者によって決まると言うことだ。つまり介護者には利用者の状態に合わせた様々な介護方法の引き出しが必要なのだ。

「利用者本位の介護をする」と立派な事は言えても、実際にはマニュアルの鋳型に強引に利用者をはめようとする頑固者がこの業界には多い。だが、それでも最近になって福祉の教育体制が整ってきたのは確かだ。しかし、現場にいる俺には介護のレベルは上がるどころか下がるばかりだ。どうしてだろうか?それは他に原因がある。次週はその点を語ろう。

さてこのメルマガも今月で最後だったが、いかがだっただろうか?先週もお願いしたがこのメルマガに関するご意見を募集している。このメルマガに対する需要があれば、続けるにやぶさかではない。正直なご意見を頂ければ嬉しい。

エル・ドマドール

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[90]利用者を鋳型にはめよ

[113]ペーパーワーク

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社会福祉施設や介護事業所などで働いているとどうしても書類作業というものがある。ケアプラン、業務日誌、ケース記録、介護記録、看護記録、申し送り簿などや利用者が怪我した時に書く事故報告書などあまり書きたくないものまで書くことがある。福祉の事をあまり知らない人はヘルパーや介護職は介護ばかりしているイメージがあり、記録物を書くところはあまり想像できないかもしれない。だが、そのイメージとは裏腹に社会福祉関係者とは極めて記録物を書くことが大好きな人種だ。

事務職の人間ならペーパーワークが多いのは納得できる。しかし、介護が本業であるはずのヘルパーがペーパーワークをこなす姿は少し意外 かもしれない。だが予想に反し、彼らの記録物への執着ぶりはなぜか病的なものが多い。先ほども言ったが、福祉関係者は記録を至極大事だと考える人種だ。中には記録に熱中するあまり、本業の介護をないがしろにしている福祉関係者は少なくない。職種や分野によるが、中には介護をしているよりもパソコンや書類に向かっている時間の方が長い介護職も少なくない。特に老人福祉分野では介護保険制定後は書類作業がか なり増えた。おそらくデイサービスなどを除き、ヘルパーが老人利用者とじっくり話す時間は1日1時間いや30分もないだろう。ただでさえ、介護や作業などで利用者と話す時間は少ないのに、更に記録する時間がコミュ ニケーションの時間を奪う。

「利用者との信頼関係」などよく口にする福祉職員はいるが、皮肉なことに介護職員ほど人の話を聞かない人種はいない。健常者の話もろくに 聞こうとしないなら、障害者や認知症老人の話など初めから聞く価値なしと決めつけている。勿論、介護や記録に追われてゆっくり話を聞く時間がないと言う理由もあるが、どちらにしても利用者の話をろくに聞かないことは同じだ。この態度で信頼関係などとよくそんな事が言えるものだと感心する。

介護保険制定後、利用者本人やその家族の権利意識も変わり、介護記 録の閲覧を求める人も増えてきた。また都道府県の指導のせいでもあるが、施設や事業者側も利用者とトラブルになった時に備えて記録物をきちんと職員に書かせる風潮が強い。そして、一般の人々や家族も記録物がきちんと丁寧に大量に書かれてあれば、介護もきちんとしていると思い込む傾向が強い。また現場でも記録物を大量に書く職員ほど人事面で優遇されやすい現実がある。だが、ここではっきり言うが事実は全くの逆だ。

記録物がきちんと正確に大量に書けると言うことはその分介護に直接関わる時間は減っているということだ。ヘルパーは弁護士でもなければ、行 政書士でもない。逆に言えば、きちんと仕事をするヘルパーは記録には時間をかけられないと言うことだ。だから、皮肉なことに介護をよくするヘルパーほど低く評価される傾向がある。そしてこれは利用者の家族も同じように解釈する傾向が強い。介護記録やケース記録を利用者や家族に公開する施設は増えてきているが、そこでも記録されている内容が少なかった り薄かったりすると、「ウチの親はろくな介護を受けていないのでは?」と誤解する人が少なくない。

昔ながらの施設はペーパーワークは今と比べてかなり少なかった。一日に何をしたか?例えば「午後は気分が悪いと言って居室で休む」など大雑把な記録だった。しかし、今は違う。施設によれば一日単位ではなく、時間単位で何をしていたかということも書かなければならない。その日の食事量や排泄の回数なども含まれているところもある。施設によって記録の形式は違うが、共通していることが2つある。一つ目はペーパーワークの増加に伴いパフォーマンスの質が低下していること、そして記録の質が下がってしまっていることだ。

パフォーマンスの低下は前述したように、単純な話だ。要は記録の時間が増えれば当然のように介護にかける時間を減らさざるを得ない。介護保険以後、介護は社会化されて来た。そしていろんなメディアで介護は話題になり書籍も増えたはずだが、現場レベルでは介護レベルは明らかに凋落している。それはいろんな原因があるが、現代的な記録を重視する介護が影響しているのは間違いない。この矛盾を解決するには「職員を増やす」というオプション以外あり得ないが、それは殆どの経営者も直視しない。

パフォーマンスの低下はともかくとして後者の記録の質の低下は意外かもしれない。だが、これはどこの福祉の現場でも同じだ。矛盾するようだがペーパーワークを重視するあまり、現代介護は記録物の質も著しく低下している。

今では考えられないが、俺が学生の実習生の時は実習日誌を施設に提出する時は誤字脱字を厳しく添削された。せっかく苦労して書いた日誌が返ってきた時には真っ赤になっていたこともある。これは介護する人間はヘルパーである以前にきちんと利用者に範を垂れる社会的人間であるべきだという信念の表れだった。 そこには字ぐらい正確に書けないような無教養な人間には他人の人生に影響を与える仕事をするべきではないという福祉のプライド、矜持があった。しかし、今は全く違う。実習生の誤字脱字を指摘するどころか、職員の記録物の方が誤字脱字だらけの事も珍しくない。要求される記録物が増えた現代介護では、例え誤字脱字だらけでも指摘する時間も修正する時間もないからどうしてもきちんと字も書けない職員が量産されてしまう。そして彼らが上司になると、職員のレベルはもっと低下してしまう。

記録物の質の低下は他の深刻な問題を引き起こす。そもそも文字を書く目的は何だろうか?答えは情報を伝えるためだ。 現にその目的のためにどこの職場でも変更点を伝える連絡帳みたいなものがある。しかし、何でも書きたがるために連絡事項が洪水のように増えてしまい、逆に浸透させたい情報がヘルパー全員に伝達できないという皮肉極まりない事態を招いている。きちんと読んだかどうか印鑑や署名をする欄があるが、そんなもの量が多すぎて「めくら判(差別用語だがあまりにも表現が適切だ)状態」になってしまうのだ。

現代介護はどこでも記録を重視する。だが、それは介護の質を低下させ、皮肉なことに職員のインテリジェンスを奪ってしまう。一見充実した介護記録はいい介護をしてそうに見える。しかし、それはまさしく堕落した介護を糊塗するための手段なのだ。

エル・ドマドール

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[10]フィジカル

[110]マーセナリー(下)

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先週は派遣がいかに危険なものか強調した。もう一度強調する。派遣はやがて家を食いつくし破壊してしまう白アリと同じだ。派遣は「利用される」存在だと見下している人が大部分だろうが、派遣を甘く見ると痛い目を見る。かつて西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケル同様、派遣に依存すれば組織自体を破壊されてしまうだろう。俺の主張を派遣への大げさな偏見と思う人もいるかもしれない。今回は派遣がなぜ危険なのか?その具体的なデメリットを解説しよう

(1)技術の低下

これはすでに製造業でも同じことが起きている。介護の現場でも同じだ。でもほとんどの派遣を雇う側は技術の低下を招くことを認識していないから困りものだ。例えば介護現場で副業のアルバイトで働きたいと応募するとほとんどの施設はそれを嫌がる。その理由を問われると必ずこんなことを言い出す。

「個別個別の利用者によって介護の方法は千差万別だから覚えるのに 時間がかかるし、腰かけ程度の気持ちじゃ勤まらない。利用者の命を預かる介護施設はそんなに甘くない」

確かにその内容は正論だ。しかし、それならどうして派遣は雇うのだろうか?アルバイトの副業は駄目で派遣はいいなら二重基準もいいところではないか?派遣職員の中には複数の施設を掛け持ちしている人もいる。

それはなぜOKなのか?これは福祉産業に従事したことがない方にはわかりにくいかもしれないが、介護においてまず「即戦力」はあり得ない。例え10年の介護経験があっても、未経験の新しい施設に来たヘルパーは初心者同様まず使い物にならない。なぜかと言うと、利用者が変わるとそれまでの仕事のやり方も一から覚えなおさないといけないからだ。そこの施設の介護方法、利用者ごとに違う対応を覚えるだけでひと月ぐらいは簡単に過ぎる。慣れるまではベテランと同伴だから、1か月ぐらいは殆ど戦力にならない。これでどうやって派遣が即戦力になり得るだろうか?それどころか派遣職員の場合は下手すると1,2回の同伴で独り立ちさせられる事がある。勿論指導が不十分なのは承知の上でだ。技術的にも未熟なままで現場に放り込まれて、下手すると介護事故が頻発する可能性もある。これだけでも危険すぎるが、技術の低下は正規の職員も含まれる。派遣がいると、生え抜きの職員のレベルも低下させてしまうのだ。その理由を一言で説明するのは難しいが、それはこれからの文章を読んでいけばおのずと分かるだろう。

(2)モラルハザード

先ほども少し言及したが、派遣が入ると施設全体のモラルハザードが起きる。どの経営者も目に見える数字には注意するが、案外目に見えない事には注意しないものだ。このモラルハザードは緑内障のように誰も気付かない内に進行してしまうから恐ろしい。

なぜ派遣が入るとモラルが低下するのか?

それは派遣を雇うこと自体が施設や事業所の安易なずるさや怠慢さ、不道徳さの表れに他ならないからだ。今の日本社会では派遣を雇うこと自体、当たり前のように思われているが、ここで俺ははっきり言っておく。派遣は現代の被差別部落制度もしくはカースト制度だ。これほど不道徳でモラルに反したものはない。雇用者がこんな不正な事をしていて、働く側がきちんと働くことを期待する方がおかしい。派遣が入った後の職場のモラルは間違いなく崩壊に向かう。備品や金銭の横領が蔓延り、嫌な仕事を派遣に押し付ける職員が出始める。疑心暗鬼やストレスにより派遣をターゲットにした職場内でのいじめやモラルハラスメントなどが起こり、人間関係も険悪になっていく。こんな状態では利用者の事など置き去りだ。

派遣だってモラルを維持することはできない。一般企業では派遣社員が個人情報を流出させる事件があった。個人情報の保護といくら言っても事務で派遣を使う限り、派遣が個人情報を見る機会はいくらでもある。福祉でも同じだ。利用者情報など派遣で働いていたらいくらでも手に入る。冷遇されている派遣職員が魔が差したとしても責められようか?派遣を雇用する方が悪いだけだ。

(3)士気の低下

どこでもそうだが外部委託をしている施設、派遣がいる施設は必ずモチベーションの低下を招いている。そしてモチベーションの低下は必ず施設全体のパフォーマンスの低下を招く。以前にはできていたことができなくなってしまうのだ。冷遇されている派遣社員が士気が低いのは仕方ないかもしれない。しかし、派遣が来ると必ず生え抜きの職員の士気とパフォーマンスも低下してしまう。なぜだろうか?

簡単に言えば競争原理がなくなってしまうからだ。身分が下の派遣社員がいれば、正規職員はいろいろ楽ができる。嫌な仕事は派遣に押し付ける事ができるし、組織での地位も最低でも派遣よりも上だから安心だ。こんなぬるま湯の環境では正規職員は堕落してしまう。頑張っていい成果を出そうと努力をしなくなるのだ。現に一般企業でも業績が悪くなると、まず派遣を切って雇用調整している。しかし、これでは正規職員は頑張らなければ蹴り落とされるという緊張感を持つことができないだろう。

そしてそのようなアンフェア極まりない「身分制度」のある組織はどうなるのか?それは歴史でも明らかなように活力がなくなり、衰退を招いてしまう。うまくいっている組織がどんなものかと言えば、それは実力さえあれば誰もが公平に報いを受けることができる「機会の平等」を保障された組織なのだ。

ここまでかなり長くなってしまった。この続きはまた来週にしよう。

エル・ドマドール

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今回のテーマはマーセナリーである。これは英語でmercenary、つまり傭兵のことである。平和な日本に傭兵など関係ないと思うかもしれない。しかし、介護業界にも傭兵がいる。それは派遣会社から派遣されてくる介護職のことだ。一般社会では派遣切りに代表されるように派遣社員は必要不可欠だが、介護の現場でも派遣ヘルパー、派遣看護師、派遣ケアマネージャーは 珍しくなくなっている。今回はこの「傭兵」=派遣について語ろう。

いきなりだが、ニコロ・マキャベリの君主論を読んだことはあるだろうか?よ政治家などが上手にずる賢く振る舞う処世術の本だと解釈されているが、それだけではない。マキャベリは君主論の中で傭兵についてこんなことを書いている。

「国の防衛を傭兵に頼ってはならない。国家を守れるのは愛国心あふれるその国の国民である」

彼は傭兵に頼りすぎると国家の弱体どころか破滅を招くと主張したのだ。確かに歴史でも西ローマ帝国はオドアケルという傭兵に滅ぼされた。傭兵は軽んじられてることが多いが、その役割は決して馬鹿にできない。

この主張はそのまま派遣社員にも通じるものがある。俺もここで改めて断言したい。もし家族もしくはあなた自身が福祉施設に入所するなら派遣が入り込んでいるところ、もしくは派遣がすでに大きい影響力を持っている施設はやめたほうがいい。派遣介護職はやがて家を食い倒す白アリと同じだ。彼らは雇い主の福祉施設を蝕み、内側から職場を破壊してしまう。だが、これは派遣で来る介護職員が悪いわけではない。あくまでも彼ら派遣を雇う側が一番問題がある。施設が抱える重大な問題にきちんと向き合おうとせずに安易に派遣で乗り切ろうとする事こそ改めなければならない。

世間では派遣社員をしていると言えばどちらかと言えば「派遣社員=かわいそう」と思われることが多いだろうが、派遣がいることにより施設側が受けるダメージの方も計り知れない。しかし、目先の利益に目がくらんだ馬鹿な法人や会社はその甚大なデメリットも省みずに派遣を雇おうとする。

そもそもどうして派遣を使うのか?それにはいろんな理由があるだろうがおもにこれらの2つがメインだ。

(1)職員の離職率が高く、安定した人材供給を行うため
(2)人件費を下げるため

(1)の理由はそもそも派遣に頼らなければならないほど離職されること自体が問題だ。そんな職場は待遇面や人事評価、経営方針や経営者のモラルなどに重大な欠陥があることを省みずに派遣に頼っても同じことの繰り返しだろう。一時的な人手不足を解消するために期間限定で派遣を使うというのであればまだいいが、惰性で派遣を使い続けるのは絶対駄目だ。

(2)はそもそも非常勤職員も多く、正規職員にしても人件費がそんなに高くない福祉業界ではどのぐらいの圧縮効果があるのか疑問だ。ましてや目先の利益にこだわって派遣を使って人件費を安くあげても、それ以上に派遣で失うものが多いことを強調しておく。

どうしても派遣を使うのであれば、まだ同じ一人の人がフルタイム職員のよう
に来るのであればまだいい。しかし、

(a)5、6人の職員がローテーションで来る。
(b)夜勤や早出などの代わりがきかない重要な業務をやらせている。

(a)、(b)両方の条件が当てはまる場合はかなり要注意だ。それはもう派遣ではなく外部委託になってしまっている。この外部委託状態になったら相当派遣会社や派遣社員に相当の煮え湯を飲まされることを覚悟したほうがいい。西ローマ帝国を滅ぼしたオドアケルの出現だ。

俺が体験した事例だ。俺がかつていた施設の特養部門では夜勤1人と早出1人に派遣を使っていた。派遣社員自体も全く福祉は未経験だと言う人もかなりいた。そのため仕事は全くできないわ、熱意やモチベーションに欠けるわで全く使い物にならない人もいた。元々派遣で来ているというだけで風当たりが強いのに仕事ができないのではどうしても職員も冷たく当たってしまう。

そのような状態が続いてその派遣社員も嫌気がさしたのだろう、突然無断欠勤をした。しかも夜勤の日にだ。福祉施設に勤めている人なら想像つくだろうが、夜勤に入るべき人間が来なかったり休まれたりすると大変なことになる。普通の日勤なら代わりがきくが、夜勤や早出となるとそう簡単には代わりは見つからない。しかも、無断欠勤だから何の対策もできないし、代わりの夜勤者も見つからない。

当然上司は派遣会社に抗議し、代わりの夜勤者を派遣するように求めた。派遣会社は一応謝罪はしたが、代わりの夜勤者を出すことはできないと暗に「そっちがなんとかしろよ」と言わんばかりの対応だった。この不誠実な対応に上司はキレる。なぜなら派遣が職場放棄するのはもう3回目だったからだ。だが、言い合いをしても結局代わりは見つからない。そこで日勤者にそのまま疲れた体で夜勤を続けてしてもらった。派遣が3回も無断欠勤されてさすがに職員もたまらない。次々に「派遣を切り捨てて、職員だけでシフトを回すべきだ」と怒りの声が上がるようになった。

しかし、上司にはそれは無理な注文だった。先ほどの口論の際に、上司はすでに派遣会社にいい加減派遣してくる職員の質を上げないと契約を更新しないかもしれないと暗に脅迫した。しかし、派遣会社の返事は驚くべきものだった。それなら明日から派遣を全員引き揚げると逆に脅迫されたのだ。

派遣会社の浸透は毎日の夜勤一人と早出一人と重要な位置に食い込んでいた。今から派遣を切り、職員を雇って夜勤一人と早出一人をきちんと一人前にやらせるにはトレーニング期間を含めて優に3カ月ぐらいはかかってしまう。そんな余裕はなかった。上司はこの時派遣会社と施設との力関係が逆転した事を認識せざるを得なかった。派遣会社はすでに施設側がすでに切れに切れないくらいずっぽり派遣に依存しきっていることを見抜いていた。だから、施設の足元を見て弱みと突いてきたのだ。派遣会社が施設より一枚上手だったのだ。

現代版オドアケルに滅ぼされかけている施設を紹介したが、いかがだっただろうか?派遣を使えば施設は白アリに食いつくされるように蹂躙される。傭兵に頼りすぎると国は滅んでしまうというマキャベリの教訓はここでも生きている。次週は派遣を使えば具体的にどのような不利益が生ずるか解説しよう。

エル・ドマドール

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