[265]ウチマタスカシ

柔道は「柔よく剛を制す」の精神をもった武道です。最近の大会などでは、体重によってクラスわけしていますが、本来は力のない小さい人が、力のある大男を投げ飛ばすことを信条とします。なぜ小さい人が大男を投げ飛ばすことができるのか?それは、仕掛けてきた相手の力を利用して「返す」からできるのです。これこそ柔道の極意といえるものです。

今回のシドニーでは篠原選手は相手に「ウチマタ」を仕掛けられ、それをかわして「ウチマタスカシ」を決めました。つまり「ウチマタ」かけられなければ出来ない技です。この技は、大変高度な技で誰でもできるものではありません。しかし、篠原はこの高度な技で一本をとったにもかかわらず、誤審され銀メダルと相成ったわけです。

誤審はありましょう。審判だって人間ですから。しかし、その誤審をそのままにしておくというのはどんなものでしょう?例えば相撲の審判は行司ですが、古来より行司はその審理に命をかけていました。誤審となればその場で腹かき切って詫びたものです。そのために帯刀していたくらいですから。オリンピックの競技理事のコジマ氏も誤審を認めたといいます。だとしたら、再審のうえ判定を修正すべきでしょう。

ルールというのは、トラブルを避けるために設けられますが、その精神は、真実はどうであったか?を追求すべきものです。裁判でも控訴があるように、相撲でも「物言い」があるように審議自体を審議することは今や当たり前になっています。ルールだからどうしようもないというのは、前時代的考えであり現代で通用するものではありません。

選手は勝つために参加しています。オリンピックは参加することに意義があるというのは昔の話。今は勝たなければ何の意味もありません。勝つということは一番実力がある、という証です。だから審判は選手以上に責任がありまた真剣でなければなりません。

日本の選手も勝つために参加しているわけですから、このような理不尽な事件が起こったときは、直ちに参加を中止、そして納得のいかない判定には表彰台にあがることも拒否するような態度が必要だと思います。それが競技に命をかけてきた人間の生き様といえましょう。