[192a]気象庁

神津島で震度6弱の地震があった。震度6といえばほぼ最大の震度。もちろん立っていることも出来ないし、揺れている間は逃げることも不可能。その間に土砂や家が倒壊すればそのまま生き埋めとなる。そして神津島では人が死んだ。

気象庁はのんきだ。いや、こういっては失礼か。気象庁は気象に関するデータを正確に発信するのが仕事。そして今後どうしたらいいかの指針を示す。それを受けてどう対処するかは、行政(石原さん)の仕事だ。だから淡々とデータを公表する。

ここ2、3日、「三宅島の噴火は終息に向かっている」として住民の帰宅を促し、にもかかわらず神津島では震度6もの地震が起きている。で、この地震は噴火とは直接的な関係は無いとしている。どうも納得がいかない。いや島民はもっと納得がいかないだろう。噴火と地震が関係ないといわれても、実際島は大揺れだ。本当に島は安全なのか?

伊豆諸島は今ものすごく危険なのではないか?島外への避難が必要なのではないか?なんか非常にのんきな気がする。失礼を承知で言わせてもらう。「島民ものんきだ」。長年住んだ地だからだろう。気持ちはわかる。しかし、伊豆諸島に限らず日本は火山列島だ。日本沈没ではないが本当に日本列島がなくなることだって十分に考えられる。小説の中だけの話ではないのだ。

と、息を荒立てても、「そんなことゆーたかて」と馬の耳の念仏。ほとぼり冷めれば家に帰っていく。噴火の傷跡は後の観光名所として売り出す。生活があるからしょうがないが、そんなところは結構貪欲である。

日本民族は流浪の経験がない。いやほんとは大昔は中国大陸から流浪の民として移り住んできたのだが(たぶん)、島国となってからは結構安穏と暮らしてきた。そんな安住の経験から自分の住んでいるところは大丈夫だと言う先入観が生まれている。

喉元過ぎれば~、と言う言葉があるが、これは人間の本性であろう。あまり遠くのことは考えないし、過去は忘れることになっている。じゃないと心配で夜も練られない状態になってしまうだろう。

たとえばあと50億年後には地球はなくなる。太陽もなくなる。つまり私たちの安住の地は確実になくなるのだ。しかし、これを夜も眠れないほど憂いている人は皆無だ。そんな先のことはどうでもいい。人間はそんな先のことを考えるようにはできていない。だからこそのんきに生きていける。

しかし思う。いまこそ自分の安住の地を確かめてみよう。いつもそこが安全だとは限らない。場合によっては海外に住むことも考えておこう。不確実性の時代。古い言葉だが今だってやっぱり不確実性の時代なのだ。あらゆる状況を考え対応策を考えておくのも悪くないと思う。

とりあえず、伊豆諸島の皆さん。暑くて大変でしょうが、がんばってください。