[120]杖

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普段の日常生活でも杖を使う人々を見ることはそう珍しくないだろう。多くの自治体が65歳以上の高齢者に杖を一度に限り無料で配布しているためか、街中でも杖を使う高齢者を見ることは多い。しかし、与えられた杖を正しく使いこなしている人は案外少ない。俺が街中で見る高齢者でもはっきり言って杖を使いこなせているのは2割か1割くらいがいいところだ。自治体も配布の際は「歩くのが不自由で杖が必要な方」と限定しているはずだが、使いこなせるかどうかは全くチェックしていないようだ。正直言うとあんないい加減な配布は中止するべきだと俺は主張したい。あの杖の無料配布は当たり前だが税金を使っているのだ。ろくに必要かそうでないか調べずに配布するのは業者を喜ばせるだけだ。

ここで言っておくが、杖を正しく使用するのは意外と難しい。「杖ぐらい誰でも使えるだろう?」と思う人が多いかもしれないがそれは偏見だ。まず持っている杖が適切な長さでない人もいる。杖は人によって適切な長さが違う。杖を持って垂直に地面に立てた時に少し肘が曲がるぐらいがちょうどいい長さだ。そして状況によって使用する杖は選ばなければならない。特にリハビリや屋内で使う4点杖や3点杖は屋外では使ってはならない。なぜなら溝や穴に支点がはまりこんで思わぬ転倒や事故につながりかねないからだ。 また長さが変えられるタイプの杖もあるが、それもできれば避けた方がいい。なぜなら長さが変えられない杖よりも耐久性が劣るため壊れやすいためだ。腰椎圧迫骨折などで円背が進んだ場合を除き人間高齢になって大幅に体格が変わることなどないはずだ。

杖の選び方一つにしても簡単ではないが、問題は使う人だ。リハビリなどできちんと杖の使い方を教えられている人もいるが、無料配布された場合はきちんと使いこなせていない人が多い。そもそもその中には杖を使う必要性のない人もいる。よく観察してみると、杖をもっていても全く体重をかけていない人もいる。特に先端についているゴムキャップを2年間ぐらい全く交換していない場合は杖は不要だ。杖をきちんと使えば先端のゴムキャップは自然に摩耗するからだ。

「転ばぬ先の杖」とはよく言うが、はっきり言って杖に転倒予防効果はない。杖を持っていようが持っていなかろうが転倒の確率に関係ないし、怪我の予防効果もない。それどころか駅や電車、街中では他の通行人の足や荷物に当たったり逆に危険を呼び込むことが少なくない。

口論になった時に杖を振り上げる人がいるが、そんな真似が出来るなら杖は不要だ。単なる凶器になるので取り上げるべきだ。杖を振り上げたり、叩こうとする動作を想像するといい。両足に体重をかけられなければそんな真似はできないはずだ。税金で暴力を働く凶器を与えるなど言語道断だが、それがまかり通るのが福祉の世界なのだ。高齢者が起こす暴力事件は少なくない。特に認知症の人、もしくはすでに暴力行為の経歴のある人に杖を与えるのはくれぐれも慎重になるべきだろう。

杖の使い方は難しいと述べた。それはもっと正確に言うと杖の使える範囲が思った以上に限定されているとも言いかえられるのだ。円背が進み前傾姿勢が強い場合、どちらかと言えばシルバーカーの方が使いやすくお勧めしやすい。荷物にしかならない杖と違い、シルバーカーは疲れた時に座って休むことができるタイプのものもある。勿論溝などに要注意だがそれは杖も同じこと。杖よりもシルバーカーの方が用途が広く汎用性が高いのだ。

今回杖の有効性について疑問を呈した。言っておくが杖自体に問題はないし、全く役に立たないと言うわけではない。ただ単に有効な状況が限られていると言うだけなのだ。

エル・ドマドール

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前回の最後で俺は果たして着床前診断で本当に障害者の誕生を100パーセント阻止できるのだろうかと疑問を呈した。今回はまずはその疑問から答えたい。結論から言えば着床前診断だろうが出生前診断だろうが障害者の誕生を100パーセント阻止することなどできない。そもそも染色体異常などで先天的障害を持つ胎児は殆どが幸か不幸か死産か流産してしまう。着床前診断が障害者の産み分けに繋がるという意見はあるのだが、だが着床前診断をしなくても誕生はできなかった可能性が高いのだ。

もし着床前診断で正常な受精卵だと診断されたとしても、果たしてそれで正常な乳児が生まれるかと言うとそれも違う。実を言うと殆どの病気や障害は遺伝子レベルではなく後天的影響が大きく作用しているからだ。脳性麻痺や知的発達遅滞、自閉症などは着床前診断をしても防ぐことはできない。なぜならこれらはあまり知られていないが、出産時の事故つまり陣痛促進剤による強引な出産によって起こされた障害であることが多いからだ。陣痛促進剤とは文字通り人為的に陣痛を起こす薬なのだが、投与されると恐ろしいことに胎児に十分な酸素供給ができずに出産する事故が多発する。それが脳性麻痺をはじめとする障害の原因になっているのだ。俺も以前に陣痛促進剤の弊害について述べたことがあるが、産婦人科医は勿論のこと小児科医もそのことについて語ろうとしない。

そもそも遺伝子についてはまだまだ判っていない部分が多く、未だにDNAの9割は何の情報や役割を持っているのか不明なのだ。遺伝子研究をすれば癌家系や糖尿病になりやすいなどが判ると言われており、性格的傾向まで判ると言われているが、突然変異により遺伝病や障害が発症することもあり、どんなに検査を受けても予期できないケースもある。

そしてこれが優生学最大の問題だが、障害者や先天性疾病患者を排除する「劣悪な遺伝要素」という根拠が後世の科学から見て全くの誤りであることが多いのだ。前述したようにかつてハンセン病患者を一般社会から隔離していた時代があった。これはハンセン病が遺伝すると信じ込まれていたためだった。しかし、後にハンセン病は遺伝とは全く関係がない事が明らかになる。なんてことはない。誤った見解でハンセン病患者は政府と科学者の偏見のために犠牲になったのだ。今も昔も医療や科学は何度も過ちを犯してきた。科学者や医師は誤りを犯さないわけではない。それどころか科学は時に偏見のコレクションでもある。だが、自分たちが一般の人々よりも高い知性を持つと信じる人々はその独善性や傲慢さ故にこのような悲劇を繰り返したのだ。

その当時は常識と思えても後の世からは単なる誤りと断罪されることは科学や医療の世界では珍しいことではない。障害者同士で結婚して子供をもうけても、障害が遺伝するわけではないし、人種間の結婚も遺伝的な問題を起こすわけではない。優生学の非人間性が暴かれた後、優生学者たちは非難を避けるために人類学や遺伝子学に続々鞍替えした。しかし、今でもその優生学の名残は生きている。

とある欧米企業では採用の際に血液を採取して、その遺伝子を調べて性格的傾向や将来なりやすい病気を調べる事があると言われる。つまり遺伝子を調べて、かなり短気で癇癪を起こしやすかったり、医療費が高くなりそうな脳腫瘍の病気になりそうだと判断すれば不採用にすると言うわけだ。人種や障害の有無による差別が性格やなりそうな病気に替わっただけだ。かつての非人道的な優生学の誤りが繰り返されていると感じるのは俺だけだろうか?足利事件でも明らかになったようにDNA鑑定に絶対性はない。科学者たちは今はもっと正確に鑑定できるようになったと反論するだろうが、果たしてDNAで性格や将来かかる病気を100パーセント予知できるだろうか?

21世紀になった現在でもどうして優生学が無くならないか?基本的人権や差別の禁止を建前とする近代社会では優生学の流行る余地はないはずだが、未だに無くならない。俺はこのことに人間社会が抱える業を見るようでならない。人間はどの社会でも精神的に脆弱で不安を抱えながら生きている。優生学も「劣等な遺伝子を排除して自分たちの遺伝子をクリーンにしたい」という傲慢さの表れだが、ある意味未知なるものへの恐怖や不安がベースになっている。もし仮に優生学で障害者や有色人種などのマイノリティーを排除しても彼らはそれで満足するだろうか?自分たちの弱さや不安と向き合わない限り次の排除対象を探すだけになるような気がする。

エル・ドマドール

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