[767]北村英治

クラリネット奏者で有名な人といえば北村英治さん。慶応のライトミュージック出身であり、自他ともにジャズクラリネットの第一人者。日本のジャズ界でクラリネットの地位を高めた功績は大きい。本場アメリカのジャズクラリネットの大御所ベニーグッドマンとも競演したこともある人です。

北村さんは、物がなかった旧制中学時代に、友達の持っていたクラリネットを吹いたのが病みつきとなり、なんとしても自分のクラリネットをほしいと思った。しかし当時は楽器は高嶺の花。ちょっとやそっとでは買うことはできない。ましてや父親を早くに亡くした北村さんは一番上のお兄さんに学費などを出してもらっていた。とてもクラリネットを買ってくれなどと言い出すことはできなかったのです。

そこでお金をためる為に、通学にかかるバス代と昼食代を節約し、約1年半後にやっとの思いで900円を貯めた。そして兄から300円のカンパ。しかし楽器店のショウウインドゥに陳列されていたクラリネットは1350円。根性で楽器屋の親父に頼み込んでまけてもらい、晴れて自分の楽器を手にする。しかしこの楽器、クラリネットは5つの部品に分かれるのだが、すべて素性が異なる寄せ集めだったとさ。

北村さんは進駐軍のバンド演奏やジャズクラブの演奏でその腕を独学で磨いてきた。しかし50歳になって考えたのは、100歳まで吹きつづけるにはやはり基本から学まねば、ということだった。そこで師匠探し。なにせ既に日本一のジャズクラリネット奏者の北村さんを師匠とあがめる人はいても師匠になろうなんて人などいやしない。探しまくった挙句、標的となった人はかつての北村さんのファンで、クラリネットを勉強しにドイツに留学し助教授となって帰ってきた東京芸大の村井さん。なんと北村さんより20歳も若い青年だった。

最初は冗談じゃないと村井さんは嫌がった。しかし北村さんの情熱に負け師匠になることを承諾。いざ師匠となった村井さんは厳しかった。村井師匠が言うにはクラリネットは近くで聞いてもうるさくなく、遠くからもさりげなく聞こえなくてはいけない。北村さんのクラリネットは近くではうるさく、遠くから聞けば何だかわからないと手厳しい。この曲からやり直しなさいと渡された曲はなんと「ちょうちょ」だったという。

今、北村さんのクラリネットの音色はとても優しい。ジャズクラリネットにありがちなうるささがない。「ぽー」と聞こえてくる熟達の音色は村井師匠のおかげだという。

人生いつまでたってもお勉強を忘れてはいけませんな。

北村英治(きたむらえいじ)1929年4月8日東京生れ。慶応大学出身。1951年南
部三郎クインテットでデビュー。74歳。Eiji Kitamura
北村英治ホームページ

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