2004年4月アーカイブ

[114]銘醸街道城巡り(2)

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日曜日の朝ディジョン11時10分発郊外行きバスに乗る。銘醸街道を下りボーヌから10キロ先にあるムルソー村へと向かう。所要時間90分。バスは村の入り口、11 Novembreに停車するのでディジョンへ帰るときも同じ場所から乗車します。そこからまっすぐ下るように村の中に入ります。丁度、ランチタイムに差し掛かっての到着だから村役場の前の広場に幾つもあるレストランで昼食なんてどうでしょう。すきっ腹の試飲は悪酔いのもと。それにどのカーブもしっかりとランチタイムの休憩は取るので午後開館は大体2時過ぎです。

ブルゴーニュワインの白の代名詞はシャブリですが、高級品となるとやっぱりムルソーが勝ち。同じシャルドネ種の葡萄で作るワインなのに土壌が違うと色も風味もこんなに違うものかと関心させられる。11月に開催される「栄光の3日間」の最終日はこのムルソー村での昼食会だが、これはかなりステータスの高いイベントで業者の人でもなかなか中に入れないというタイソウなものらしい。では観光客がムルソー村のワインを楽しむにはどこへ行けばよいか。ではではシャトー・ド・ムルソーへどうぞ。

[113]にわかブルギニヨン体験

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アメリカでテキサス人が「私はアメリカ人である前にテキサス人です。」と言うのを良く聞いた。これは良くも悪くもこの州の人を良く表している言葉だった。南部人のプライドの高さと情熱的な所を表す半面よそ者を中々受け入れない厳しさを込めた表現だった気がする。人種の坩堝でフレンドリーさにかけては米国随一と思うのはやはりカリフォルニア。さて我フランスではというと、このブルゴーニュがテキサス、プロヴァンスがカリフォルニアのような気がます。

新天地での生活は誰にとっても難しいもの。異文化の中、外国語生活のストレスはエンドレス。でも、異文化と外国語を一気に短期間で味わうならばやっぱりホームステイが一番。私のディジョン生活もホームステイでスタート。私のステイ先は料理上手なマダムの家。買い物にはよくお供をしてマダムご用達のチーズやお惣菜の美味しい店知ったので今は私も常連客。うちの船のシェフがニンマリとするくらいに私がフランスの食材や調理法についてちょっと知識があるのもマダムのお陰。山歩きとちょっとしたお出かけが好きなマダムとは現在でも時々一緒に出かけています。

[112]銘醸街道城巡り(1)

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古城に溢れるフランスですが、数だけならブルゴーニュが一番多いという事はご存知でしょうか?ロワール地方のようなフランスの庭園、ピレネー・オリエンタル地方のような武勇伝、プロヴァンス地方の吟遊詩人、トルバドュールが詠うような城とはちょっと違います。ではボルドー地方メドックなどに多く見られる華麗なシャトーワイナリーと尋ねられると、ちょっと違う。ボルドーの場合は葡萄栽培から出荷まで一貫して行えるワイナリーに対しても「シャトー」という名称がつくので時々「これがシャトー?」と言いたくなるような農家に出くわすこともありますが。。。。。。

ブルゴーニュにある城の特徴は、まず、フランス革命中かなり派手に破壊された傷跡が今でも残ります。館内に入るとそこだけタイムスリップしたような城がたくさん残っています。

[111]感性を刺激した恩師たち

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何に夢中になるにしてもきっかけとなるものがあり、それは物や人であったりします。私が英語に夢中になったのはビートルズ、仏語にはまったのはベルサイユのバラ。

でもそれらはきっかけとなっただけで、後押し力を貸してくれたのは出会った人たち。英語が好きでも成績に繋がらない中学生の頃出合った英語教師はカリフォルニア大学への留学を終えたばかりの人だった。クラブの顧問でその時間は毎日がアメリカのスライドショー。下手だから喋るのを躊躇する私たちにアメリカ式の公平さで励まし、可能性を示してくれた。肝心な成績はあがらずとも英語に対する興味は刺激され英日対訳のスヌーピーの本を読む毎日が続いた。私のニックネーム、チャーリーはチャーリー・ブラウンのまぬけなところが私のそれにあたることから付けられて、未だにそれは私の生活の一部です。

[110]たかが邦人、されど邦人

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海外留学先を探すときに「日本人が少ないところ」と希望するのはよくあること。到着してからも早く現地の生活と言語に慣れるためにも邦人との接触を避けるようにするのも珍しくないこと。でもそれで本当に有意義な留学生活が送れるでしょうか?留学先で逢う日本人には日本では逢う機会もないような面白い人や変な人がいて多種多様。それが留学生活を潤し、刺激し、思いで深いものにしてゆくのではないでしょうか。

米国留学の先をテキサスにしたのはウエスタンが好きでカウボーイに憧れただけでなく「日本人が少ない学校」という理由でした。でも到着したら「少ない」ではなく「全くいない」キャンパスだった。厳格なミッション系の学校、日本語を話す機会がないため私の神経は2年でダウン。とうとう夜中に夢遊病で校舎を徘徊する程に。

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