[127]介護の教科書

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今回は介護の教科書について語りたい。

俺がこの世界に入ったのはまだ介護という言葉が一般的でない時代、1990年代だった。その当時は介護という言葉も今ほど知れ渡っていない。当然のことながら介護を語った教科書やマニュアルのような書物は殆どない時代だった。その当時、介護の世界に入ったばかりの俺は本当の普通の介護というものは何ぞやと思いながら暗中模索していたのを思い出す。看護学、医学などはもう教育体制がしっかり確立されていて、きちんとマニュアルも存在していた。しかし介護は全くそういうものがなかった。老人介護に関する本はあったが、それが障害者福祉となると全滅状態だった。何でもマニュアルや教科書に頼るのは感心しないが、全く教科書も何もないよりかはマシかもしれない。

しかし、現在は介護という言葉を知らない人はいないぐらいメジャーになった。そしてちょっと大きい本屋に行けばいくらでも介護に関する教科書は平積みになるぐらい売っている。ヘルパー2級の講座に申し込めば丁寧に編集された教科書を貰えるだろう。企業や法人によって独自の研修や講義を行ったりして、措置福祉の時代に比べるとかなり教育に関しては充実してきた。

だが、それだけ教育環境が整っていてもなぜか介護のレベルは全く俺が入った時代と比べて全く上がっていない。それどころか介護のクオリティーはどんどん下がる一方なのだ。なぜだろうか?

今「新しい介護」など介護の教科書はいろいろあるが、俺はこれらの介護マニュアルについてはこのように思っている。

「参考にはできるが、絶対性を持たせるのは禁物だ」

言っておくが俺はこの類のマニュアルを全面否定するつもりはない。ただ何でもマニュアルが正しいと教条的になるのは良くないと言いたいだけだ。この本には致命的な欠陥があるからだ。俺がこの類のマニュアルに疑問を抱く最大の理由は「所詮現役に勝てるわけがない」からだ。例えば王貞治は日本野球で一番ホームランを打った打者だが、今現在ダルビッシュ有と勝負してホームランを打てるだろうか?無理に決まっている。この類のマニュアルを書く人々はかつて介護現場にいた事はあるだろう。しかし、今現在介護をしているのだろうか?介護をしていると言っても、人前で講演したりパソコンに向かっている時間の方が長いだろう。現場に現在も深く携わっていないと、どうしても現場の介護観や介護感覚が鈍ってくる。この類のマニュアルの致命的な欠陥はまさにそれなのだ。

そしてマニュアル本にある介護方法の中には誤りも多い。それはこれから版を重ねることに修正されるとしても、最大の誤りは利用者の恐怖感を全く計算に入れていない事だ。モデルが健常者ではリアルな介護される側の恐怖感をマニュアルに反映する事は出来ない。実際介護をやっていればトイレや風呂で介護バーを握りしめて離さない利用者はいくらでもいる。彼らににどうやってバーを離してもらうのか?その状況でこそマニュアルが必要だが、マニュアルの執筆者が接する利用者は物わかりのいい利用者ばかりなのだろう。その状況を解決する方法は載っていない。ちなみに利用者がバーを強く握って離さない場合は親指を外してから残りの4本の指を外すのが鉄則だ。

そもそも介護現場はマニュアルにありがちな一つの型で介護できるほど単純ではない。同じ利用者でもその能力、その時の体調、障害、またその時に抱く感情で介護の方法は驚くほど変わってしまう。一応基本はあるが、それをどう状況にフィットさせるかが大事なのだ。

例えば手引き歩行。文字通り利用者の手を引いて歩くことだが、この手引き歩行は利用者によっては危険な介護方法になる可能性がある。利用者が後ろにバランスを崩しても受け止める事ができないし、バランスを崩した時に無理に立て直そうとして腕を脱臼させる事もある。だが、人によっては介護者に腕を持ってもらう方が安心する人もいるのだ。ベストな介護方法はマニュアルではなく利用者によって決まると言うことだ。つまり介護者には利用者の状態に合わせた様々な介護方法の引き出しが必要なのだ。

「利用者本位の介護をする」と立派な事は言えても、実際にはマニュアルの鋳型に強引に利用者をはめようとする頑固者がこの業界には多い。だが、それでも最近になって福祉の教育体制が整ってきたのは確かだ。しかし、現場にいる俺には介護のレベルは上がるどころか下がるばかりだ。どうしてだろうか?それは他に原因がある。次週はその点を語ろう。

さてこのメルマガも今月で最後だったが、いかがだっただろうか?先週もお願いしたがこのメルマガに関するご意見を募集している。このメルマガに対する需要があれば、続けるにやぶさかではない。正直なご意見を頂ければ嬉しい。

エル・ドマドール

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今回は先週からの続きだが、まずは先週最後に述べた「関節の硬化は死への一里塚になりかねない」について少し説明をしたい。、先週を述べたように理論上固くなった関節は元のように柔らかくすることはできる。しかし、現実問題俺の介護キャリアの中で、関節が固くなってしまった人が元に戻ったケースは見たことがない。それどころか足が90度しか曲げられなくなるとその後、必ずと言っていいほど状態が悪化する。ある人は肺炎を起こして死亡し、ある人はうつ病にかかり食事ができなくなり胃ろうを造設したり、またある人は植物状態になったりする。いろんなケースがあるが、共通するのは関節が固くなり立てなくなったりするとその後、ADL(日常生活動作)表を更新しなくてはならなくなるほどの状態悪化が見られることだ。

どうしてこんなことになるのか?それは利用者の心理面が大きい。誰でもやはり膝が伸ばせなくなり立てなくなると大いに落ち込んでしまう。今までできていた事が出来なくなるショックは到底想像できるものではない。この状態を予防するには非常に地道な努力がいる。リハビリは筋力の向上など目に見える成果に注目をされがちだが、関節の柔軟性を維持するROM(この場合、ストレッチと同じ意味)こそ必要なのだ。だが、残念なことに今の制度では脳血管障害でも180日経つと保険診療の対象外になってしまう。その上、関節の柔軟性がどれだけ大事なのかはメディアでもそして福祉や医療の世界でもあまり知られていない。統計も取っていないのだから判りようがない。関節が硬化してからROMを始めても遅い。膝が自由に伸ばせるうちにROMをしておくのが大事なのだ。

もうひとつリハビリの大事な部分はモチベーションの向上だ。人間は誰しも辛いことを避けて楽な方に逃げるのが人情だ。疾病にかかり落ち込んでいる患者にとって一人でリハビリはかなり辛いものがある。だが、PTやOTが見てくれている、応援してくれているとなるとやはり違う。人間は自分の尻を叩く人間がいるからこそ頑張れるところがある。人間の感情の機微は数字や統計には表れないが、非常に大事なのは確かだ。

しかし、状況は悪化するばかりだ。現在病院はどこも経営難で苦しんでいる。その状況を打開するためできるだけ早く患者を退院させ、空きベッドの回転を速くしたがる。だからろくにリハビリも受けた事のない利用者が増えるのだ。厚生労働省は「生活リハビリで十分リハビリの代用になる」と言う。生活リハビリとは入浴やトイレ介助、更衣など普段の日常生活動作で行うリハビリの事だ。トイレ動作で立ったり座ったりすることで筋力が鍛えられると言うのだ。しかし、そんなもの無知な人間を騙す方便にすぎない。実態は全く違う。生活リハビリで本物のリハビリの代わりには絶対ならない。介護施設などでも「利用者の能力をフルに発揮してもらう」とは言うが、スピード優先の介護現場ではどうしても過介助になりやすい。そもそも生活リハビリでは運動量が絶対的に足りない。介護施設の利用者は要支援1だろうが、要介護度5だろうが全員怠け者と考えていい。中傷のようだが、利用者の一日の9割は寝ているか遊んでいるか怠惰に過ごしているのが現実だ。かろうじて運動していると言えるのは1割ほどで食事や入浴、排泄、更衣ぐらいだろう。仕事もない、家事もない、食事は上げ膳下げ膳では運動量が低下するのは当たり前だ。生活リハビリなど幻想もいいところなのだ。

さて今回のメルマガもいかがだっただろうか?今回読者諸兄に大事なお知らせをしたい。たまごや様の諸事情により、この3月でこのメルマガはたまごや様を通じて発行が終了することになった。まだ詳細は決まっていないが、このメルマガの存続をどうするかは未だ暗中模索の状態だ。俺自身は書くネタにはまだまだ困っていない自負があるが、果たして読者諸兄がこのメルマガの存続を望んでいるのかが気がかりだ。

とりあえず120回以上、2年以上にわたり執筆を手伝っていただいたたまごや様に感謝を申し上げたい。そしてこんな言いたい放題のメルマガを読んでくれた貴方達、読者にも感謝したい。3月終わりまではきちんと発行するのでよろしくお付き合い願おう。

エル・ドマドール

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