[114]利用者に敬語を使う理由

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前回ペーパーワークについていろんな話をしたのを覚えているだろうか?現代介護の特徴としてとにかくペーパーワークの増加が挙げられるが、それは介護の質の低下と記録の質の低下をもたらしていると書いた。今回は前回では言及できなかったペーパーワークの別の一面について語りたい。

現代介護の記録物を読んでいると否が応でも目に入ってくるものがある。それはあまりにも過剰で大げさな独善性のために読んでいて時に吐き気を催すこともある。例えばこんな具合だ。

「血圧測定をさせて頂こうとするが拒否される。また体調が悪く食堂に来れないため、朝食を召し上がられない。一日通して不穏でおられる」

読んでみると、すぐにあまりにも回りくどく冗長で読みづらいことが分かるだろう。ちなみにこの文章には少なくとも4ヶ所敬語と日本語の誤用が見られる。現代介護になってから、このような文章が増えた。敬語と使った文章を書きながら誤用しているのは相手に対する侮辱もいいところだが、書いている本人に悪気がないのが性質が悪い。

敬語を使うのも利用者に見せることを前提としたケアプランや契約書などの類のペーパーワークなら止むを得ない。しかし、業務日誌や介護記録などは見せることを前提としていないはずだ。勿論最近は利用者やその家族が介護記録の閲覧を希望する場合もある。しかし、それでも介護記録や業務日誌は敬語で書くべきではない。それはあくまでも介護記録が事実を客観的に直視して、何が起きたのか後で分析するものだからだ。

敬語は客観性から程遠いものだ。

俺がこの世界に入った当時は記録の書き方についてこんな原則を教育された。

(1)現在形で書く
(2)事実のみを書く。主観的な判断はしてはいけない
例(我がままを言う→~と言う)
(3)敬語は使わない

昔は記録物はあくまでも事実を客観的にまとめるために存在したが、今の記録物は全く違う。今の介護記録は敬語のインフレーション状態だ。しかも上の例文のように間違った敬語を使っているのだから馬鹿馬鹿しい。俺はどうして介護記録に敬語を使うのかヘルパーたちに聞いてみたことがある。

「そりゃ、お年寄りや利用者には敬意を表すのが当然ではないですか」

絵に描いたような優等生発言だが、俺はここに当人たちの差別意識を感じてしまう。 そもそも高齢者だと言う理由で尊敬しなければならないとは何なのか?尊敬を強要しなければ差別意識を隠せないと言っているのと同じではないか。わざわざ客観的であるべき介護記録にまで字数を増やして敬語で書くのはそれだけ利用者の事を軽蔑しきっていることの表れだ。障害者や高齢者を差別している自分の醜い姿に贖罪符を与えるために敬語で無理に介護記録を書こうとするのだ。

醜い二重基準だがこの態度にはまた別の弊害がある。記録物の目的は客観的に行ってきた介護や事実を見直すことにあるが、敬語で記録を書くとそれが困難になってしまう。職員に自分の醜いエゴや差別心を自省させる自己啓発の機会を阻止して、ネガティブなことから目を反らす現実逃避を助けてしまうのだ。

俺は敬語で記録を書くこと自体反対だが、それでもなお敬語を使って記録を書かせたがる頑固施設が殆どだろう。だが、それならそれで間違った敬語が氾濫している現状はどう考えるのだろうか?よく言葉遣いの指導などは聞くが、正しい日本語として敬語の使い方を教育する施設や事業所は全く耳にしたことがない。間違った敬語で利用者に文章を提出するなど、それこそまさしく文字通りの慇懃無礼ではないのか?結局彼らの「高齢者には敬語を使うべき」と言う主張は所詮口だけの偽善なのだ。もしくは介護業界は無教養な人間ばかりで敬語の誤りに気付かないのだろう。

前に言ったことがあるが、俺は元々日本語教師を志望していたことがある。そのため、日本語の誤りには敏感なところがある。上の間違った敬語の例文だが、正しい敬語と日本語の使い方を教えておく。福祉のテーマからは離れてしまうが、最低限の社会的人間としての教養を身につけるのもいい介護士の資質だと思ってほしい。

「血圧測定をさせて頂こうとするが」

これは最近よく聞かれるパターンだ。「さ入れ言葉」と勘違いされるが少し違う。「~させて頂く」とは元々誰かから頼まれて、その要望に答える時に言うものだ。この場合、この利用者が「血圧測定してほしい」と要望すれば間違いではない。しかし、相手が何も要望していないのに「させて頂く」と言うのは押しつけがましく聞こえる。「扉を閉めさせて頂く」「司会を務めさせて頂く」と言うのも同じ類の誤りだ。

「食堂に来れない」

これはいわゆる「ら抜き言葉」だ。ら抜き言葉は可能の意味をもつ「~られる」(食べられる、見られるなど)から「ら」だけを抜いた表現だ。文法上は誤りだが、もう「ら抜き言葉」は日本社会に定着していて誤りとまでは言えないかもしれない。現に60代を中心とした前期高齢者の中にも「ら抜き言葉」を抵抗なく使う人も多い。だが、高齢者施設に勤めるなら「ら抜き言葉」ぐらいは分かっていてほしい。

「朝食を召し上がられない」

これは二重敬語。「召し上がる」だけで尊敬語なのにさらに尊敬の助動詞「~られる」を付け足している。よくテレビでも皇室関係を語る時によく耳にすることが多い。丁寧な印象を与えられるかもしれないが、尊敬語は二重に使っても美しくないばかりか単なる無礼だ。

「不穏でおられる」

これは本当にタレントや政治家ばかりかプロのはずの雑誌ライターにも多い。「~でおられる」の「おる」は「いる」の謙譲語だ。自分をへりくだって言う謙譲語に「られる」と付けても尊敬の意味はない。よく電話でも「~さんおられますか?」など言う人は実に多いが、あまりにも醜悪なので止めた方がいい。

正しい文章

「血圧測定を行おうとするが拒否される。また体調が悪く食堂に来られないため、朝食を召し上がらない。一日通して不穏でいらっしゃる」

音読してみたら分かるが、間違った文章よりも自然で美しいはずだ。美しく日本語を使うことが正しい日本語への近道なのだ。

エル・ドマドール

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社会福祉施設や介護事業所などで働いているとどうしても書類作業というものがある。ケアプラン、業務日誌、ケース記録、介護記録、看護記録、申し送り簿などや利用者が怪我した時に書く事故報告書などあまり書きたくないものまで書くことがある。福祉の事をあまり知らない人はヘルパーや介護職は介護ばかりしているイメージがあり、記録物を書くところはあまり想像できないかもしれない。だが、そのイメージとは裏腹に社会福祉関係者とは極めて記録物を書くことが大好きな人種だ。

事務職の人間ならペーパーワークが多いのは納得できる。しかし、介護が本業であるはずのヘルパーがペーパーワークをこなす姿は少し意外 かもしれない。だが予想に反し、彼らの記録物への執着ぶりはなぜか病的なものが多い。先ほども言ったが、福祉関係者は記録を至極大事だと考える人種だ。中には記録に熱中するあまり、本業の介護をないがしろにしている福祉関係者は少なくない。職種や分野によるが、中には介護をしているよりもパソコンや書類に向かっている時間の方が長い介護職も少なくない。特に老人福祉分野では介護保険制定後は書類作業がか なり増えた。おそらくデイサービスなどを除き、ヘルパーが老人利用者とじっくり話す時間は1日1時間いや30分もないだろう。ただでさえ、介護や作業などで利用者と話す時間は少ないのに、更に記録する時間がコミュ ニケーションの時間を奪う。

「利用者との信頼関係」などよく口にする福祉職員はいるが、皮肉なことに介護職員ほど人の話を聞かない人種はいない。健常者の話もろくに 聞こうとしないなら、障害者や認知症老人の話など初めから聞く価値なしと決めつけている。勿論、介護や記録に追われてゆっくり話を聞く時間がないと言う理由もあるが、どちらにしても利用者の話をろくに聞かないことは同じだ。この態度で信頼関係などとよくそんな事が言えるものだと感心する。

介護保険制定後、利用者本人やその家族の権利意識も変わり、介護記 録の閲覧を求める人も増えてきた。また都道府県の指導のせいでもあるが、施設や事業者側も利用者とトラブルになった時に備えて記録物をきちんと職員に書かせる風潮が強い。そして、一般の人々や家族も記録物がきちんと丁寧に大量に書かれてあれば、介護もきちんとしていると思い込む傾向が強い。また現場でも記録物を大量に書く職員ほど人事面で優遇されやすい現実がある。だが、ここではっきり言うが事実は全くの逆だ。

記録物がきちんと正確に大量に書けると言うことはその分介護に直接関わる時間は減っているということだ。ヘルパーは弁護士でもなければ、行 政書士でもない。逆に言えば、きちんと仕事をするヘルパーは記録には時間をかけられないと言うことだ。だから、皮肉なことに介護をよくするヘルパーほど低く評価される傾向がある。そしてこれは利用者の家族も同じように解釈する傾向が強い。介護記録やケース記録を利用者や家族に公開する施設は増えてきているが、そこでも記録されている内容が少なかった り薄かったりすると、「ウチの親はろくな介護を受けていないのでは?」と誤解する人が少なくない。

昔ながらの施設はペーパーワークは今と比べてかなり少なかった。一日に何をしたか?例えば「午後は気分が悪いと言って居室で休む」など大雑把な記録だった。しかし、今は違う。施設によれば一日単位ではなく、時間単位で何をしていたかということも書かなければならない。その日の食事量や排泄の回数なども含まれているところもある。施設によって記録の形式は違うが、共通していることが2つある。一つ目はペーパーワークの増加に伴いパフォーマンスの質が低下していること、そして記録の質が下がってしまっていることだ。

パフォーマンスの低下は前述したように、単純な話だ。要は記録の時間が増えれば当然のように介護にかける時間を減らさざるを得ない。介護保険以後、介護は社会化されて来た。そしていろんなメディアで介護は話題になり書籍も増えたはずだが、現場レベルでは介護レベルは明らかに凋落している。それはいろんな原因があるが、現代的な記録を重視する介護が影響しているのは間違いない。この矛盾を解決するには「職員を増やす」というオプション以外あり得ないが、それは殆どの経営者も直視しない。

パフォーマンスの低下はともかくとして後者の記録の質の低下は意外かもしれない。だが、これはどこの福祉の現場でも同じだ。矛盾するようだがペーパーワークを重視するあまり、現代介護は記録物の質も著しく低下している。

今では考えられないが、俺が学生の実習生の時は実習日誌を施設に提出する時は誤字脱字を厳しく添削された。せっかく苦労して書いた日誌が返ってきた時には真っ赤になっていたこともある。これは介護する人間はヘルパーである以前にきちんと利用者に範を垂れる社会的人間であるべきだという信念の表れだった。 そこには字ぐらい正確に書けないような無教養な人間には他人の人生に影響を与える仕事をするべきではないという福祉のプライド、矜持があった。しかし、今は全く違う。実習生の誤字脱字を指摘するどころか、職員の記録物の方が誤字脱字だらけの事も珍しくない。要求される記録物が増えた現代介護では、例え誤字脱字だらけでも指摘する時間も修正する時間もないからどうしてもきちんと字も書けない職員が量産されてしまう。そして彼らが上司になると、職員のレベルはもっと低下してしまう。

記録物の質の低下は他の深刻な問題を引き起こす。そもそも文字を書く目的は何だろうか?答えは情報を伝えるためだ。 現にその目的のためにどこの職場でも変更点を伝える連絡帳みたいなものがある。しかし、何でも書きたがるために連絡事項が洪水のように増えてしまい、逆に浸透させたい情報がヘルパー全員に伝達できないという皮肉極まりない事態を招いている。きちんと読んだかどうか印鑑や署名をする欄があるが、そんなもの量が多すぎて「めくら判(差別用語だがあまりにも表現が適切だ)状態」になってしまうのだ。

現代介護はどこでも記録を重視する。だが、それは介護の質を低下させ、皮肉なことに職員のインテリジェンスを奪ってしまう。一見充実した介護記録はいい介護をしてそうに見える。しかし、それはまさしく堕落した介護を糊塗するための手段なのだ。

エル・ドマドール

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