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[34]障害者用駐車場

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先日あるニュース番組でこんな特集をしていた。最近の大型のショッピングモールなどでは障害者用の設備がとても充実している。その中に障害者のドライバーでも車が止めやすい障害者用駐車場があるのだが、その障害者用駐車場に止める健常者が多くいるとの事だった。不届きなことに健常者が先に止めてしまい利用できない障害者ドライバーが困り果てていた。

実際に撮影していたテレビクルーが車を止めた健常者に声をかけても、「障害者用駐車場だと知らなかった」とありえない言い訳をしたり、酷いと「今から障害者を迎えに行くんです」と嘘をつきそのまま駐車をする輩までいるということだ。警備員が咎めても素直に注意に従うばかりか、逆に警備員を脅すろくでなしまでいる。

あまりにも健常者のモラル無き非道が多いため、会場側も普段は障害者用駐車場にコーンなどを置いて侵入を阻止しようとしたが、これが本当の障害者ドライバーの利用を損ねるという皮肉に陥っている。この様子を見たキャスターやコメンテイターは「障害者を助けるマナーやモラルが大事」だとありきたりの正論を述べていた。

俺はこの番組を見ながら時代の趨勢を見たような気がして今回のテーマにすることにした。読者諸兄はこの話を聞いてどう思うだろうか?まともな良識の持ち主なら「嫌な時代になったものだ」とか「非常識な馬鹿者じゃないか!」と不快感を感じるだろう。俺も満車で障害者用駐車場しか空いていないなら仕方ないが、そうでないならそんな愚かなマネをするべきではないと思う。

だが、真実を語る福祉界の猛獣使いはあえて言いたい。これからこのような強者が弱者を蹂躙するようなケースはどんどん増えるだろう。これからは「強きを挫き、弱きを助ける」ような仁義は死語になりかねない。古き良き時代を懐かしむ人々は「昔はもっと人と人との思いやりがあった」などと言うだろう。

しかし、障害者にとって昔も今のいい時代ではない。今のような基本的人権の概念が無い時代は障害者はその存在さえ無視されていた。今はノーマライゼーション(障害者がいる社会の存在を普遍化する理念)の影響か社会に障害者が進出するようになった。しかし、それが健常者が障害者を蹂躙する機会をも与えているおぞましい現実がある。結局今も昔も障害者はタフな現実に直面している。

本題に戻ろう。ここで不届きな健常者側の立場を検証したい。彼らはどうしてモラルに反するとわかっているのに障害者用の駐車場に止めるのか?

(1)障害者用駐車場は入り口に近いなど便利な場所にある。
(2)止めてもいいという驕り
(3)止めても罰則が無い。

(1)は確かに魅力的な要素だ。障害者用駐車場は広い空間で、しかも入り口に近いなど便利な要素がある。障害者に便利なのは健常者にとっても便利なのだ。行為自体は褒められたものではないが、障害者用駐車場に止める誘惑に駆られることは責められない。

(2)の「止めてもいいという驕り」はどういうことなのだろうか?実を言うとこれはかなり複雑だ。少し説明が長くなるがご容赦願いたい。読者諸兄は「障害者と健常者は平等だ」と聞くと無条件に賛成する人が多いだろう。世の中の人々のこのコンセプトに反発する人も少ないように思える。しかし、この前提はかなりの矛盾をはらんでいる。もし本当に「障害者=健常者」ならこんな障害者用駐車場などありえない。逆にいえば障害者を差別するからこそ、障害者用駐車場が存在するのだ。だが、世間では障害者への差別を(実態はどうであれ)認めようとしない。しかし、そこに問題の本質があらわれているといえるのだ。

障害者への有形無形の恩恵は様々存在する。公共交通機関の運賃割引、所謂「どこでも駐車券」(駐車禁止除外指定車)、障害者年金の受給権利、自動車税や所得税の減免措置・・・・・など他にも盛り沢山の特権や減免がある。この事を知らない健常者が聞くと嫉妬と驚きの混じった反応をすることが多い。もし本当に「障害者=健常者」ならこんな優遇政策は到底認められるものではない。

一昔なら日本社会全体が豊かだったために障害者への逆差別とも言うべきこれらの優遇措置に関しては許容してくれていただろう。しかし、今はご存知のように生き馬の目を抜く厳しい競争社会だ。「リストラ」「自由競争」「競争原理」「規制緩和」・・・・これらの言葉が表すように健常者は容赦ない競争にさらされ、中には自動車を持つ余裕の無い人々がいる。その人々から見て、自動車を持つ障害者がどう映るかはもう言うまでもないだろう。

本当に野生動物のような弱肉強食の競争原理なら残念ながら障害者は生き延びることは無理だ。健常者が容赦の無い競争原理にさらされて、障害者は保護される。それに対し健常者が許せない感情を持つのは責められない。健常者が障害者用駐車場に止めるのは深層心理に刻まれた障害者への妬みや憎しみが大きい。「障害者用駐車場とは知らなかった」などありえない。

残念ながら全ての健常者が障害者に対して寛容ではない現実がそこにはある。前に紹介したことがあるが、「2ちゃんねる」の介護・福祉板、ハンディキャップ板を見ればわかるように到底公共の媒体で言えないような障害者に対する誹謗中傷に溢れている。そこには常軌を逸した憎悪が狂奔して外に飛び出そうとしている。

このように障害者用駐車場に止める健常者の心理は複雑で、障害者に対する軽蔑どころか憎悪にまで発展している現実がある。テレビのコメンテイターが「障害者を助けるマナーやモラルが大事」などと薄っぺらい正論で解決できる問題ではない。勿論自主的に障害者用駐車場に止めるような馬鹿なマネを止めてくれればいいのだろうが、今の世相ではまず無理だ。

そこで大事なのが「(3)止めても罰則が無い」に対する対策だ。俺は正当な理由のない障害者用駐車場に止めるのを交通違反の対象とすることを提案したい。ナンバープレートがあれば所有者を確かめられるのだ。所有者と実際の運転者が違うケースもあってできないと言う声もあるかもしれないが、駐車違反のケースでは所有者に反則金を課すことにした。できないことは無いはずだ。法律は頑迷な健常者に障害者を愛させることはできない。しかし、障害者を不利益から守ることはできるのだ。

エル・ドマドール

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最近、俺はあるドラマをテレビで偶然視聴した。そのドラマは自閉症の少女を主人公が活躍する筋書きだった。読者諸兄も見たことがある人は多いだろう。日本のテレビでも障害者が出てくるものが珍しくないが、本当にリアルに「障害者」を描いたものは珍しい・・・というか殆どない。俺も例の自閉症の少女が出てくるドラマを見たが、あまりにも現実の障害者との違いが多すぎて感情移入できなかった。アイドルのような綺麗な顔をした女優が演じていたが、はっきり言って俺が知っている現実の自閉症児とあまりにも差がありすぎる。

しばらく我慢してみていたが、やはり俺にはその虚構に耐えられない。やがて「こんな自閉症児がどこにいるんだよ!」と憤然としながらチャンネルを変えてしまった。

日本でよくドラマに出てくる障害者にはこんなタイプが多い。「障害はあるけど純粋無垢」「心優しく、傷つきやすい」などなど。だが、こんな障害者像ははっきり言ってアイドル(偶像)に他ならない。日本語でアイドルというと若者が憧れ、好かれる人気タレントという意味だが本来はありもしない「偶像」と言う意味だ。この自閉症児も同じだ。ありもしない障害者の「偶像」を平気で描いて、「障害者とはこういうものだ」と誤った固定観念を植え付けようとしている。

こういうアイドル(偶像)障害者はどこがありえないのだろうか?おそらく障害者施設などに勤める読者の多くはこのようなドラマのアイドル障害者に違和感を感じている人が多いはずだ。具体的にどこがリアルな障害者と違うのか?

*整容ができる自閉症児??
一番大きな違和感は整容動作だろう。よくドラマでは見栄えのいい俳優、女優が自閉症児を演じるが、ここからありえない。お洒落な服を着て、綺麗にセットされた髪型には軽く茶髪に染めている。女性ならうっすらと化粧をしていることもある。俺はこの世界長い間いるが、あんなお洒落で小奇麗な自閉症児は見たことが無い。

誤解ないように言っておくが、俺は別に「障害者にお洒落など不要」と言っているわけじゃない。それどころか文化性を持つのは障害者に限らず大事なことだ。だが、現実ではドラマのようにあんな洗練された知的障害者などありえない。本当に知的障害者とりわけ自閉症がどんなものか本質的に理解していたら、あんな演出は言語道断もいいところだ。自閉症児の特徴的な口癖やしぐさなど表面的なところは真似るが肝心なところは自閉症離れしている。悪く言えば知的障害者への侮辱と取られても仕方ない。

前から言っているが、このメールマガジンは敢えて真実を語ることを趣旨としている。その覚悟の上であえて言う。差別主義者と非難されることを覚悟で言うなら知的障害者の多くは美しさや華麗さとはほど遠い人が多い。整容動作など自分の外見が他人にどう写るかを気にするのは実を言うとかなり高度な文化的活動なのだ。

例えばあの有名な五体不満足のスポーツライターは重度な身体障害を抱えるが、彼の場合は知的能力は健常者と変わらない。だからこそお洒落なスーツを着こなしてファッションに拘りをもっている。

自閉症とは呼んで字のごとく、「自分の中に閉じこもる障害」だ。簡単に言えば脳に先天的の異常があり、他人と上手くコミュニケーションが取れないところがある。他人からどう見られているか気にしない彼らがどうして自分の外見を気にするのだろうか?自閉症に限らず、知的障害者の抱える問題の本質は文化性の欠如にあるのだ。

そして施設関係者や家族も彼らにお洒落をさせようとはしない。寝癖を直すのが関の山だろう。酷いと本人が希望を言えないことをいいことに介護が楽な短髪にカットさせてしまう。知的障害者の人権や支援費の増額を声高に主張するなど知的障害者のガーディアン(守護者)を自認する彼らは積極的にお洒落させようとしない。なぜか?それは彼らも無意識的に知的障害者に社会的評価は無用と信じているからだ。まあ敢えて良く言えば忙しくてそこまで考える余裕がないからとも言えるが。

エル・ドマドール

老人ホームの裏事情シリーズ

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