カテゴリ"アセアン"の記事

[267]ハノイで味わう

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 ミシュランの東京のレストランの格付けが話題になっています。私自身はこのようなガイドブックは1冊も買ったことがなく、他人の判断に頼ることなく自分の味覚と嗅覚でおいしいかどうかを決めれば良いと思うし、誰とどんな気分で食べるかで味も変わります。また、中途半端な外食より自分の作った料理のほうがはるかにおいしいという幸せ者でもあります。海外ではなるべくその土地の料理をいただきますが、何かしらヒントがあり、帰国して自分の料理に応用しています。今週はハノイで印象に残る食事の話です。

 セミナーの日の昼食は会場である農業・農村開発省展示センターの会議室で関係者だけで静かにいただきます。どんな高級ベトナム料理店でも見られないもので50代くらいの方に聞くと「子どもの頃お祝いごとや親戚一同集まると食べた」とのことで「ベトナム版おせち」と私は呼んでいます。「食べるのがもったいないみたいですね。写真を撮るまで皆さん食べないでくださいね。」と私が言うと準備をしてくださったセンター長もニコニコ顔です。天秤棒に両方からバスケットがぶら下がっている形の竹細工。高さは50センチくらいありますが棒の部分には花が飾られています。バスケットの中にはもち米を蒸した上にいかの燻製状の豚がのせられているものが入っています。味もいかの燻製とそっくりです。かぼちゃをくりぬいてスープ入れにしたもの。かぼちゃの皮には花の彫刻がほどこされています。丸い揚げパン。フランスパンに砂糖をふりかけたバターをつける等など。こういう優しい懐かしいお料理で午前中の講演の疲れを取り、午後のコンサルテーションへの英気を養います。

 この晩は例年商務省貿易促進局主催のディナーがあります。朝 5時半に起きディナーが終わる 9時ごろまでは一切気が抜けない 1日です。もちろんベトナム料理で、海産物の他にこの日の変わったメニューは山岳ブタの焼ブタにニンニクのスライスとはじかみのような野菜を入れてハーブに巻いて食べるものです。主催者の副局長は商社の社長経験者で日本への出張経験も多く「オオキニ」を連発しながら、焼ブタをハーブに巻いて下さったりもします。「あなたのような日本のビジネスウーマンはきれい、カワイイデス。」にはびっくり。「これは肌がきれいになるから」「これは若返りに効くから」といろいろな野菜やハーブをすすめてくれました。まん丸い顔に大きな目のついた私の顔は福相で中国人には美人に見えるという絶大な自信があるのですが、ベトナム人もそういう好みなのかも知れません。同局の日本語と英語に堪能な若手男性職員は 1年会わない間に結婚し、子どもまででき、ベトナムの経済成長並みの変化率です。奥さんは 8歳年下で国営銀行に勤務しているとのことですのでエリート・カップルです。

 翌日はちょっと冒険もしてみました。ミッションに随行して来た在日ベトナム大使館のL商務官の実家はハノイの旧市街にあります。その近くのおいしいフォー(麺)のお店を教えてくれました。店主が道路ぎわで麺をゆでているような何の装飾もない10人も入ればいっぱいのお店です。庶民の行く1杯 100円くらいのお店。工業デザイナーのY先生に途中で合流した日本の政府機関のH課長と3人日本人ばかりスーツ姿で入ったので周囲のお客さんたちは物珍しげに私たちを見ていました。このようなフォー屋さんをハノイの市内のあちこちで見ることができますが鳥インフルエンザの影響か、チキンは影をひそめビーフが主流になっています。

 この後は旧市街のナイトマーケットを歩いてみましたが、道路のでこぼこにつまづかないよう、バイクに轢かれないよう、時折出てくる子どもにぶつからないよう、スリにあわないようにと気を配ることがいっぱいで頭と体が混乱しそうです。ホアンキエム湖近くのカフェにたどりつき「カフェ・スア」(コンデンスミルクの上にベトナムコーヒーをアルミのフィルターでドリップしたもの)を注文する頃にはすっかり疲れ果てていました。ハノイは間口税だったため古い建物は間口が狭くその分3階か4階建てになっています。いずれもバルコニーがあり、そこから通りを眺めながらお茶を飲んだり、食事ができたりします。古き良き時代の映画のセットのような景色、なぜかアルゼンチン・タンゴが似合う気がする街角です。

河口容子

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 会社員の頃、取引先の方から「あなたは実務を上手に体系づけ、理論化するのが得意だから将来大学で教える準備をしてはどうか」と言われたことがあります。もちろんお世辞ですが、この方は MBAでマーケティングが専門です。自分は考えもしなかっただけに違う分野の方の視点は面白いと感じました。私自身は日々悩みながらも国際ビジネスの現場にいることが好きで、起業後も実務を行なうコンサルタントであり、研究者や評論家ではないというスタンスを守ってきました。それが「実際にビジネスを行なっている人からアドバイスをしてほしい」というアセアン諸国のニーズに偶然にも合致したのです。そして大学どころではなく2002年から海外で教えるという仕事も増えました。

 グローバル化に伴い、日本から海外への投資が進んでいます。もちろん途上国に対して経済力の底上げには投資が一番早く効果が上がるのですが、ビジネスである以上はいろいろな理由で撤退もあり得ます。また、利益が出たら出たで、その国民を利用しているだの、搾取しているだのという反感も現地で出てきます。そういう意味で「教育」なら即効はありませんが、国際交流も含めた貢献が可能です。こういうお仕事は商社マンを続けていたらあり得なかったでしょうし、思わぬところで見つけた天職とまで思っています。

 ベトナムの聴講者はとても熱心です。セミナーの受付は朝 8時からの開始ですが、セミナーの始まる 9時には会場である農業・農村開発省傘下の展示場の講堂が 200人ほどの人で埋め尽くされます。中にはアオザイにパールのネックレスという正装のビジネスウーマン、少数民族の民族衣装をまとった人たちが見かけられ、いかにきちんとした気持ちでこのセミナーを受け止めてくれているかがうかがわれます。日本のように途中で居眠りをしたり、私語をしたりする姿は見かけられません。この真摯な態度に応えようと私も前年よりさらに良いものをと入念な準備をしますので、ベトナムの聴講者に私が教えるというよりも彼らが私を育ててくれているようなものです。

 先週号で政府機関の運転手さんが英語を話すようになったと書きましたが、一昨年は通訳を介しての取材ばかりだったのに対し、最近は英語での直接取材がふえています。英会話スクールの成果ではなく、スクールに高額の授業料を騙し取られた事がニュースになっている日本とは大違いです。

 セミナーの翌日は買い付けミッションの方々と現地企業との商談会でしたが、若い女性が私に話しかけてきました。彼女の装いからするとシンガポール人にしか見えず、話す英語もシンガポール訛りです。「なぜシンガポール人がここにいるのかしら」と思っていると、彼女は父親の仕事の関係でシンガポールに住んでいるベトナム人で、兄がベトナムに残って手工芸品の輸出をしているため手伝いに来たと言うのです。本当に彼女はシンガポールのキャリアウーマンかお金持ちのお嬢さんにしか見えず、社会主義国家ベトナムにおいても国際化した富裕層も出現している事をひしひしと感じさせられました。

 商談会の後、ハノイ特別市の南西にあるハテイ省の竹細工の工場をミッションメンバーとともに訪問しました。社長は一昨年のハテイでのセミナーの事を覚えていてくれました。講師として本当にうれしい瞬間です。「あなたから品質が大切と習いましたよ。」という彼の工場は風水に基いた立地だそうですが、国際標準化機構による品質マネジメントの規格ISO9001:2000を取得しています。農村の手工芸職人だった彼も今や年商1000万ドル(10億円超)の成功者です。ハノイ市の最低賃金は月55ドル(6000円ほど)ですから、いかに莫大な金額かおわかりのことと思います。

 成田空港から東京ビックサイトへの行き方がわからずタクシー代 5万円を払ったというエピソードに「日本人でもそんな人はいませんよ。」と誰かが言うと「日本人は行き方がわかっているからいいのです。ベトナム人にはわかりません。だからタクシーを使ったのです。」皆にミネラルウォーターをすすめてから「このボトルはシールしてありますから、コップに移さず、このまま飲むのが一番安全です。」とどこまでも大らかで優しいお人柄の社長です。最後に誰かが「この笑顔、ソフトバンクの孫さんに似てる。こういう顔が金持ちになるんやな。」と笑わせてくれました。

河口容子

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 ベトナムのハノイでの講演を終え、日本に戻って来ました。 5月に胆嚢の摘出手術をしてから初めての海外出張です。脂肪分摂取のコントロールと時々おこす胆石発作からは解放されたものの、小さいとはいえひとつの臓器がなくなるということは想像以上に問題がありました。消化が追いつかずすぐおなかをこわしてしまう、疲れやすい、胸にぽっかりと穴があいたような喪失感、 8月は猛暑のというのに 1月も風邪が治らず胸膜痛と戦わねばなりませんでした。 1食分を 1日でやっと食べられるかどうかという食欲の低下、人間というのは不思議なもので食べられないとうつ状態になって来るというのを初めて経験しました。

 そのような中、ひとつの目標はベトナムでの講演でした。 1年前にお約束した仕事ですし、楽しみに待っていてくださる方々の顔を一人一人思い浮かべるとどんな事があっても行かなければならないと思いました。こんな体では行けないと寝る前に 20-30分間エクササイズを始め、たとえ夜中の 2時でも 3時でも毎日続けました。おかげで10月の終わりの術後 6ケ月検診では非常に良い検査数値が並びました。術後 2週間の検査では数値がめちゃくちゃで主治医もかなり心配したくらいですから、私のベトナムへ行きたいという熱意が神様に届いたのかも知れません。

 上記のような経緯があっただけに11月初旬ベトナム大使館でのリハーサルの前日には涙がこぼれそうでした。よくここまで回復したものです。私は2005年、2006年とベトナムの政府機関の招聘で手工芸業者のためのセミナーとコンサルティングを行なっています。私が日本市場向けのマーケティングや日本の商習慣などを担当し、もう 1人工業デザイナーの先生がデザイン面での指導を行なうというプログラムになっています。今年は新規に日本から買い付けミッションも出すことにしました。ベトナムの政府機関主催のセミナーで日本人が講演を行うのはまだ年間10名以下との事ですので私としては 3年連続で大変名誉な事と感じてもいます。

 初年度は日本のデザイン関係の財団法人がベトナム大使館との窓口業務をやってくださいましたが、昨年からは私がベトナム側と折衝、工業デザイナーの方へのお願いと現地でのアテンドとひとり何役もこなさなければなりません。おかげで出発前にはよく夢でうなされます。会社員の頃から夢でうなされるほどの仕事は必ず成功するのです。今年もこわい夢を見たし、準備も万端なので絶対大成功との確信を持って日本を後にしました。

 成田18時10分発ハノイ行き。久々の夜間飛行です。飛行機は大阪、広島、福岡、上海、広東省の上空を飛びハノイのノイバイ空港に到着します。時差が 2時間ありますので到着したのは現地時間で22時25分。政府機関の若い運転手さんが出迎えてくれました。昨年もお世話になったので互いに顔を覚えており遠くから手を振りあいました。 1年ぶりですが、なんと彼はすらすら英語が話せるようになっているではありませんか。

 ノイバイからハノイ市内へは約30km。以前は夜中にトラックやバイクがこんなにたくさん走ってはいませんでした。経済成長はうれしいけれど静かなハノイが好きだったので寂しい気持ちもしました。車はリートゥオンキエット通りにあるホテルへ。大使館の多いこの周辺はさすがに車や人通りはまばらです。いよいよ翌日はセミナーです。

河口容子

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[263]シンガポール人と味わう銀座の秋

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 2007年 7月 5日号「アセアン発の美と健康」に登場したシンガポールのクライアントが今度は食品見本市に出展するために来日しました。東京は秋たけなわ、外国人にとってべストシーズンです。今回は男性と女性の管理職の来日で、前回時間の都合でお流れとなってしまった銀座でのディナーが実現しました。もともとはフランス料理の予定だったのですが、女性の管理職のために和食のお店も探し、来日前に両方のお店のホームページを見せて選んでもらうこととしました。

 女性の管理職Mさんとは初対面です。私はビジネスウーマンと初めて会う時はなるべく色を控えめにしたスーツで相手を華やかに見せるよう心がけています。逆に男性とご一緒するときは「ドブネズミ・ルックのおばさん」はお嫌だと思うので少し華やかな色やアクセサリーを身につけるようにしています。相手の業種によっても着るものは変えるのが会社員時代からの習慣です。私にとって商談時の服装は自分のために着るのではなく、相手のために着るのです。

 この日のMさんの装いは白のスーツにミントグリーンと白の細いボーダーのカットソーが長身に映え、南国の人らしいさわやかさにあふれていました。一方、男性管理職のPさんは2007年 7月12日号の「ギフトは心の鏡」で触れたネクタイをきちんとしめてきてくれました。気配り名人の彼のことゆえ、おそらく差し上げたネクタイをしめて来るだろうと予想しましたが、気に入ってくれたのか、もうかなりくたびれた感じです。

 行先はフランス料理に落ち着いたのですが、Mさんによれば「シンガポールには日本料理屋がたくさんあってお値段も高くはないけれど、フランス料理はとても高くフォーマルすぎてあまり行かないから。」というのが理由のようです。Mさんに日本に来たことがあるのかとたずねたところ、「10年前に来ました。」「それではまだ赤ちゃんだったのではないですか」と冗談で言う私に「いくら何でもそんな事はないですよ。」とうれしそうにニヤリ。「東京はとても好きです。きれいですもの。」「きれいって何がですか?」「いろいろな建物があるでしょう?シンガポールなんてオフィス・ビルはみんな同じよ。」彼女が建築に興味があって良かったと内心ほっとしました。実はこのレストランは内装でも有名なのです。「東京の人は洋服のコーディネートが上手ですよね。シンガポール人なんてその辺にあるものを適当に着ているだけですもの。」「それはきっと暑いからでしょう?」「エアコンの中では結構きちんと着ようと思えば着れるのに怠け者よ。」

 彼女はお土産に傘を買って帰るのだと言います。「私の香港のビジネス・パートナーはお金持ちですが、奥さんに2本も日本の傘を買って帰りました。デザイナー・ブランドの傘がこんなに揃っているのは日本しかありませんよ。」「だから高いのね。今日デパートで見たら私のほしいのは2万円くらいしたのでもうびっくりしました。でも買うわ。」

 その後、話はPさんの次の出張先のニューヨークへと移り、世界の大都市の物価の比較になりました。秋の夜長をこうしてまだ若い国際人たちと過ごすのは楽しくいくら時間があっても足りません。「今度シンガポールに来られたときはいつも僕たちがお世話になっているお返しをしますよ。シンガポールじゅうの良い所を全部見せてさしあげますから。」とPさん。彼らの企業は 130年の歴史と数々の賞を誇るシンガポールの上場企業です。従業員は1000人以上おり、多国籍にビジネスを展開しています。彼らのたゆまぬ努力、人への優しさ、礼儀正しさ、思えばこれらは日本人の長所であったはずです。国際競争力ランキングで日本がシンガポールに負けるのも仕方ないとふと思えた帰り道でした。

河口容子

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 アセアン諸国からの輸入品の代表選手のひとつが食品です。たとえば魚介類は中国からの輸入金額とほぼ同じです。野菜は圧倒的に中国からの輸入が多いものの、果物はアセアン諸国からのほうがはるかに多く、私たちの食生活を彩りあるものにしてくれています。今年もアセアンの食品展のシーズンがやって来ました。残念ながら今回はミャンマーからの出展がありませんでした。昨年は酢、キャンディー、ソバ焼酎、緑茶などが展示されていたのに残念な限りです。このイベントのための準備は数ケ月前に始まっていますので、日本では軍事政権に反対するデモがいきなり起きたかのように報道されていますが、実はその頃から不穏な動きがあったのではないかと想像しました。

 ここ数年展示されるものを見ていて気づくのは原材料に近いものからどんどん加工度の高いものに変化していることです。また、パッケージや容器の精度やデザインもどんどん向上しています。会場でマレーシアの貿易開発公社の東京事務所長(マレーシア人女性)とお会いし、着任されたばかりなのでご挨拶をさせていただきましたが、 100円ショップなどからアセアンのビスケットやチョコレート製品への期待が高いそうです。

 カンボジアの製品で目にとまったのは、月餅用のアズキや蓮の実のあん。昨年 9月の末に中国とベトナムに出張しましたが、仲秋節でいたるところに月餅のコーナーがありました。最近、ベトナムに駐在したての方にお聞きしたところベトナムでは仲秋節には親しい人に月餅を送るのが習慣で取引先に月餅を配るのに1週間を費やしたそうです。これでやっと月餅コーナーがあちこちにある理由が判明しました。

 タイの製品ではドライ・フルーツやナッツなどをチョコレートでコーティングしたお菓子。 7-8種類のフレーバーがあり、ちょっとしたギフトに好適なパッケージに入っていて花をモチーフにしたデザインがとても美しくヨーロッパ諸国にも輸出されていると聞きます。似たようなコンセプトのお菓子をイギリス製で見たことがありますが、パッケージデザインはタイのほうがはるかに素晴らしいと思いました。そして「天然」が売り物のジュースにボドルデザインがこれまた素晴らしいものがありました。タイは工業デザイン面では非常にすぐれた国です。

 フィリピンの製品ではココナツ酢でトウガラシの入っているものがあり、びんの口にトウガラシがぷかぷか浮いており、入れたら自然にそうなったのでしょうが、あたかも計算されたような美しさを感じました。

 私のシンガポールのクライアント、漢方薬の老舗も出展しています。肉骨茶(バクッテ)という伝統的なハーブとスパイスからできているもので、肉の煮込み用に使います。燕の巣もあります。燕の巣はマレーシア、インドネシア、ベトナムでしか採取されません。竹取物語でかぐや姫が求婚者の貴人たちにつきつける難問のひとつに「燕の持っている子安貝」というのがありますが、実は竹取物語のルーツはベトナムにあります。日本はアジアの端に位置し、各国から文化を取り入れ独自の文化に熟成させていったのだろうと思いますが、その一例が世界一豊かな食文化でしょう。


河口容子

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