[223]一里塚

一里塚とは、街道の両側に一里(約3.9km)ごとに土を盛り、距離の目安とした塚のことです。

「里」が最初に使われたのは、中国の周(紀元前700年頃)の時代のようですが、この頃の中国はインドと深い関係にありましたからインドから伝わったかもしれません。

漢(西暦100年頃)の時代には1里=360m、清(西暦1700年頃)の時代には1里=578mだったようです。だんだん長くなってきています。ところが、三国志の西暦300年あたりでは1里が約80~100mではないかとされる部分もあるようです。

月面から地球を見たときに肉眼で確認できる唯一の建築物といわれる万里の長城ですが、この万里の長城は1里は約4kmだから4万kmあるのかというとそうではなく、全長は約6000km。つまりこの場合の1里は500mということ。

日本では、律令時代(西暦700年頃)に1里=5町=545mと決められ、その後色々な経緯があったのち、明治2年(西暦1870年)に1里=38町(約4km)と定められました。

千葉県の九十九里浜の海岸線は約52km、1里=約4kmとすれば、99里はないと言うことになってしまいますが、この名がついたのが700年頃の律令時代とすれば95里にあたります。とてつもなく長い浜、ということで九十九里浜となったのでしょう。このことから九十九里浜はずいぶん古くからあったということが理解できます。