[200a]煙火(えんか)

ロス5輪が開催される時、セレモニーの一環としてアメリカのセントルイスで花火大会があった。そのときに日本から渡ったのは4尺玉。直径1メートル以上もある花火にアメリカ人はびっくり。そんな大きな花火を日本人に任せるわけにはイカンということで、日本人スタッフは締め出されてしまった。ところが現地アメリカ人のスタッフはこんな大きい花火は打ち上げたことが無いというので拒否。困った主催者は急遽日本人の職人を呼び戻したという逸話がある。

花火大会などで使う打ち上げ花火は家庭用の花火と区別するために「煙火(えんか)」と呼んでいる。日本には1543年に種子島に漂着したポルトガル人が、火薬と鉄砲を伝えたのが最初で「花火」としては、1589年に伊達政宗が中国人の作った花火を楽しんだとか、1613年に徳川家康が中国製の花火を鑑賞したなどの記録がある。

その後、江戸では武士はもちろん庶民にも花火遊びが大流行し火事の原因となったため、花火禁止令が何回もでている。江戸と火事は切っても切れない関係にあり、そのため花火師はいつの時代も安全に気を使ってきた。美しい花火の歴史は火事の危険回避の歴史でもある。

隅田川にかかる両国橋は、武蔵(東京)と下総(千葉)の2つの国と結ぶことか付けられたもの。架橋の発端となったのは、明暦3年に起きた「明暦の振り袖火事」と呼ばれる江戸一の大火で、橋がないため多くの人が逃げ遅れ、命を落とした。このことを受けて万治2年に架設されたというのがいきさつ。そしてこの年に初代鍵屋弥兵衛が日本橋横山町にて花火を製造している。

江戸庶民に親しまれてきた花火は火の神を静めるという意味や、慰霊や悪霊を追い払うという意味でも行われてきた。享保の時代に両国付近では大飢饉やコレラの流行によって多くの死者を出したことから、その慰霊と悪霊退散を願い「水神様」を祭り「花火」を献上した。橋の上流側では「玉屋」が、下流側では「鍵屋」が受け持って競ったことから、花火大会でのお決まりのかけ声が生まれた。花火大会はいずれも好評で江戸庶民を楽しませたが、観客の重みで橋が壊れるというような事故もあったという。

花火の種類には大きく分けて「割物」と「型物」がある。割物とは花火の中に「星(丸めた火薬)」といわれるものを何重にも配し、玉の中央には割火薬を仕込み、炸裂と同時に大輪の花を咲かせるもの。これは球状に開くため、どこから見ても同じように見える。

「型物」は「星」の並べかたで、アルファベットや土星、めがねやハートなど夜空にさまざまな形を描き出す花火。最近ではドラえもんやキティちゃんなども登場する。ただし型物は球形でないため、見る角度によってはせっかくの模様が単なる線にしか見えない、といったことも当然起こる。

製造の段階では、この「星」作りが職人技となる。星は火薬をまぶしては天日で乾かし、またその上にまぶして・・・というように根気のいる仕事。このまぶしかたで炸裂した時の色や残像が決まるという。職人によっては企業秘密となる部分もあるようだ。

打ち上げる高さは、4号玉(直径12cm)で160メートル以上。前述の4尺玉では500メートル以上の上空に打ち上げる。開く大きさは直径120メートル(4号玉)にもなる。もちろん不発もあるから、花火大会の終了後や翌朝の点検なども花火師の重要な仕事。シーズン中はまさに寝る暇も無い。

花火は生き物。職人の火薬調合の感覚から打ち上げられたときの風向きまで、わずかなことで影響が出る。特に風向きは重要。風がまったく無い夜は、花火は煙で見えないこともある。そんなときは花火師は手順を変えるなどしてイベントを盛り上げなければならない。そこには職人の技と知恵が不可欠。花火は世界に誇れる日本の伝統芸能といえる。