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[123]プリズンブレイク(3)

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このプリズンブレイクも3週目に入った。前回俺は事例を出して、プリズンブレイクに対する福祉関係者の対応の甘さを指摘した。何度も言うがプリズンブレイクを許すのははっきり言って施設側の怠慢以外の何物でもない。利用者が転倒して骨折するなどは状況によりけりだが、一概に施設が悪いとは言えない側面がある。しかし、無断外出についてはもう施設の責任と言う他ない。「施設側も無断外出されないように努力している」と弁護する人もいるだろう。だが、前号でも語ったようにあんなもの努力とは言えない。それにバンクーバーオリンピックではないがこの世界も結果が全てだ。利用者にプリズンブレイクを許し不要なリスクを負わせた事実を厳粛に受け止めなければならない。

そして無断外出を防ぐ方法だが至極単純だ。物理的に言えば刑務所並みに周囲を塀で囲み、玄関を施錠すればいい。刑務所並みというのが抵抗あるならせめて玄関の施錠をきちんと行えばいい。だがこんな簡単な事さえできないのが福祉だ。俺は無断外出を許した施設には何らかの罰則を科すべきだと思っている。そうでもしないと施設はプリズンブレイクを無くす努力をしないだろう。

プリズンブレイクを防ぎたければ出られる玄関を施錠すればいいだけの事だ。だがそれがなかなか徹底できない。前号で例に出した馬鹿施設のように完全に出入り自由にしている施設はさすがに少ない。内側から出る時はナンバーロックで施錠され、外側からは自動ドアで開くようになっているところが多いだろう。しかし、これだと外部から業者や面会者が来た時に入れ違いで利用者が出てしまうのは防げない。だったら外側も施錠して、外部から来客が来た場合はインターホンで対応すればいい。だがそれがなかなか実践できない。物理的には費用はかかるが、それほど困難な事に思えないだろう。これは福祉関係者のエゴの問題が大きい。

この業界に関係のない読者諸兄には理解しがたいが、福祉は当事者たちのエゴがあらゆる場面で災いしている事が多い。福祉関係者はどうしてもその職業の性質上、理想主義的な人が多い。彼らにとって刑務所のように施設が施錠されて、厳重に管理されている現状は受け入れられない事が多い。ましてや外部の人間に「お宅の施設は刑務所みたいだね」と言われると到底我慢できない。だから厳重な施錠管理に抵抗するわけだが、それならそれで玄関に警備員を置くなりしてきちんと無断外出がないようにすればいいだけだ。しかし、多くの介護施設は経済的に厳しいため「門番」を置く余裕がない。きちんと玄関の出入りを管理できないなら施錠をするしかないのだが、それにも抵抗する。

じゃあどっちなら満足するんだ?と非難されそうだがそういう歪んだメンタリティが福祉職員なのだ。施設の目的は利用者を人間らしく満足した人生を送ってもらうこと。笑顔で過ごして欲しいなどなど理想を語る福祉関係者は実に多い。施設の現状はあまりにも非人間的で職員の中には「自分が要介護状態になってもこんなとこには入りたくない」と言う人が多い。しかし、理想を語るなら最低限の義務は果たしてからのはずだ。利用者の安全を守る。利用者を行方不明にしない。これは刑務所のようなダメ施設でもできる事ではないのか?確かに現在の施設の中での生活はとてもじゃないが人間的とは言えるものではない。だが、空虚な理想を守るために利用者を行方不明にしてしまうのはもっと非人間的ではないか。

プリズンブレイクをされるのは施設側の責任だが、その根源をたどれば、そこの職員の歪んだプライドや理想主義の問題とも言える。何度強調しても強調し足りないが、福祉関係者の多くは理想に固着するばかり現実を直視できない人々が多い。この事はまた稿を改めたいが、利用者に一番の脅威は福祉関係者の歪んだエゴや現実逃避性かもしれない。

エル・ドマドール

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前回は利用者が施設から無断外出して行方不明になり、家族が施設を訴えた事件を紹介した。福祉施設では利用者が無断外出する事件が少なくない。しかし、現場の職員はある程度は仕方ないと容認してしまっている現実がある。本当にプリズンブレイクは仕方ないのだろうか?それを議論する前に俺が体験した事例を話そう。

俺がかつて勤めていた施設であった事例だ。その施設も他の福祉施設同様玄関にはナンバーロックがあり、暗証番号を正しく押さないと内側から出られない構造になっていた。ある日のこと、管理職の誰かが会議でこんな提案をした。「ナンバーロックをしているのは解放感がない。玄関の施錠を止めて開放的な施設を地域にアピールしてみてはどうか?」

よく考えれば無謀もいいところの提案だが、愚かにも早速実行されることになった。だが1ヶ月後結果は見るも無残だった。たった1ヶ月の間になんと10回も無断外出を許してしまったのだ。

何度もプリズンブレイクを許すこの施設に周囲も次第に非難を浴びせ始める。警察からは「またお宅の施設ですか?一体なんでそんなに無断外出が多いんですか」と呆れられ、

家族からは「ウチの母親が出て行くのは判っているのに何をしているんですか!」「何度も何度もなんで行方不明になるんですか?」「もし事故にでもあったらどう責任とるんですか!?」となどと怒鳴られた。

だが、理想に執着する管理職たちは自分たちの過ちを認めたくないのか、嫌な事は考えたくないのかそれでも頑なに玄関解放を続けた。しかし、とうとう11回目の無断外出を許すとさすがに本社も黙っていなかった。本社から「これ以上無断外出を許すなら降格にする」と大目玉を食らい玄関解放はやっと中止になった。

どうして1ヶ月で10回ものプリズンブレイクを許したのか?実を言うと一ヶ月前の玄関解放を決めた会議の際にも「無断外出する利用者はどう対処するのか?」という疑問が出た。その時は玄関の近くには事務所があるんだから事務所の人が見つけて対処すればいい」と具体的な対策を曖昧にしていたのだ。

その頼みの綱の事務所は電話応対や来客中の時は当然のことながら玄関から出て行く人を一人一人チェックする余裕はない。玄関に見張り役の職員を常時置くなど具体的対策を定めないのが原因で10回ものプリズンブレイクを許してしまったのだ。そもそもこの提案をした管理職は「開放的な施設」をアピールして出世したいと自分の野心に夢中だったのだろう。細かい対処法を考えようとしていなかった。

この事例についてどう思うだろうか?「仕方がない」と施設側を擁護する気になれるだろうか?これは決して少数派の馬鹿施設の出来事ではない。無断外出を何度も起こす施設は得てしてこんなものだ。「利用者の命や人生を預かっている」などと口では偉そうに言っても、行動はいい加減で無責任なものだ。ここではっきり言うがプリズンブレイクを許すのは施設側の怠慢以外の何物でもない。 こんな事を言うと福祉関係者は嫌な顔をするが本当の事だ。「怠慢」という言葉が厳しすぎるなら、理想と現実の区別が付かない愚かさが招いた悲劇と言えるだろう。

そもそも無断外出されることがどういうことなのか多くの福祉関係者は判っていない。ごくごく当たり前の事だが、利用者の無断外出とは事故や大怪我、最悪の場合死亡につながりかねない危機だ。だがそれ以外にも問題はある。外出時は金銭など持っていない事が殆どのため、空腹を感じたら何をするか?店に入って食品を手に入れようとトラブルになり、店員に暴行を働いたらもう目も当てられない。福祉関係者からすれば「障害者だから仕方ないじゃないか」と考えるかもしれないが、店側にすれば単なる万引きを働く犯罪者だ。こういうトラブルこそ障害者が社会から排斥される原因になるのだ。多くの無断外出事件は特にトラブルもなく、利用者が見つかることが多い。しかし、少ない確率でも無断外出は事件や事故に発展する可能性を秘めている。こういうリスクを最低限度に抑えるのが自分たちの仕事のはずだ。しかし、何度もプリズンブレイクを許す福祉関係者は無断外出の危険性を非常に甘く考えている。こんないい加減な連中が大口を叩けるのが福祉なのだから恐ろしい。

来週もプリズンブレイクの続きを語ろう。次回はどうすればこんな事態を防げるのか語りたい。

エル・ドマドール

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先日面白い記事を毎日新聞で見つけた。福島県にある特別養護老人ホームで女性利用者が無断外出して、そのまま行方不明になったのだ。毎日新聞の記事を引用したい。

「女性入所者が失踪(しっそう)したのは施設側の管理と注意の不足などとして、家族らが伊達市月舘町御代田の特別養護老人ホーム「星風苑」を運営する社会福祉法人「慈仁会」(星野俊一代表理事)を相手取り、2900万円の損害賠償を求め、福島地裁に提訴した。訴状によると、女性は07年5月19日午後1時40分ごろ、同ホームの正面玄関を出たまま行方不明になった。認知症で徘徊(はいかい)や無断外出を繰り返していたのに、施設側が外出防止の装置を設置せず、行動も注意しなかったのが原因という。星野代表理事は「反論は差し控えたい」とのコメントを出した」(2010年1月26日)

この記事を読んだ後、俺はすぐに迷いなくテーマを某有名テレビドラマから拝借した。不謹慎なようだがこのテーマほど今回の議論にふさわしいものはない。施設から無断で脱獄・・・もとい外出しようとする利用者は実に多い。どの施設も年に2,3回は無断外出騒動が起こる。無断外出した利用者が無事に帰ってくるなら最初から騒動にならないが、脱走したがるのは大抵は判断力や記憶力に重大な問題がある認知症老人だ。勿論そのままでは帰って来られないから脱走が判ると施設中が蜂の巣を突いたような騒ぎになる。職員総出で1,2時間捜索しても見つからない場合は恥を忍んで警察に通報するわけだ。

大抵は半日かせいぜい24時間ぐらいで無事発見されて一件落着となる。老人の場合は行動力もたかが知れているから短時間で見つかりやすいが、行動力が健常者と変わらない知的障害者の場合は大変だ。なまじ知能が高く外見も健常者と変わらない知的障害者の場合は1ヶ月近く帰って来ないケースもある。そして最悪の場合、上の記事にあったようにそのまま帰って来ないケースもあり得るわけだ。当然察しの通り帰って来ないと言うのは利用者が死亡した以外考えられないだろう。

実を言うと利用者が無断外出して二度と帰って来ないケースは今まで無い訳ではない。俺が知っているだけでも数件聞いたことがある。利用者が施設から無断外出して行方不明になった・・・となればテレビや新聞で報道されるはずだと思うだろうが、なぜかどのメディアもその類の話は取り上げたがらない。上の毎日新聞の記事もなぜか全国版ではなく地方版でしか見られない。俺はここに福祉に対する社会の本音が見えるような気がしてならない。

施設をはじめ福祉業界は自分たちの過ちや恥部は知られたくない。マスコミも福祉団体や世論を刺激したくないのかそれとも報道価値がないと見なしているのか。家族も本人の安否よりも世間体が大事なのかそれとも障害を持つ人間は家族の中からいない方が都合がいいと見なしているのだろうか?判っているのは行方不明になった利用者を本気で心配する人間など誰もいないことだ。障害者や高齢者に優しい社会これからは福祉の時代と美辞麗句をのたまっても、いざとなれば行方不明になった利用者は簡単に見捨てられるのだ。

社会がタブー視する背景がある中で、このような事件が新聞記事を飾るのはかなり珍しい。しかも家族が施設を訴える事件は初めて聞いた。俺は訴えたこの家族に敬意を表したい。愛する家族を行方不明にされたら誰でも怒りに震えるだろうが、今まで裁判に実際に訴えるまでは行かなかった。敢えて困難を背負い裁判に訴えた勇気は評価されるべきだ。

この裁判がどうなるかはまだ判らないが、介護施設ではこのような「プリズンブレイク」が珍しくない。しかも何度も同じ事が起きている。介護職員の中には仕方がないと思っている人は少なくない。だが本当にこれらの事故は「仕方がない」で済むのだろうか?次回はその点を検証してみよう。

エル・ドマドール

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[114]利用者に敬語を使う理由

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前回ペーパーワークについていろんな話をしたのを覚えているだろうか?現代介護の特徴としてとにかくペーパーワークの増加が挙げられるが、それは介護の質の低下と記録の質の低下をもたらしていると書いた。今回は前回では言及できなかったペーパーワークの別の一面について語りたい。

現代介護の記録物を読んでいると否が応でも目に入ってくるものがある。それはあまりにも過剰で大げさな独善性のために読んでいて時に吐き気を催すこともある。例えばこんな具合だ。

「血圧測定をさせて頂こうとするが拒否される。また体調が悪く食堂に来れないため、朝食を召し上がられない。一日通して不穏でおられる」

読んでみると、すぐにあまりにも回りくどく冗長で読みづらいことが分かるだろう。ちなみにこの文章には少なくとも4ヶ所敬語と日本語の誤用が見られる。現代介護になってから、このような文章が増えた。敬語と使った文章を書きながら誤用しているのは相手に対する侮辱もいいところだが、書いている本人に悪気がないのが性質が悪い。

敬語を使うのも利用者に見せることを前提としたケアプランや契約書などの類のペーパーワークなら止むを得ない。しかし、業務日誌や介護記録などは見せることを前提としていないはずだ。勿論最近は利用者やその家族が介護記録の閲覧を希望する場合もある。しかし、それでも介護記録や業務日誌は敬語で書くべきではない。それはあくまでも介護記録が事実を客観的に直視して、何が起きたのか後で分析するものだからだ。

敬語は客観性から程遠いものだ。

俺がこの世界に入った当時は記録の書き方についてこんな原則を教育された。

(1)現在形で書く
(2)事実のみを書く。主観的な判断はしてはいけない
例(我がままを言う→~と言う)
(3)敬語は使わない

昔は記録物はあくまでも事実を客観的にまとめるために存在したが、今の記録物は全く違う。今の介護記録は敬語のインフレーション状態だ。しかも上の例文のように間違った敬語を使っているのだから馬鹿馬鹿しい。俺はどうして介護記録に敬語を使うのかヘルパーたちに聞いてみたことがある。

「そりゃ、お年寄りや利用者には敬意を表すのが当然ではないですか」

絵に描いたような優等生発言だが、俺はここに当人たちの差別意識を感じてしまう。 そもそも高齢者だと言う理由で尊敬しなければならないとは何なのか?尊敬を強要しなければ差別意識を隠せないと言っているのと同じではないか。わざわざ客観的であるべき介護記録にまで字数を増やして敬語で書くのはそれだけ利用者の事を軽蔑しきっていることの表れだ。障害者や高齢者を差別している自分の醜い姿に贖罪符を与えるために敬語で無理に介護記録を書こうとするのだ。

醜い二重基準だがこの態度にはまた別の弊害がある。記録物の目的は客観的に行ってきた介護や事実を見直すことにあるが、敬語で記録を書くとそれが困難になってしまう。職員に自分の醜いエゴや差別心を自省させる自己啓発の機会を阻止して、ネガティブなことから目を反らす現実逃避を助けてしまうのだ。

俺は敬語で記録を書くこと自体反対だが、それでもなお敬語を使って記録を書かせたがる頑固施設が殆どだろう。だが、それならそれで間違った敬語が氾濫している現状はどう考えるのだろうか?よく言葉遣いの指導などは聞くが、正しい日本語として敬語の使い方を教育する施設や事業所は全く耳にしたことがない。間違った敬語で利用者に文章を提出するなど、それこそまさしく文字通りの慇懃無礼ではないのか?結局彼らの「高齢者には敬語を使うべき」と言う主張は所詮口だけの偽善なのだ。もしくは介護業界は無教養な人間ばかりで敬語の誤りに気付かないのだろう。

前に言ったことがあるが、俺は元々日本語教師を志望していたことがある。そのため、日本語の誤りには敏感なところがある。上の間違った敬語の例文だが、正しい敬語と日本語の使い方を教えておく。福祉のテーマからは離れてしまうが、最低限の社会的人間としての教養を身につけるのもいい介護士の資質だと思ってほしい。

「血圧測定をさせて頂こうとするが」

これは最近よく聞かれるパターンだ。「さ入れ言葉」と勘違いされるが少し違う。「~させて頂く」とは元々誰かから頼まれて、その要望に答える時に言うものだ。この場合、この利用者が「血圧測定してほしい」と要望すれば間違いではない。しかし、相手が何も要望していないのに「させて頂く」と言うのは押しつけがましく聞こえる。「扉を閉めさせて頂く」「司会を務めさせて頂く」と言うのも同じ類の誤りだ。

「食堂に来れない」

これはいわゆる「ら抜き言葉」だ。ら抜き言葉は可能の意味をもつ「~られる」(食べられる、見られるなど)から「ら」だけを抜いた表現だ。文法上は誤りだが、もう「ら抜き言葉」は日本社会に定着していて誤りとまでは言えないかもしれない。現に60代を中心とした前期高齢者の中にも「ら抜き言葉」を抵抗なく使う人も多い。だが、高齢者施設に勤めるなら「ら抜き言葉」ぐらいは分かっていてほしい。

「朝食を召し上がられない」

これは二重敬語。「召し上がる」だけで尊敬語なのにさらに尊敬の助動詞「~られる」を付け足している。よくテレビでも皇室関係を語る時によく耳にすることが多い。丁寧な印象を与えられるかもしれないが、尊敬語は二重に使っても美しくないばかりか単なる無礼だ。

「不穏でおられる」

これは本当にタレントや政治家ばかりかプロのはずの雑誌ライターにも多い。「~でおられる」の「おる」は「いる」の謙譲語だ。自分をへりくだって言う謙譲語に「られる」と付けても尊敬の意味はない。よく電話でも「~さんおられますか?」など言う人は実に多いが、あまりにも醜悪なので止めた方がいい。

正しい文章

「血圧測定を行おうとするが拒否される。また体調が悪く食堂に来られないため、朝食を召し上がらない。一日通して不穏でいらっしゃる」

音読してみたら分かるが、間違った文章よりも自然で美しいはずだ。美しく日本語を使うことが正しい日本語への近道なのだ。

エル・ドマドール

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[103]疥癬

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今回のテーマは「疥癬」である。前回の「薬害」の内容を覚えているだろうか?疥癬がどういうものか知っている人も知らない人にも一つだけ言っておきたいことがある。疥癬とは実を言うと「薬害」の一種なのだ。それは後で説明するとして、今度も読者諸兄を啓発するためにあまり知られていない事実を伝えたいと思う。

おそらく福祉関係者以外の読者はほとんどこの病名について知らないだろう。ましてやその症状にリアルに遭遇することもまずないだろう。そのぐらいこの病気は病院や福祉施設独特のものである。

疥癬とは単純に言えば「ヒゼンダニが何らかの原因で大量発生して、その糞と殻にアレルギー反応を起こしてかゆくなる現象」である。 ヒゼンダニ自体はイエダニなどと違い、吸血をするわけでもなく人の皮膚を食べているだけで、そんなに凶悪な存在ではない。その糞と死んだあとの死骸に人体が反応してアレルギー反応を起こすわけである。顔を除く全身に赤い丘疹ができるのが特徴で、特に手の指の間の皮膚がぼろぼろになっている場合はかなりヒゼンダニによる浸食がすすんでいると判断できる。普通は一人当たり1000匹ぐらいいるが、過角質化型疥癬(ノルウェー疥癬)という分類に該当するとヒゼンダニが100万~200万匹ぐらい大量発生している状態で感染力もかなり強い。

この病気もMRSA同様誤解と偏見の対象になりやすい。未だに疥癬に誰かがなったと言うと、本人を部屋に隔離して衣服を黒いビニールに包んで温水で他の人の洗濯物と一緒にしないように洗濯しているところもある。しかし、こんなばい菌扱いはもう不適切なばかりか、人権侵害もいいところだ。

まず感染した本人を隔離することだが、これは全く意味がない。よく誤解されていることだが、過角質化型疥癬でもない限り少し触った程度で疥癬はうつるものではない。ヒゼンダニは通常は皮膚の中に穴を掘って住んでいるためそう簡単に他人の皮膚に移動できないのだ。また感染者の部屋で介護をする時にヘルパーや看護師たちは専用のガウンやエプロンをしているが、そんなもの何の意味もない。何度も同じことを言うが、このような差別的対応は利用者の尊厳を本当にひどく傷つけてしまう。

ちなみに感染者を介護した後よく介護者が「痒くなった」と訴えることがあるが、それは心理的な錯覚だ。疥癬に感染している利用者に接触するという恐怖とストレスがこのような生理現象を起こすのだ。合理的に言って利用者に接触した後、ヒゼンダニでかゆくなるのはあり得ない。ヒゼンダニが人体に住み着いても、いきなり丘疹が出るわけではない。繁殖して何百匹ぐらいの数にならないとアレルギー反応を起こさないのだ。老人や障害者に比べて抵抗力が強く、風呂にも自分で入れる介護者がそのような状況になることはまずないだろう。

また衣類や寝具を毎日洗うのもよく行われている。勿論綺麗な環境を提供することはいいことだし、是非やるべきことかもしれないが、疥癬とそれとはほとんど関係がない。先ほども述べたが疥癬を起こすヒゼンダニは人体を離れると動きが止まってしまう。25度で湿度が低い状態では2,3日しか生き延びることしかできないのだ。しかも足の構造上、ヒゼンダニは布地をかき分けられないため布団の中や衣類を通り抜けることはできない。だから衣類や寝具を換えても意味がないのだ。

もともとどこの施設でも2,3日に1回は入浴もあるし、1週間に1回シーツも換えている。在宅やデイサービスではお世辞にも衛生的とは言えない環境で暮らしている利用者が必ず何人かいる。何カ月も風呂に入らない人だっているし、中にはテレビで見るようなゴミ屋敷の住人みたいな人もいる。だが、そういう人が疥癬になっているかと言えばそういう訳ではない。実を言うと環境や接触以外に疥癬を引き起こす要素があるのだ。

俺も少し前までは不潔な環境が疥癬を引き起こすと信じていた。しかし、実際には不潔かどうかはあまり関係がない。最初に少し述べたが、実を言うと疥癬にかかるか否かは薬が密接に関係している。特にステロイド系の内服薬、外用薬(塗り薬など)は免疫機能を低下させてしまう。免疫機能が普段働くおかげで疥癬になることはないのだが、薬剤で免疫機能が下げられると爆発的にヒゼンダニが増殖してしまう。特に過角質化疥癬にかかっている人はほぼ100パーセントステロイドなどによる免疫機能の低下が関係している。つまり疥癬は薬害なのだ。寝具や衣類を換えることよりも薬の方を止めるべきなのだ。

皮膚科医たちはこのことはおそらく知っているだろう。最近は疥癬になるとステロイド系外用薬を含め内服薬を中止する賢明な医師が増えたことは喜ばしい。しかし、彼らは疥癬と薬害の関係をまだ正式に認めようとはしていない。いい加減に介護職や家族をスケープゴートにするのはやめるべきだ。この病気の物理的な被害はそんなに大したものではない。しかし、無知ゆえに介護者や家族までもが疥癬の感染者とかかわると保菌者だと疑われることは非常に多い。そのようなお互いの疑心暗鬼、不信こそ一番厄介なものなのだ。

昔は疥癬になるとムトーハップという白い液体を入れて入浴させていたが、現在硫黄成分が肌を余計に刺激して、逆効果なことが分かってきた。クロタミトン(オイラックス)軟膏はかゆみを抑える対処療法の軟膏のはずだが、疥癬によく使われている。ただし、似た名前のオイラックスHはステロイドであるため絶対使ってはいけない。最近は1,2回の内服で駆除できるイベルメクチンが保険適応になったので、この薬がよく使われることが多い。

はっきり言って疥癬など入浴を多めにして、イベルメクチンを服用、クロタミトンを塗るだけで十分だ。物々しい警戒や隔離政策など必要ない。だが、無知ゆえに疥癬にかかった利用者をばい菌扱いして余計に傷つけている事態は今も珍しくない。俺はこんな事態を見る度にこんな格言を思い出してしまう。
――エイズそのものよりもエイズに対する恐怖こそ最も恐怖である

エル・ドマドール

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