カテゴリ"入所者"の記事

[126]リハビリテーション(2)

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今回は先週からの続きだが、まずは先週最後に述べた「関節の硬化は死への一里塚になりかねない」について少し説明をしたい。、先週を述べたように理論上固くなった関節は元のように柔らかくすることはできる。しかし、現実問題俺の介護キャリアの中で、関節が固くなってしまった人が元に戻ったケースは見たことがない。それどころか足が90度しか曲げられなくなるとその後、必ずと言っていいほど状態が悪化する。ある人は肺炎を起こして死亡し、ある人はうつ病にかかり食事ができなくなり胃ろうを造設したり、またある人は植物状態になったりする。いろんなケースがあるが、共通するのは関節が固くなり立てなくなったりするとその後、ADL(日常生活動作)表を更新しなくてはならなくなるほどの状態悪化が見られることだ。

どうしてこんなことになるのか?それは利用者の心理面が大きい。誰でもやはり膝が伸ばせなくなり立てなくなると大いに落ち込んでしまう。今までできていた事が出来なくなるショックは到底想像できるものではない。この状態を予防するには非常に地道な努力がいる。リハビリは筋力の向上など目に見える成果に注目をされがちだが、関節の柔軟性を維持するROM(この場合、ストレッチと同じ意味)こそ必要なのだ。だが、残念なことに今の制度では脳血管障害でも180日経つと保険診療の対象外になってしまう。その上、関節の柔軟性がどれだけ大事なのかはメディアでもそして福祉や医療の世界でもあまり知られていない。統計も取っていないのだから判りようがない。関節が硬化してからROMを始めても遅い。膝が自由に伸ばせるうちにROMをしておくのが大事なのだ。

もうひとつリハビリの大事な部分はモチベーションの向上だ。人間は誰しも辛いことを避けて楽な方に逃げるのが人情だ。疾病にかかり落ち込んでいる患者にとって一人でリハビリはかなり辛いものがある。だが、PTやOTが見てくれている、応援してくれているとなるとやはり違う。人間は自分の尻を叩く人間がいるからこそ頑張れるところがある。人間の感情の機微は数字や統計には表れないが、非常に大事なのは確かだ。

しかし、状況は悪化するばかりだ。現在病院はどこも経営難で苦しんでいる。その状況を打開するためできるだけ早く患者を退院させ、空きベッドの回転を速くしたがる。だからろくにリハビリも受けた事のない利用者が増えるのだ。厚生労働省は「生活リハビリで十分リハビリの代用になる」と言う。生活リハビリとは入浴やトイレ介助、更衣など普段の日常生活動作で行うリハビリの事だ。トイレ動作で立ったり座ったりすることで筋力が鍛えられると言うのだ。しかし、そんなもの無知な人間を騙す方便にすぎない。実態は全く違う。生活リハビリで本物のリハビリの代わりには絶対ならない。介護施設などでも「利用者の能力をフルに発揮してもらう」とは言うが、スピード優先の介護現場ではどうしても過介助になりやすい。そもそも生活リハビリでは運動量が絶対的に足りない。介護施設の利用者は要支援1だろうが、要介護度5だろうが全員怠け者と考えていい。中傷のようだが、利用者の一日の9割は寝ているか遊んでいるか怠惰に過ごしているのが現実だ。かろうじて運動していると言えるのは1割ほどで食事や入浴、排泄、更衣ぐらいだろう。仕事もない、家事もない、食事は上げ膳下げ膳では運動量が低下するのは当たり前だ。生活リハビリなど幻想もいいところなのだ。

さて今回のメルマガもいかがだっただろうか?今回読者諸兄に大事なお知らせをしたい。たまごや様の諸事情により、この3月でこのメルマガはたまごや様を通じて発行が終了することになった。まだ詳細は決まっていないが、このメルマガの存続をどうするかは未だ暗中模索の状態だ。俺自身は書くネタにはまだまだ困っていない自負があるが、果たして読者諸兄がこのメルマガの存続を望んでいるのかが気がかりだ。

とりあえず120回以上、2年以上にわたり執筆を手伝っていただいたたまごや様に感謝を申し上げたい。そしてこんな言いたい放題のメルマガを読んでくれた貴方達、読者にも感謝したい。3月終わりまではきちんと発行するのでよろしくお付き合い願おう。

エル・ドマドール

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[125]リハビリテーション(1)

[125]リハビリテーション(1)

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2006年4月から厚生労働省はリハビリの診療報酬について改定をした。それは脳血管障害は180日、心疾患と運動器は150日、呼吸器は90日以降のリハビリは診療報酬が0になるというものだった。しかもこれらは発症してからの日数で、発病してリハビリを始めてからの日数ではないのだ。政府の主張としては急性期、回復期のリハビリには効果が見られるが維持期のリハビリには効果が見られない。だからある程度の日数が経てばリハビリは不要だと言うつもりなのだろうが、当然ながら当時多くの患者、福祉団体、医療界から大反発を食らった。とりわけ患者によって障害が全く違うのに脳血管障害で180日で一律カットする基準は何なのか?という不満が強かった。

その当時、この改定に対する反対はすさまじいものがあった。どのメディアも政府に批判的だったを覚えている。しかし、今この問題は忘れ去られている。リハビリの日数が制限されるようになって介護の現場で何が起こっているのか俺が証言しよう。

*能力の低下

入所系施設にいると痛感するが、最近入ってくる利用者のADL(日常生活動作)のレベルの低下が著しい。しかし、言っておくが本人の潜在的な身体能力は悪くない人が多い。明らかに身体能力は高いのに移動動作や立位動作などが下手なのである。これは言わずもがな十分なリハビリを施されていないためだと言える。

リハビリを十分受けている人と受けていない人で最も露わな差が出るのが補助具の使用や服を着たり脱いだりする動作だ。特に車椅子のコントロールが下手な利用者が近年目立つ。我流の動作が多いのも特徴だ。普通左半身麻痺の人は右手と右足で器用に車椅子を操作する。しかし、リハビリで鍛えられていない人は手すりを持ったり後ろ向きに車椅子を進めたりする人が多い。いずれにしてもそれでは屋外に出ていく事はできない。当たり前の事だが屋外では手すりはないし、後ろ向きで進むことなど許されない。

よく勘違いされていることだが、リハビリでは筋力ばかり鍛えているように思われるがそれは違う。リハビリで重視するのは筋力だけではない。筋肉の柔軟性も重要視する。筋肉の柔軟性を促進するROM(range of motion)を行うのも大事なリハビリの役目だ。ROMとは簡単に言えばストレッチで筋肉を柔らかくすることだ。

健常者には想像できないだろうが、足を伸ばせたり肩を回したりするのは当たり前の動作だと思っていはいけない。障害者や老人にはこの動作ができない、またはやりにくい人々がいるのだ。病気や骨折などで安静を強いられたり、または怠けて運動を全くしなくなると筋肉が固まり動きづらくなる。思ったよりも動けない自分にショックを受け、ますます落ち込み運動量が減り閉じこもりがちになる。このような身体面や精神面での低下を総称して廃用症候群と呼ぶ。本当の廃用症候群はもっと複雑で説明が必要だが、とりあえず「動かないことによる運動能力の低下」だと思ってもらえばいい。

この廃用症候群で一番恐ろしいのは関節の拘縮だろう。人間動かないとどんどん関節が固くなってしまう。それは老人の場合、特に顕著に現れる。膝が180度伸びていたのが、いつの間にか90度になり、下手すると30度ぐらいしか動かない人もいる。手も同様に肘が伸ばせなくなり、服を着替えるのも一苦労になる。そして最終的には胎児のように膝を抱えて丸まった姿勢になってしまう。

厚生労働省がリハビリの日数を制限した理由はある程度リハビリをすれば、筋力の向上は頭打ちになるというからだ。それは確かに間違っていない。個人差はあるがある程度筋力の向上についてはこれ以上リハビリをいくらしても伸びない限界がある。しかし、リハビリで本当に大事なのは関節の柔軟性を維持または向上させることだったりする。これはROMを止めてしまうと関節の硬化が少しずつ進んでいく。そして少し風邪でもひいて、安静にしているとかなり関節も固くなってしまう。膝が90度しか曲がらないと言う事は立位を取ることも、歩くこともできない事を意味する。またこれは服が着られないことや排泄が自立できない事に直結してしまうのだ。言っておくが固くなってしまった関節を元通りに柔らかくするのは至難の業だ。理論上ROMを施せば不可能ではないが、殆ど元に戻ることはない。そして恐ろしい事に関節の硬化は死への一里塚になりかねない。

この続きはまた来週にしよう。

エル・ドマドール

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[66]障害受容(1)
[51]ヒューマンスキル

[107]利用者への搾取(下)

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今回は前回の金沢有紀の物語の続きだ。話を始める前に言っておきたいことがある。よく施設で働く人々の中には「利用者のために~したい」と言う人がいる。俺はこの台詞が虫唾が走るくらい嫌いで偽善そのものだと思っている。でも、建前や自己アピールのためにこの台詞が出るならそれはそれで構わない。本心では利用者など心底嫌っていて、入院しても見舞いすら行かない人でもそういう台詞を吐ける人はいくらでもいる。しかし、問題は本心からそう思う人の場合だ。本当に利用者のために尽くしたいなどと本心から考えているなら止めた方がいい。

なぜか?それをこれから説明しよう。

金沢有紀が強欲な姪と対峙した1週間後、有紀は上司に呼び出された。何かと思って上司を訪ねると、有紀を相手に苦情報告が上がっているとのことだった。あのシズコの姪が有紀に厳しく非難された事を根に持って、上司にクレームをつけたのだった。有紀は思わぬ展開に驚いたが、自分の言い分を上司に伝えた。

「確かに怒鳴ったのは行きすぎだったと思います。しかし、あの姪はシズコさんにあんな中学校の体操服みたいな服を着させても構わないと言うのです。それはあまりにもシズコさんが可哀そうではないですか?そう思うと我慢が出来なかったのです」

有紀の行動はシズコを大事に思うばかりの行動だった。行き過ぎだったが、有紀が怒鳴らなければシズコは体操服姿で外出イベントに参加していただろう。しかし、上司はそんな事を酌量するつもりは一切なかった。事なかれ主義で保身に長けた上司は施設長への体面を取り繕うばかりで、クレーム処理を穏便にすることしか頭になかった。上司は有紀に直接謝罪するように求めた。

「嫌です!!シズコさんに対して認知症でわからないからって体操服でも平気だって言うのは到底許せるものじゃありません。私は間違ったことをしていません。絶対謝りません!!」

有紀は若さと正義感ゆえに自分に嘘をつくことができなかった。しかし、施設長にまで謝罪するように求められた有紀は自分の将来の事も頭によぎったのだろう、結局姪に謝罪することになった。

以上で金沢有紀の物語は終わるが、どうして俺が「利用者のために尽くす」という考えを止めた方がいいのかわかるだろうか?単純な答えだ。利用者より身元引受人つまり家族の方が発言権が強いからだ。利用者のために仕事をしたくても、それができない環境にあるのだ。とりわけ介護現場では誰もが正しいと思う基本的人権などの正義やモラルが歪められやすい。この例の強欲な姪はかなりひどい家族だが、こんな家族はいくらでもいる。そして困ったことに「お客様第一主義(利用者のことではない)」がこの業界でも慣例になった現在、このような醜いエゴや不正義と戦う気骨のある施設は姿を消してしまったのだ。

介護保険が導入され介護が社会化されてもう10年近くが経つが、現在も利用者は搾取されやすい状況下におかれている。利用者の搾取と言うと生活保護受給者を囲い込み生活保護費を搾取する貧困ビジネス、劣悪な環境の中で障害者を無給で働かせるなどがたまに新聞を賑わせている。介護施設も利用者を巧みに騙して搾取しているように思われていることが少なくない。確かに俺の経験でもそういう所は存在した。(第8回「モラルよ、さらば」を参照)

しかし、一番ひどい搾取者は身近にいるものだ。これはマスコミも報道していないが、利用者を一番搾取する可能性があるのは実を言うと家族だったりする。このシズコのケースのように利用者の年金を握っておきながら利用者の必要な生活費をなかなか払わない家族が多い。下手すると利用者の年金を自分たちの借金返済や生活費に使い込むことすら有り得る。このため利用者の介護利用料が払われないケースもある。その場合、施設側は不足した利用料が入ってこないため赤字分を負担することになってしまう。

利用料を払わない利用者は退所させればいいのかもしれないが、この場合利用者も被害者なのだ。相談員をしている人ならよくわかるだろうが、一度入所した利用者を退所させることは容易ではない。退所した後の行き先も家族も引き受けを拒否するのは目に見えている。社会的入院を減らしたい病院も難しいし、3年待ちが当たり前の特養も難しい。そもそもこんな問題家族のいる利用者を受け入れる施設、病院などどこにもない。こんな事態を防ぐために施設によっては入所する時に年金の管理を施設に委託するように求めるところもあるが強要はできない。しかもどんなに本人と関わりを拒否する家族も年金は手放したがらない。しかも高齢者の場合は死亡すればそのまま遺産になるため、家族が生活費を本人の財産にも関わらず拠出したがらない傾向が強くなる。

普通の会社や社会では他人の金を搾取した場合は横領罪や窃盗で告発されるだろう。しかし、家族が相手で福祉現場の場合はそれすらままならない。せいぜい社会保険庁に連絡して年金の振込先を本人名義で新たに作った口座に変更させるぐらいだろう。しかし、家族と揉めることが必至なこの策を実行する勇気は社会保険庁や施設にはないだろう。後見人をつけて年金管理をさせると言っても家族を無視してすることは現実的には困難だ。警察といい役人たちも福祉と名がつくと介入を嫌がる。マスコミもそう。障害者や認知症を抱える家族と言うとそれだけでアンタッチャブルになるのだ。

最後に言っておくがたいていの利用者家族はこんなひどい人たちではない。中には逆に年金が少ない利用者のために自分の財産を削ってまで必要物品を購入する素晴らしい家族もいる。しかし、利用者の年金や財産を搾取する家族は確実に存在する。そしてこんな偽善的な家族に対して法的規制も何もない。利用者を一番搾取する可能性があるのは施設でもなく、貧困ビジネスでもない。それは家族なのだ。家族の搾取から利用者を守る方法は今のところ全くない。

エル・ドマドール

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[08]モラルよ、さらば
[106]利用者への搾取(上)

[102]薬害

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読者諸兄は49号「眠れぬ人々」と50号「薬物中毒者」の内容を覚えているだろうか?それらで俺は睡眠薬や精神薬の恐ろしい副作用について要点は書いたつもりだった。俺はもう二度とこのテーマを書くことはないだろうと思っていた。しかし、ある読者からのメールでそれが間違いであったことに気付かされた。この方は眠れないという理由で処方された睡眠薬を飲むようになった。しかし、その副作用はひどく、仕事まで辞めるはめになってしまった。その内容を本人の許可のもと掲載する。

「 本当に睡眠薬を呑まされてからまともに眠れた経験がありません。睡眠薬の眠りはひどいものです。 しかも段々効かなくなってくる。 副作用もとてつもなく多くひどいものです。 どうしてこんなものを医者が出すのだと思います。 私も一時的でもともとたいした不眠でなかったのに他人に紹介された医者に行って、 副作用や依存性の話をされないまま睡眠薬を飲むことになってあっという間に薬が逆にひどい不眠になってしましました。 飲むんじゃなかったと大変後悔しました。 仕事をやめざるを得なくなり どうしたら良いのか困っていますひどいさまざまな副作用と不眠になってしまい 中断するとほとんど発狂状態になるくらいの辛い日々を送っています。 多くの医者は薬を出すだけです。 エルドマールさんのおっしゃることは本当に良く分かります。
でも一度このような状態になってしまった人間はもう救いようがないのでしょうか。 段々と朽ちていく地獄に耐えるしかないのでしょうか。 どうすればやめられるのか。 いろいろ徐々に少なくしていくとか、長期に変えて隔日にしていくとかいろいろ試 したりはしています。 でも徐々にやめるより耐性のつくほうが圧倒的に早く、 もともと睡眠薬でろくに眠れてないので減らすにも減らせなく、いきなりやめると全く眠れない上に体もひふもぼろぼろになり食べられない排便もできないの地獄がきます何回か突然切るのを試したりはしていますがあまりにひどい状態になり。 何とかならないものなのでしょうか。 対処してくれる良い医者もみつかりません。 やめることはできないのでしょうか。 なんとかならないものでしょうか?」

あまりにもひどすぎる。善良な一人の人生をここまで苦しめ、狂わせる薬害の現実に俺は全身から噴き立つ怒りを感じざるを得なかった。そして、薬に苦しむリアルな被害者の苦しみを伝えられていない自分自身の怠慢が許せない。世間は押尾学や酒井法子の麻薬や覚せい剤の蔓延には厳しい反応を示す。また一般社会に大麻が蔓延していることについては報道やテレビで警鐘がよく鳴らされている。しかし、本当の危機はすぐそばにある。それは医療という仮面を被って私たちを誘惑に引きずりこもうとしているのだ。

だからここで俺は断言する。どうして麻薬や覚せい剤で逮捕される人々はあんなに要領が悪いのか?そんな法律を犯すリスクを冒さなくても同じような薬は病院に行けばいくらでも手に入る。しかも警察に咎められず、7割引の低価格でだ。医師が処方箋を書き薬剤師が処方して手にする薬剤(特に中枢神経に働く睡眠薬や精神薬)は裏通りで非合法に買える合成ドラッグや覚せい剤、大麻と全く変わらない。依存症があるのも同じ、内臓や循環器系にひどいダメージを与えるのも同じ。そして、まともな社会生活が送れないぐらい錯乱や精神的不安定を巻き起こすのも同じなのだ。非合法な薬物を駆逐するのは結構だ。しかし、本当に追い出さなくてはならないのは無節操に睡眠薬や抗うつ剤、精神安定剤を出したがる医師や薬剤師どもだ。

あのマイケル・ジャクソンも同じように薬物の犠牲者かもしれない。彼の死亡時にマーレー医師から受けていた投薬内容は常人には理解しがたいものだった。死亡した日にマーレー医師が投与した薬剤と時刻を紹介しよう。
午前1:30 バリウム10mg(精神安定剤)
午前2:00  ロラゼパム2mg(精神安定剤)
午前3:00  ミタゾラム2mg(鎮静剤)
午前5:00  ロラゼパム2mg(精神安定剤)
午前7:30  ミタゾラム2mg(鎮静剤)
午前10:40 プロポフォール25mg(麻酔薬)
呆れて言葉がないのはまさにこのことだ。何度も精神安定剤や鎮痛剤を与えた挙句に麻酔薬まで使うとは常軌を逸している。アメリカでは日本以上にすぐ薬物に頼る傾向が強いが、この滅茶苦茶な投与はさすがに遺族の怒りを買った。マーレー医師は殺人の疑いでいつ逮捕されるかもわからない状態になっている。

医師のでたらめな処方も十分犯罪的だが、特に薬剤師の不作為は許されるものではない。彼らは不合理な処方箋について、処方箋を書いた医師に問いただす「疑義照会」の権利があるにも関わらず、薬物乱用になんら歯止めをかけていない。医薬分業制にしたのは医師の誤った処方に薬剤師が歯止めをかけるためだ。しかし、現在まで医薬分業は患者に余計医療費負担をかける制度にしかなっていない。薬局で手渡される薬剤情報などはっきり言って紙の無駄遣いだ。あれにはめまいなど軽い副作用については記載してあるものの依存症、アナフィラキシーショックや肝臓障害、心筋梗塞など伝えるべき重篤な副作用についてはほとんど書かれていない。

俺は実際薬局に働く人間に聞いたことがある。
「君たちはなぜきちんと患者に副作用について教えないんだ?患者をだましているのと同じじゃないか?」

「そんなもの患者は聞きたがらないね。必要なら本なりインターネットで調べればいいだろ」

と開き直った答えが返ってきた。残念だが、これが薬剤師のリアルな実情だ。彼らの言うことなど信用してはならないのだ。俺は無節操な投薬を行う医師や薬剤師は免許はく奪の上、傷害罪で逮捕するべきだと思っている。だが、今までもこれからも医師や薬剤師が過誤が原因で逮捕されることはないわけではないが、ほとんど不可能に等しいだろう。彼らは不条理なほど守られている。普通トラックの運転手が人を轢いて死亡させた場合、業務上過失致死で逮捕される。しかし、医療の世界では恐ろしいことにそれすらも21世紀になるまでありえなかったのだ。法律が守ってくれないなら、自分たちで身を守ることが大事なのだ。

薬害に対しては医療従事者に責任があるが、患者の方にも問題がある。前述の薬剤師はこうも語っていた。

「被害者面しているけど、患者だってお互い様だよ。現にきちんと副作用を余すところなく教える薬局と適当に取り繕うところとどちらに患者が処方箋を持ちこむと思う?後者の方だよ。適当に副作用ごまかす方が丁寧で親切だと評判になるんだ。副作用のない薬なんて科学的にみて有り得ない。そんな現実すら受け入れないのに副作用の説明をできると思うか?こちらも商売だから、患者さまが望む説明をしてさし上げてるのさ」

不躾なセリフだがこの薬剤師の言い分にも一理ある。患者の方も自分の健康に対しては医療従事者に任せっきりにするのではなく、最低限の医療知識は得るようにしなくてはならない。よく医師に「今飲んでいるお薬は何ですか?」と聞かれて「わかりません」と答える患者は多いが、全く問題外だ。自分が何の薬を飲んでいるのか?どんな効果と副作用があるのか?元々どんな目的で処方されたのか?それぐらいの情報は薬剤師に頼らなくても本やインターネットで調べられる。

だが、インターネットや本で薬剤情報を調べるときはひとつ注意してほしい。それは提供された薬剤情報は製薬会社からのものだから、必ずしも信用できるわけではないことだ。自分たちに不利な情報は公表したがらないのは当然だ。また新薬の場合は新たな副作用が発見されるまでどうしてもタイムラグがある。医師がやたら新薬を出したがるのは薬価が高いこともあるが、副作用がまだ全部発見されているわけではないから、もし患者の身に何かあっても責任を逃れられるという心理が働いているためだ。

例えばリスペリドンという抗精神病薬がある。この薬の薬剤情報には依存症は見当たらない。そのため医師も「この薬には依存症がないですよ」と説明するが、実際に服用した利用者を何人もみている俺には信じがたい。この薬の副作用による興奮状態はすさまじい。どんなに言葉を尽くして説得しても落ち着かせるのは難しい。そこでまた落ち着かせるためにリスペリドンを投与するわけだ。だが、この薬を内服しないと興奮状態が止められないならそれは「依存症」と言うのではないのか?睡眠薬や精神安定剤、抗うつ剤や鎮痛剤など中枢神経薬(脳に作用する薬)に依存症の副作用がないものはまずない。

また薬剤師や医師が「これは副作用は軽いですよ」と勧められても信用してはいけない。薬の作用や出る副作用は患者によって違う。その薬が患者にとって軽いのか重いのかは飲んだ患者にしかわからない。

最後になるが、医療とは危険で不確かなものだ。確かなのは薬には副作用が必ずあり得ることだ。結局のところ、信用できるのは自分自身だけなのだ。安易に医師や薬剤師に自分の未来を任せてはいけない。

エル・ドマドール

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[49]眠れぬ人々
[50]薬物中毒者

[51]ヒューマンスキル

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このメールマガジンは名前の通り学校などでは教わらないことを教えるのを目的としてきた。今回も福祉の学校や専門家でも教えられないことをあなた方に教えることにしよう。以前第35号「リハブ」でリハビリについて語ったことを覚えているだろうか?その中で俺がまだ言い忘れていた事を今回は伝えたいと思う。

PT(理学療法)、OT(作業療法)、ST(言語療法)あるいは生活リハビリなどリハビリは重要だと思う人が多いだろう。俺もリハビリは大事だと思う。だが、俺は常に身体や頭脳を鍛えるリハビリよりももっと大事な「リハビリ」があると以前から強調していることがある。それは人付き合いや人間関係をうまく良好に保つというスキルである。この技術は所謂世間一般で言うコミュニケーション能力やヒューマンスキルと呼ばれることも多い。

コミュニケーション能力というと究極的には言葉を介さない意思疎通を意味することもあり、あまりにも包括する範囲が広すぎる。人付き合いが下手な人、人間関係のトラブルが多い人は大抵言葉が話せない人ではない。だから俺は今回人付き合いの技術を「ヒューマンスキル」と呼びことにする。その名の通りまさしく人間のスキルであり、人間としての基本の技術ともいえるのだ。

少し前置きが長くなったが、今回強調したいのは「所謂リハビリでADL(日常生活動作)などを向上させるよりもヒューマンスキルを獲得する方が大事」だということだ。リハビリ界もそうだが、福祉界でも利用者のヒューマンスキルが議論されることは全く無い。ヒューマンスキルが無ければ社会生活や家族の援助にも支障を来す重要な要素であるにも関わらず福祉業界は今までそういう領域は踏み込んでこなかった。

人付き合いを上手くやりくりするヒューマンスキルができない人は健常者の中にもいるが、とりわけ福祉の世界では実に多い。健常者は人付き合いが下手でも日常生活は自分でできるだろう。しかし、福祉のお世話になる人は日常生活に他人の援助が必要なのにも関わらずヒューマンスキルに欠陥がある人が多い。施設に入所してくる人は大なり小なり家族関係がすでに悪化している人が少なくない。家族は確かに物心両面での拠り所だが、他人になれないからこそ憎しみもより募る。2007年の統計では日本での殺人事件のうち48パーセントが尊属間殺人、つまり殺人事件の半分は身内の犯行なのだ。「血は水よりも濃い」とはよく言ったものだ。

障害や認知症などで他人の助けて貰わなくてはならない身分になっても助けてもらう家族に悪態をついたり、暴言を吐く。酷いと暴力行為を故意に働くことがある。全ての利用者がそんなろくでなしだと言うわけではないが、施設はそのような社会で上手くやっていけない人、所謂社会不適合者の収容所としての機能を果たしているとも言えるのだ。

社会不適合者と言うと抵抗感を示す人は福祉業界にも多い。自分の働いている施設が刑務所と変わらない社会機能をもつことを未だに認めたらがないのだ。しかし、彼らを介護している職員の行動を実際見てみるとそういう問題のある人々とプライベートでのお付き合いは敬遠しているのが現実だ。利用者と敬語で話し表面上は仲良くしていても、入院の見舞いにさえ行かない職員もいる。口では立派なことを言えても行動は本音を隠せないのだ。

障害を持っているのだから多少の悪態や罵詈雑言は職員側が受容すべきではないかという意見もある。確かに障害受容の不安定さ、脳血管障害などで精神的に不安定になったり、内服薬の副作用で情緒不安定になることはあるだろう。しかし、社会一般でそんな言い訳が通用するかと言えば通用するわけが無い。社会一般でそのような行為が許されないからこそ彼らは施設に入所しているのだ。

ノーマライゼーションの理想を主張し、利用者の社会進出を主張するならそんな言い訳は許されない。ましてや障害を持っているから多少の悪行が許されると言うのは障害者に対する最大の侮辱だ。つまり中途半端な同情は彼らにとって何のメリットももたらさない。社会で許されない行為は施設でも許してはならないのだ。それは別に介護する職員のためではないし、社会のためではない。何よりも利用者の為なのだ。

利用者のヒューマンスキルのリハビリが何よりも大事なのは自明の理だが、残念なことに現在の社会福祉業界や医療にはそういった機能は全く無い。敢えて言うならば精神科医やカウンセラー、心理判定員などがその役割に近いのだろうが、利用者のヒューマンスキルを重視する自覚はない。しかも、介護保険以後、利用者のヒューマンスキルのリハビリには逆風が吹くようになった。

利用者をサービスを利用するお客様として扱うお客様主義が台頭してきたのだ。利用者はお客様、利用者さまのご要望には全部お答えする。普通のサービス業のように接客マナーの研修をする事業所も出てきた。福祉従事者が一方的に利用者よりも強かった時代は悪しき時代と認識され始めた。俺も利用者の権利意識が高まるのは悪いことではないと思う。しかし、現在の接客主義には致命的な欠陥がある。それは利用者のヒューマンスキルに問題があっても全く何もできないことだ。

施設の中には、利用者とのトラブルを問答無用で職員側を悪とするところが少なくない。利用者の中には自分が悪くて注意されていても逆恨みで上層部にクレームを訴える人がいる。上層部がそのクレームを真に受けて、間違いを正した職員が処分を受けることもある。介護職も言ってみれば所詮保身が大事なサラリーマンに過ぎない。そんなことがあれば、誰も間違いを指摘しなくなる。その結果、事なかれ主義が蔓延り、悪行が黙認され施設内のモラルは凋落してしまうのだ。

昔ながらの施設は口論をするぐらい利用者に熱くなる職員が必ず何人かいた。利用者と口論すると言うと問題では?と思うかもしれないが、喜怒哀楽を表現し生身の人間として体当たりで接するからこそ濃密な信頼関係が築いていたのも事実だった。利用者のほうも「本気で怒ってくれる、心配してくれる人がいる」事を望んでいたフシがあるのだ。勿論これは利用者のヒューマンスキルの向上に役立っていた。現在ではそんな熱くなる職員は少なくなった。利用者と揉めないお客様主義が彼らを駆逐してしまったのだ。

エル・ドマドール

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[35]リハブ

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