[081]名刺の文化

●今日は「たまごやライター」の河口容子さんのコラムでお届けします。

■名刺の文化

 読者の皆様、あけましておめでとうございます。新しい世紀の始まりです。この1年のご健康とご活躍をお祈り申しあげます。  新年の挨拶まわり、懇親会などで名刺を交換される方も多いことと思います。昨年は長野県庁での名刺折り曲げ事件が世間を騒がせ、友人からこのテーマをとのりクエストがありました。藤井局長の進退問題については内部でのやり取りが公表されておりませんのでここでは触れないことにしますが、放映された名刺交換のマナーに関しては私には田中県知事と藤井局長のお二人とも奇妙に映りました。

 私は何千人も社員がおり、何百という組織のある会社に勤務していました。当然見知らぬ社員もたくさんいるのですが、社内では名刺交換はしません。ましてや社長や役員が部下に名刺を出すなどという事はあり得ません。会社の名刺というのは一種の身分証明です。同じ社名の名刺を持つということは、すべて身元のわかっている人間どうしであり、たとえ面識がなくても名刺を交換する必要はないのです。正式組織名や社内電話番号を知らなくても調べる印刷物(今は電子化されていますが)があります。ただ、子会社の場合は住所、職制が異なったりしますので確認のため交換することはありました。

田中知事は「私の流儀ですから。インターネットのアドレスも入っているので…」というようなことをおっしゃっていたと記憶します。自費で作られた個人用の名刺なのかも知れませんが、それをいきなり公式の場で出すのはおかしいし、県庁内でインターネットを使って連絡する方法があるのなら、公式のアドレスはお互いにわかっているのが常識です。知事は名刺を出すより、まずは県庁の組織とその幹部職員の名前を勉強しておくのが普通ですし、またその資料を用意する職員もいるはずです。わざとそうしているなら組織内の不協和音を感じざるを得ませんし、誰も気づかなかったのならそれはそれで問題です。

 仕事の名刺はただの印刷物ではありません。両手で丁寧に扱うのが普通です。よく商談の間、テーブルの上に相手の名刺をのせておきますが、うっかり落とした場合は「申し訳ございません。」とか「失礼しました。」と謝ります。この時点で名刺はすでに「人」なのです。相手の名刺の上にお茶をこぼしたという人の話も聞きません。公の場で相手の名刺をへし折るなどは相手の頭をなぐるに等しい行為です。以上は私のビジネスマンとしての経験から得た「名刺の文化」ですが、作家や公務員のかたがたは異なる文化をお持ちなのでしょうか。

 不思議なもので名刺をいただいた時はお顔やその時どんな会話をしたかなどいつまでもよく覚えています。それだけお互いに心がこめやすい小道具です。また、会話につまっても社名の由来や組織のことなど小さな紙1枚に刷られている情報だけで十分話題が作れます。

 「ビジネスマンにとって名刺は財産」とよく言われますが、仕事でお会いしていただいた方の名刺はのちにご縁がなくなっても捨てたことがありません。10年前、いやそれ以上の名刺でも何かの役にたつことが年に数回あります。整理は大変ですが、正月休みを利用して毎年インデックスのつけかえなどをやっております。これが仕事のヒントになることもありますし、思い出したようにご無沙汰おわびのお便りを出すこともあります。これは住所録の文字の羅列を見るだけではなかなかできないことだと思います。

最近は、学生や主婦、ビジネスマンも会社の名刺とは別に個人の名刺を持っている人がふえました。名刺を差し出す時背筋がピンと伸びますが、なんだか快い緊張感、自信や誇りも生まれてきます。たがが名刺、されど名刺、この小さな紙は実にすばらしいパワーを秘めて心と心をつないでくれます。この1年どうか上手に大切に使って良い思い出をたくさん残してください。

河口容子

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第13号(2001.01.05発行)より