[681]清少納言と紫式部

お正月も近くなると日本的な文化に触れる機会も増えてきます。小倉百人一首などを紐解いて見るのも良いかもしれません。ゆったりとした気分で。

百人一首にも登場しますが、西暦1000年の平安時代、日本が世界に誇れる女性が二人いました。34歳の清少納言と27歳の紫式部です。清少納言は枕草子を書き、紫式部は源氏物語を書きました。といっても紫式部はこの時はまだ執筆していないのですが。

この二人はしかも同じ宮中に女房として仕えるなど非常に接近していました。しかし、二人が実際に会っていたかどうかはわかりません。清少納言は993年から1000年にかけて宮中に仕えていましたが、紫式部が宮入したのは1005年。実際にはすれ違いだったといえましょう。

清少納言が仕えたのは一条天皇の妃である定子。明るく快活な定子は清少納言に紙と筆を与え枕草子を書くように勧めたと言われます。清少納言も快活な性格で頭の良い女性であったらしく漢文なども読めた才媛。

一方紫式部は、幼いうちに母をなくし、頼りにしていた姉をなくし、遅くに嫁いだ先では夫も早くになくし、傷心のうちに書かれたのが源氏物語です。その源氏物語が有名になり、時の藤原道長の目にとまって宮入を勧められたのが経緯です。もしかしたら紫式部と道長は愛人関係であったかもしれませんね。

紫式部が仕えたのは中宮彰子。紫式部と同様、地味で控えめな妃であったとされます。そのおとなしい紫式部にして清少納言の文体をこき下ろす記述があるのは有名な話。一体何があったのでしょうか?

ちなみに清少納言からの反論はなかったものとされています。紫式部は清少納言を知っていましたが、清少納言は紫式部をどうやら知らなかったようです。

紫式部は42歳で亡くなりました。21歳年上の夫も51歳で死亡。清少納言の没年は不明ですが、清少納言が仕えた定子に至っては25歳の若さで亡くなっています。

短命な時代ですが、時間はゆっくり流れ、感性はそれだけ豊かであり、若くして人生を見つめる機会も多かったのではないでしょうか?

(文中の年代は説によって2、3年のずれがあります。ご了承ください)