[118]優生学(1)

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前号で阿久根市長竹原信一氏の問題発言を紹介した。その際、俺は発言の内容そのものが全くの誤りであると述べた。しかし、彼の発言を非難する人々は内容の正誤よりも、その障害者に対する見解に反発したようだ。とりわけ障害者を出生前に排除するべき、優性思想を思わせる意図には強い非難が殺到した。市長はブログで「障害者差別の意図はない」と否定したがあとの祭りだった。障害者を出生前から排除しようとする優性思想は今の日本社会ではタブーとされており、誰もそのことについて積極的に議論しようとしない。しかし、福祉を語る上でこの事は避けて通ることはできない。ましてや俺のメルマガにタブーは許されない。今回は優生学について語ろう。

少し優性思想、いわゆる優生学について説明しよう。優生学とは人類の遺伝子素養を改善することを目的に悪質な遺伝要素を排除して優良な遺伝子を持った人類を作ろうとする学問の事だ。

ここでいう「劣悪な遺伝要素」と言うのが何に当たるのかが問題で昔も今も物議をかもしているのだ。ここで障害者、有色人種などが「劣悪な遺伝要素」と見なさていた時代があったのだ。日本でもハンセン病患者が強制隔離されていた時代があったが、その目的はこれ以上ハンセン病患者を増やさないために子孫を作らせない事だったのだ。福祉国家と知られるスウェーデンでもかつては障害者に不妊手術を施すなどしていた時代があったのだ。そしてこの思想が極端に発展してしまったのがナチスが行ったホロコースト政策だった。それまでの優生学政策が不妊手術などで生殖手段を断つことによる消極的な方法だったのに対し、ナチスの取った政策は積極的に「劣等」と見なしたマイノリティーを排除し始めたのだ。しかもそこには「劣等」と見なされたユダヤ人だけではなく、ジプシーや障害者も虐殺されたのだ。ナチスの蛮行を非難する書籍や映画には事欠かないが、なんてことはない。他の国もその根本は五十歩百歩なのが現実だ。

日本でも2004年に神戸のある産婦人科医が学会の方針に認められない着床前診断を行い物議を醸したことがある。好ましくない出産、つまり「先天的障害者の出産を阻止する」産み分けを行うのかと非難されたこの病院の言い分はこうだ。「妊娠中に行う羊水検査や超音波診断で胎児が障害者であることが発覚した場合、高い確率で中絶につながってしまう。それなら受精して子宮に着床する前に診断すれば、望まれない妊娠を避ける事ができるではないか」つまり受精卵を調べて将来障害を持つことが判ればその受精卵を排除する。これなら胎児を中絶するわけじゃないから非難もされないというわけだ。しかし、どちらにしろ障害者の誕生を阻止していることに違いはない。

こんな代物は障害者にとってはたまったものではないが、それでも出生前診断や着床前診断を望む親は少なくない。良くないのは承知で言うが、俺はその気持ちは十二分に理解ができる。先天的障害を持った子供を育てるのは並大抵の苦労ではない。社会からの差別や偏見、特に障害児を生んだ親は「親に遺伝的に何か欠陥があるのでは?」などと中傷されることも未だに少なくない。どれだけ社会システムが変わっても障害者が生きていくのに苦労するのには変わらない。それならいっそ生まない方がいいのでは・・・と考えてしまうのは人情だろう。だが、出生前診断と着床前診断では本当に100パーセント障害者の誕生を阻止できるのだろうか?この続きはまた次週に語ろう。

エル・ドマドール

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[117]竹原市長発言

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11月8日に書かれた阿久根市長竹原信一のブログをご存じだろうか。

この市長はそれまでも散々なトラブルを起こして来たが、11月8日に自身のブログで医師不足の問題に触れこんな発言をしている。

「例えば昔、出産は産婆の仕事。高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害をもってのを生き残されている。結果、擁護施設に行く子供が増えてしまった」(竹原信一市長ブログよりそのまま引用)

この記述をめぐっては議会や障害者団体のみならず教育界や宗教界からも反発を受けた。市長は「ブログの発言の一部を取り上げて誤解している」と差別的意図を否定。謝罪を拒否した。しかし12月21日にこの市長は講演会でまたもや過激なスピーチをしていた。それを以下に紹介するが、これを聞くと確信犯的と言われても仕方あるまい。

「社会をつくるには命の部分に踏み込まないと駄目だ。表現としては厳しいが、刈り込む作業をしないと全体が死ぬ。壊死した足は切り取る。それで全体を生き残らせる。情緒で社会をつくることはできない」

諸君はどう思っただろうか?俺の意見を言わせてもらえば、はっきり言ってこの市長はあまり洗練されていない無知な人だと思ってしまった。発言の内容が障害者の存在を否定するために非難されているが、それ以前に文章の内容が日本語としても酷い。未だに産婆などと差別用語を使っていることもそうだが、この文章の内容で機能障害を使うのは誤りだ。正しくは障害、詳しく言うなら先天性障害と書くべきなのだ。擁護施設も正しくは養護施設だろう。福祉分野や医療分野に対してあまりにも無知なのも酷いが基礎的な教養が無さすぎる。中傷するつもりはないが、阿久根市民はよくこんな無教養は人物を当選させたものだ。まあ、前首相も漢字が読めないのだから仕方がないかもしれない。

世間ではこの文章について感情論で非難を浴びたようだが、俺にとっては驚きではない。この程度の障害者差別発言などは竹原市長が政治家だから問題になるのであって、程度の差こそあれ障害者を軽蔑したり嫌っている人などいくらでもいる。俺のメルマガでもその事は何度も指摘したはずだ。冠婚葬祭に体裁が悪いからと障害者の家族を排除しているケースだって俺は何度も見聞した。視覚障害者が火事を起こすかもしれないからと言う理由で無条件でアパートの契約を拒否される事もある。障害者差別ではないが、インターネットの掲示板や動画サイトには韓国人や中国人を誹謗中傷する発言で溢れ返っている。酷い差別だろうがその醜い社会が我々の直面する現実だ。竹原市長との違いは話題になるかならないかだけだ。

その竹原市長発言に対してのマスコミや議員、教育関係者の反論はあまりにもお粗末だ。「障害者を差別している」という感情論しか聞かれない。だが、そんな感情論だけでは誰もが納得させられるわけじゃない。現に今もこの市長はリコールされていないではないか?どうしてもっと冷静に理路整然と議論ができないだろうか?そこで代わりに俺が理論的な反論を試みたいと思う。

竹原市長は「高度医療のおかげで以前は自然に淘汰された機能障害をもってのを生き残されている」と今の先進医療のお陰で障害者がなまじ生き残っていると書いているが、これはそもそもの前提から誤りだ。確かに今は医療の発達で植物状態でもそう簡単には死亡しない。長寿大国日本の躍進に医療が良くも悪くも医療が重大な役割を担っているのは否定できない。しかし、それはあくまでも末期医療の話だ。産科医療に関しては全く逆の話になる。

医療の歴史を紐解けば元々出産の現場に医師は関与していなかった。ところが19世紀から20世紀にかけて医師が産科医療に関わるようになる。一般で信じられている事とは裏腹に医療が出産に関わるようになってから先天性障害が増えたのだ。ここで詳しくは述べないが、脳性麻痺、奇形児、ダウン症、知的障害などの先天性障害は医療行為が原因である医原病なのだ。特に陣痛促進剤による無理な陣痛は知的障害や脳性麻痺などの原因になり、あまりにも危険すぎる。しかし、こんな危険な薬物を使っているのが病院なのだ。高度医療が障害者をなまじ生かしているなんてそれは全く逆だ。先天性障害者の悲劇は経験から学ばない医師や行政、司法、立法が引き起こしたものなのだ。医療が出産にしゃしゃり出てこなければ彼らは無事に生まれて来たのだ。竹原市長の発言はその点から事実誤認が著しすぎる。無知が故の暴論であるだけなのだ。

エル・ドマドール

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