カテゴリ"障害者"の記事

[126]リハビリテーション(2)

| 関連記事(1)

今回は先週からの続きだが、まずは先週最後に述べた「関節の硬化は死への一里塚になりかねない」について少し説明をしたい。、先週を述べたように理論上固くなった関節は元のように柔らかくすることはできる。しかし、現実問題俺の介護キャリアの中で、関節が固くなってしまった人が元に戻ったケースは見たことがない。それどころか足が90度しか曲げられなくなるとその後、必ずと言っていいほど状態が悪化する。ある人は肺炎を起こして死亡し、ある人はうつ病にかかり食事ができなくなり胃ろうを造設したり、またある人は植物状態になったりする。いろんなケースがあるが、共通するのは関節が固くなり立てなくなったりするとその後、ADL(日常生活動作)表を更新しなくてはならなくなるほどの状態悪化が見られることだ。

どうしてこんなことになるのか?それは利用者の心理面が大きい。誰でもやはり膝が伸ばせなくなり立てなくなると大いに落ち込んでしまう。今までできていた事が出来なくなるショックは到底想像できるものではない。この状態を予防するには非常に地道な努力がいる。リハビリは筋力の向上など目に見える成果に注目をされがちだが、関節の柔軟性を維持するROM(この場合、ストレッチと同じ意味)こそ必要なのだ。だが、残念なことに今の制度では脳血管障害でも180日経つと保険診療の対象外になってしまう。その上、関節の柔軟性がどれだけ大事なのかはメディアでもそして福祉や医療の世界でもあまり知られていない。統計も取っていないのだから判りようがない。関節が硬化してからROMを始めても遅い。膝が自由に伸ばせるうちにROMをしておくのが大事なのだ。

もうひとつリハビリの大事な部分はモチベーションの向上だ。人間は誰しも辛いことを避けて楽な方に逃げるのが人情だ。疾病にかかり落ち込んでいる患者にとって一人でリハビリはかなり辛いものがある。だが、PTやOTが見てくれている、応援してくれているとなるとやはり違う。人間は自分の尻を叩く人間がいるからこそ頑張れるところがある。人間の感情の機微は数字や統計には表れないが、非常に大事なのは確かだ。

しかし、状況は悪化するばかりだ。現在病院はどこも経営難で苦しんでいる。その状況を打開するためできるだけ早く患者を退院させ、空きベッドの回転を速くしたがる。だからろくにリハビリも受けた事のない利用者が増えるのだ。厚生労働省は「生活リハビリで十分リハビリの代用になる」と言う。生活リハビリとは入浴やトイレ介助、更衣など普段の日常生活動作で行うリハビリの事だ。トイレ動作で立ったり座ったりすることで筋力が鍛えられると言うのだ。しかし、そんなもの無知な人間を騙す方便にすぎない。実態は全く違う。生活リハビリで本物のリハビリの代わりには絶対ならない。介護施設などでも「利用者の能力をフルに発揮してもらう」とは言うが、スピード優先の介護現場ではどうしても過介助になりやすい。そもそも生活リハビリでは運動量が絶対的に足りない。介護施設の利用者は要支援1だろうが、要介護度5だろうが全員怠け者と考えていい。中傷のようだが、利用者の一日の9割は寝ているか遊んでいるか怠惰に過ごしているのが現実だ。かろうじて運動していると言えるのは1割ほどで食事や入浴、排泄、更衣ぐらいだろう。仕事もない、家事もない、食事は上げ膳下げ膳では運動量が低下するのは当たり前だ。生活リハビリなど幻想もいいところなのだ。

さて今回のメルマガもいかがだっただろうか?今回読者諸兄に大事なお知らせをしたい。たまごや様の諸事情により、この3月でこのメルマガはたまごや様を通じて発行が終了することになった。まだ詳細は決まっていないが、このメルマガの存続をどうするかは未だ暗中模索の状態だ。俺自身は書くネタにはまだまだ困っていない自負があるが、果たして読者諸兄がこのメルマガの存続を望んでいるのかが気がかりだ。

とりあえず120回以上、2年以上にわたり執筆を手伝っていただいたたまごや様に感謝を申し上げたい。そしてこんな言いたい放題のメルマガを読んでくれた貴方達、読者にも感謝したい。3月終わりまではきちんと発行するのでよろしくお付き合い願おう。

エル・ドマドール

【関連記事】
[125]リハビリテーション(1)

[120]杖

| 関連記事(0)

普段の日常生活でも杖を使う人々を見ることはそう珍しくないだろう。多くの自治体が65歳以上の高齢者に杖を一度に限り無料で配布しているためか、街中でも杖を使う高齢者を見ることは多い。しかし、与えられた杖を正しく使いこなしている人は案外少ない。俺が街中で見る高齢者でもはっきり言って杖を使いこなせているのは2割か1割くらいがいいところだ。自治体も配布の際は「歩くのが不自由で杖が必要な方」と限定しているはずだが、使いこなせるかどうかは全くチェックしていないようだ。正直言うとあんないい加減な配布は中止するべきだと俺は主張したい。あの杖の無料配布は当たり前だが税金を使っているのだ。ろくに必要かそうでないか調べずに配布するのは業者を喜ばせるだけだ。

ここで言っておくが、杖を正しく使用するのは意外と難しい。「杖ぐらい誰でも使えるだろう?」と思う人が多いかもしれないがそれは偏見だ。まず持っている杖が適切な長さでない人もいる。杖は人によって適切な長さが違う。杖を持って垂直に地面に立てた時に少し肘が曲がるぐらいがちょうどいい長さだ。そして状況によって使用する杖は選ばなければならない。特にリハビリや屋内で使う4点杖や3点杖は屋外では使ってはならない。なぜなら溝や穴に支点がはまりこんで思わぬ転倒や事故につながりかねないからだ。 また長さが変えられるタイプの杖もあるが、それもできれば避けた方がいい。なぜなら長さが変えられない杖よりも耐久性が劣るため壊れやすいためだ。腰椎圧迫骨折などで円背が進んだ場合を除き人間高齢になって大幅に体格が変わることなどないはずだ。

杖の選び方一つにしても簡単ではないが、問題は使う人だ。リハビリなどできちんと杖の使い方を教えられている人もいるが、無料配布された場合はきちんと使いこなせていない人が多い。そもそもその中には杖を使う必要性のない人もいる。よく観察してみると、杖をもっていても全く体重をかけていない人もいる。特に先端についているゴムキャップを2年間ぐらい全く交換していない場合は杖は不要だ。杖をきちんと使えば先端のゴムキャップは自然に摩耗するからだ。

「転ばぬ先の杖」とはよく言うが、はっきり言って杖に転倒予防効果はない。杖を持っていようが持っていなかろうが転倒の確率に関係ないし、怪我の予防効果もない。それどころか駅や電車、街中では他の通行人の足や荷物に当たったり逆に危険を呼び込むことが少なくない。

口論になった時に杖を振り上げる人がいるが、そんな真似が出来るなら杖は不要だ。単なる凶器になるので取り上げるべきだ。杖を振り上げたり、叩こうとする動作を想像するといい。両足に体重をかけられなければそんな真似はできないはずだ。税金で暴力を働く凶器を与えるなど言語道断だが、それがまかり通るのが福祉の世界なのだ。高齢者が起こす暴力事件は少なくない。特に認知症の人、もしくはすでに暴力行為の経歴のある人に杖を与えるのはくれぐれも慎重になるべきだろう。

杖の使い方は難しいと述べた。それはもっと正確に言うと杖の使える範囲が思った以上に限定されているとも言いかえられるのだ。円背が進み前傾姿勢が強い場合、どちらかと言えばシルバーカーの方が使いやすくお勧めしやすい。荷物にしかならない杖と違い、シルバーカーは疲れた時に座って休むことができるタイプのものもある。勿論溝などに要注意だがそれは杖も同じこと。杖よりもシルバーカーの方が用途が広く汎用性が高いのだ。

今回杖の有効性について疑問を呈した。言っておくが杖自体に問題はないし、全く役に立たないと言うわけではない。ただ単に有効な状況が限られていると言うだけなのだ。

エル・ドマドール

【関連記事】
[47]障害者スポーツ??(上)
老人ホームの裏事情Part3[18]特別養護老人ホームの実態(7)

[119]優生学(2)

| 関連記事(0)

前回の最後で俺は果たして着床前診断で本当に障害者の誕生を100パーセント阻止できるのだろうかと疑問を呈した。今回はまずはその疑問から答えたい。結論から言えば着床前診断だろうが出生前診断だろうが障害者の誕生を100パーセント阻止することなどできない。そもそも染色体異常などで先天的障害を持つ胎児は殆どが幸か不幸か死産か流産してしまう。着床前診断が障害者の産み分けに繋がるという意見はあるのだが、だが着床前診断をしなくても誕生はできなかった可能性が高いのだ。

もし着床前診断で正常な受精卵だと診断されたとしても、果たしてそれで正常な乳児が生まれるかと言うとそれも違う。実を言うと殆どの病気や障害は遺伝子レベルではなく後天的影響が大きく作用しているからだ。脳性麻痺や知的発達遅滞、自閉症などは着床前診断をしても防ぐことはできない。なぜならこれらはあまり知られていないが、出産時の事故つまり陣痛促進剤による強引な出産によって起こされた障害であることが多いからだ。陣痛促進剤とは文字通り人為的に陣痛を起こす薬なのだが、投与されると恐ろしいことに胎児に十分な酸素供給ができずに出産する事故が多発する。それが脳性麻痺をはじめとする障害の原因になっているのだ。俺も以前に陣痛促進剤の弊害について述べたことがあるが、産婦人科医は勿論のこと小児科医もそのことについて語ろうとしない。

そもそも遺伝子についてはまだまだ判っていない部分が多く、未だにDNAの9割は何の情報や役割を持っているのか不明なのだ。遺伝子研究をすれば癌家系や糖尿病になりやすいなどが判ると言われており、性格的傾向まで判ると言われているが、突然変異により遺伝病や障害が発症することもあり、どんなに検査を受けても予期できないケースもある。

そしてこれが優生学最大の問題だが、障害者や先天性疾病患者を排除する「劣悪な遺伝要素」という根拠が後世の科学から見て全くの誤りであることが多いのだ。前述したようにかつてハンセン病患者を一般社会から隔離していた時代があった。これはハンセン病が遺伝すると信じ込まれていたためだった。しかし、後にハンセン病は遺伝とは全く関係がない事が明らかになる。なんてことはない。誤った見解でハンセン病患者は政府と科学者の偏見のために犠牲になったのだ。今も昔も医療や科学は何度も過ちを犯してきた。科学者や医師は誤りを犯さないわけではない。それどころか科学は時に偏見のコレクションでもある。だが、自分たちが一般の人々よりも高い知性を持つと信じる人々はその独善性や傲慢さ故にこのような悲劇を繰り返したのだ。

その当時は常識と思えても後の世からは単なる誤りと断罪されることは科学や医療の世界では珍しいことではない。障害者同士で結婚して子供をもうけても、障害が遺伝するわけではないし、人種間の結婚も遺伝的な問題を起こすわけではない。優生学の非人間性が暴かれた後、優生学者たちは非難を避けるために人類学や遺伝子学に続々鞍替えした。しかし、今でもその優生学の名残は生きている。

とある欧米企業では採用の際に血液を採取して、その遺伝子を調べて性格的傾向や将来なりやすい病気を調べる事があると言われる。つまり遺伝子を調べて、かなり短気で癇癪を起こしやすかったり、医療費が高くなりそうな脳腫瘍の病気になりそうだと判断すれば不採用にすると言うわけだ。人種や障害の有無による差別が性格やなりそうな病気に替わっただけだ。かつての非人道的な優生学の誤りが繰り返されていると感じるのは俺だけだろうか?足利事件でも明らかになったようにDNA鑑定に絶対性はない。科学者たちは今はもっと正確に鑑定できるようになったと反論するだろうが、果たしてDNAで性格や将来かかる病気を100パーセント予知できるだろうか?

21世紀になった現在でもどうして優生学が無くならないか?基本的人権や差別の禁止を建前とする近代社会では優生学の流行る余地はないはずだが、未だに無くならない。俺はこのことに人間社会が抱える業を見るようでならない。人間はどの社会でも精神的に脆弱で不安を抱えながら生きている。優生学も「劣等な遺伝子を排除して自分たちの遺伝子をクリーンにしたい」という傲慢さの表れだが、ある意味未知なるものへの恐怖や不安がベースになっている。もし仮に優生学で障害者や有色人種などのマイノリティーを排除しても彼らはそれで満足するだろうか?自分たちの弱さや不安と向き合わない限り次の排除対象を探すだけになるような気がする。

エル・ドマドール

【関連記事】
[118]優生学(1)
常識ぽてち[757]遺伝子検査
常識ぽてち[2000.02.04]母体保護法

[118]優生学(1)

| 関連記事(1)

前号で阿久根市長竹原信一氏の問題発言を紹介した。その際、俺は発言の内容そのものが全くの誤りであると述べた。しかし、彼の発言を非難する人々は内容の正誤よりも、その障害者に対する見解に反発したようだ。とりわけ障害者を出生前に排除するべき、優性思想を思わせる意図には強い非難が殺到した。市長はブログで「障害者差別の意図はない」と否定したがあとの祭りだった。障害者を出生前から排除しようとする優性思想は今の日本社会ではタブーとされており、誰もそのことについて積極的に議論しようとしない。しかし、福祉を語る上でこの事は避けて通ることはできない。ましてや俺のメルマガにタブーは許されない。今回は優生学について語ろう。

少し優性思想、いわゆる優生学について説明しよう。優生学とは人類の遺伝子素養を改善することを目的に悪質な遺伝要素を排除して優良な遺伝子を持った人類を作ろうとする学問の事だ。

ここでいう「劣悪な遺伝要素」と言うのが何に当たるのかが問題で昔も今も物議をかもしているのだ。ここで障害者、有色人種などが「劣悪な遺伝要素」と見なさていた時代があったのだ。日本でもハンセン病患者が強制隔離されていた時代があったが、その目的はこれ以上ハンセン病患者を増やさないために子孫を作らせない事だったのだ。福祉国家と知られるスウェーデンでもかつては障害者に不妊手術を施すなどしていた時代があったのだ。そしてこの思想が極端に発展してしまったのがナチスが行ったホロコースト政策だった。それまでの優生学政策が不妊手術などで生殖手段を断つことによる消極的な方法だったのに対し、ナチスの取った政策は積極的に「劣等」と見なしたマイノリティーを排除し始めたのだ。しかもそこには「劣等」と見なされたユダヤ人だけではなく、ジプシーや障害者も虐殺されたのだ。ナチスの蛮行を非難する書籍や映画には事欠かないが、なんてことはない。他の国もその根本は五十歩百歩なのが現実だ。

日本でも2004年に神戸のある産婦人科医が学会の方針に認められない着床前診断を行い物議を醸したことがある。好ましくない出産、つまり「先天的障害者の出産を阻止する」産み分けを行うのかと非難されたこの病院の言い分はこうだ。「妊娠中に行う羊水検査や超音波診断で胎児が障害者であることが発覚した場合、高い確率で中絶につながってしまう。それなら受精して子宮に着床する前に診断すれば、望まれない妊娠を避ける事ができるではないか」つまり受精卵を調べて将来障害を持つことが判ればその受精卵を排除する。これなら胎児を中絶するわけじゃないから非難もされないというわけだ。しかし、どちらにしろ障害者の誕生を阻止していることに違いはない。

こんな代物は障害者にとってはたまったものではないが、それでも出生前診断や着床前診断を望む親は少なくない。良くないのは承知で言うが、俺はその気持ちは十二分に理解ができる。先天的障害を持った子供を育てるのは並大抵の苦労ではない。社会からの差別や偏見、特に障害児を生んだ親は「親に遺伝的に何か欠陥があるのでは?」などと中傷されることも未だに少なくない。どれだけ社会システムが変わっても障害者が生きていくのに苦労するのには変わらない。それならいっそ生まない方がいいのでは・・・と考えてしまうのは人情だろう。だが、出生前診断と着床前診断では本当に100パーセント障害者の誕生を阻止できるのだろうか?この続きはまた次週に語ろう。

エル・ドマドール

【関連記事】
[105]障害者自立支援法

[105]障害者自立支援法

| 関連記事(2)

現在、障害者自立支援法が揺れている。すでにこの法律、「生活権の侵害」だと何人もの障害者が裁判を起こしていた。しかし、先日の総選挙で事態は急変。民主党が障害者自立支援法に代わる法律を制定するために原告と裁判所に3ヶ月の猶予を求めたのだ。 障害者の社会保障サービスが良くなるのではと障害者関係者や障害者たちは期待しているとのことだ。

ここで話題に上がる「障害者自立支援法」とは一体何であろう?同じ福祉関係者でも老人福祉分野に携わる人などは知らない人も多いだろう。

簡単に言えば「中途半端な障害者版介護保険」だと思えばわかりやすい。この法律は2006年にそれまでの支援費制度に代わり施行されたが、その内容ははっきり言って障害者にとっては不利になるものだった。それまでは収入に応じた応能負担であったのが、利用したサービスの1割を負担する応益負担に変わり、介護保険の要介護判定と同じく障害判定区分が導入された。その結果障害者は以前よりも多くの金銭負担を強いられることになり、その不満が渦巻いているのだ。苦しいのは障害者ばかりではない。施設や事業所も収入が激減し、しかも利用者が負担増のために利用を減らせば、その分が施設の収入も減ることになった。

障害判定区分も問題だ。これは介護保険の要介護判定をモデルにしている。介護保険でも介護負担が大きい、よく動いて無断外出などを繰り返す認知症老人は軽めに判定されてしまう欠陥があるが、障害者の場合も同じ欠陥が早くも露呈した。どちらかというと問題行動が多く、重点的な見守りが必要な知的障害者や精神障害者は比較的軽度の人が多い。しかし、こういう人は要介護も軽度に判定され、十分な見守りが必要にも関わらず必要なサービスを受けられないという問題が発生しているのだ。老人の判定さえ正確にできないのに多種多様な障害者の判定が役人にできるわけがないのだ。

そして最大の問題はサービスがどれぐらい供給できるのかは自分が住んでいる自治体に左右されてしまうことだ。これは老人介護分野にいる人には少し理解しにくいかもしれない。介護保険なら要介護度5の人は月約90ぐらい時間の身体介護サービスを1割負担で受けられるが、これはほとんど全国どこへ行っても同じだ。単価の違いは自治体によって多少差があるがほとんど1点=10円だと解釈してもいいぐらいの微妙な差だ。しかし、障害者自立支援法は違う。どのぐらいサービスの供給をするかは自治体の判断に任されているために同じ障害でもある都市では50時間のヘルパーサービスを受けられていても、別の都市では30時間しか受けられないことが平気であり得るのだ。こんな馬鹿げた事態に障害者たちが怒り出すのは無理はない。おそらく地方分権の思想がこの政策に反映されたのだろうが、物には限度がある。

障害者がこの法律に不満を述べるのは当然かもしれない。世論もどちらかというと彼らに同情的である。しかし、それは障害者自立支援法の中身を一般の人はよく知らないからだ。障害者側も自分たちに不都合な情報を隠しているところがある。障害者自立支援法の本質をよく調べると、障害者たちの主張には簡単に同意できないところはたくさんある。今回はそれを俺が白日のもとにさらそう。

まずは障害者たちが文句を言う1割負担、応益負担だが、あれはとてもじゃないが応益負担と呼べない。確かに1割負担は事実だが、月額上限がある。住民税を払う世帯でも最高37200円。低所得2(世帯の年収80万以上だが住民税非課税)は24600円、低所得1(世帯年収80万以下)は15000円、そして生活保護なら負担なしだ。つまり、住民税を払う世帯でも最高37200円以上払わされないのだ。こんなもの事実上の応能負担ではないか。厚生労働省も馬鹿ではない。障害者を締め付けたら世論から袋叩きに遭う。だからこんな保護策をしているのだ。また介護保険では介護保険料を払っているが、障害者自立支援法にそれはないことも強調しておく。

そして自治体や障害判定区分次第では、介護保険よりはるかに恵まれたサービスを受けている障害者が多い。ある障害者がこんなことをマスコミに訴えていたことがある。

「障害者自立支援法のおかげでヘルパーサービスが月150時間に減らされた」

俺はこの発言に耳を疑ってしまった。介護保険では要介護度5でも一割負担は月90時間ぐらいが限度だ。ましてや徘徊など一番手のかかる認知症の場合、身体能力は高いため要介護度は低くなる。すると、90時間ぐらいが60時間程しか1割負担でしか受けられなくなる。老人介護をしている人が障害者自立支援法を見るとなんて言うだろうか?

言っておくが、老人介護は悲惨の一言だ。介護殺人、介護自殺、新聞で1週間に一度でもこんな記事が載らない日はない。一度でいいから門野晴子氏の本を読んでみるといい。自分の母親を介護するルポタージュだがその内容は壮絶だ。「区役所に母を棄てに行くわよ」など過激さでは俺のメルマガにも劣らない。だが、ここまで肉親に言わせるほど介護保険は冷酷なのだ。

勿論、権利を削られる障害者たちの不満は分らないでもない。だが、それでも老人介護に比べれば、はるかに恵まれているのは事実だ。正直申し上げると老人介護をしている俺に言わせれば、障害者自立支援法に反対する人々の主張は後期高齢者医療制度(廃止の方向だが)同様、声高なエゴの合唱にしか聞こえない。

1割負担になり、収入が減ったと言う障害者は多い。例えばこんな例がある。
ある障害者授産施設に通う障害者がいた。授産施設とは障害者が簡単な労働をして、工賃を貰う施設だと思えばいい。自立支援法以前、彼は1か月の工賃一万円貰うことができた。わずかなお金だがいきがいになっていた。しかし、自立支援法施行以後彼は食事代とサービス利用料を請求され、それが三万円。差し引き-2万円負担することになったのだ。彼には相当なショックだった。

この事例を持ち出して、障害者自立支援法の欠陥を攻撃する人が多い。しかし酷なようだが「それはそうだろうな・・・・」というのが俺の意見だ。授産所は赤字経営もいいところで障害者に給料を払うどころではない。政府からの補助金抜きではやってゆけないのが現実なのだ。市場原理を導入したら、授産所はどこも倒産だろう。ノーマライゼーションや平等主義を実施して健常者と同じ立場になれば、賃金を貰うどころか利用料を払わなければならない。これが現実だ。健常者でもネットカフェ難民などろくな職につけていない人もいるのだ。障害者もそれなりの負担は覚悟した方がいい。今の日本社会は障害者を保護する余裕さえない。

エル・ドマドール


アマゾンで門野晴子を探す

【関連記事】
[33]後期(長寿)高齢者医療制度
[69]障害受容するべき人々

老人ホームの裏事情シリーズ

たまごや内を検索する


メルマガで購読する

 

 

powered by まぐまぐトップページへ

このサイトを購読する

たまごやの"新着"記事

Loading...

ご訪問感謝!

創刊:2007.09.04


フィードメーター - 学校では教えない本当の社会福祉 学校では教えない本当の社会福祉|エル・ドマドール

学校では教えない本当の社会福祉 カテゴリ

新着コラム

アーカイブ

全 129 件-タイトル表示

著者プロフィール