[104a]吉本興業

お笑いと言えば吉本興業。今や日本国内だけでなく海外までもその名声は鳴り響いて「世界の吉本」になりつつあるという。

吉本興業の創業者は吉本せい。明治22年大阪の米屋に生まれたせいさんは荒物屋の吉本に嫁いだ。まだ20歳前だったいう。旦那は吉兵衛といったが家業をそっちのけで遊びまわる道楽者。芸が好きで芸人を引き連れては毎日のように遊びまわった。おかげで家業は傾き、不況のあおりをまともに受けてあえなく破産。

それならばと、せいさんと旦那は、天満の天神様の境内にあった端席を借りて寄席を始めたのが大当たり。その後次々と寄席を買収して「花月」の名を付け、あっという間に30ほどの寄席チェーンを作り上げた。その後、旦那を亡くしてからは実弟を片腕に、昭和7年吉本興業合名会社を設立。京阪神の興行界を牛牛耳るまでになる。

吉本興行の凄いところは、芸人を吉本専属にして芸能プロダクションを作ったことで、寄席の席貸しと興行とを兼ねたところが新鮮だった。いわば寄席の近代化ともいえるものであった。

またそれまでは万歳といわれたものを、洋服を着て新しいスタイルで面白おかしく演ずる漫才も吉本のプロデュースによるもの。エンタツアチャアコなど演じた芸人もエライが吉本はもっとエライのだ。