[597]伊賀と甲賀

伊賀・甲賀というとやっぱり忍者を連想しますね。伊賀は三重県の西部に位置し、甲賀は滋賀県の南東部に位置する。伊賀と甲賀は御歳(おとぎ)峠をはさんで隣接し、またこのあたりは奈良や京都にも近く、都と地方を繋ぐ重要な地でもありました。

忍者の先祖をたどると、服部半蔵で有名な服部氏はその昔は中国のにルーツがあり、渡来の際に鉱物採掘の技術の持ってきたらしい。その技術を生かすために甲賀伊賀の山中に永住の地を求めたのでしょう。

忍者は鉱物の知識を元に火薬の製造に長けていました。このことが火薬を使用する忍術に結びついたと考えられます。火薬を使ったパフォーマンスはそれこそ人々を驚かせたことでしょうねぇ。

また薬物にも詳しかったようで、毒を自由に使いわける技術は刺客としての忍者をはぐくむこととなります。しかし、甲賀伊賀人々がすべて漫画に出てくるような忍者であるとは限りません。あれはあくまでも漫画の世界の話です。

織田信長が登場するまでは、伊賀も甲賀も独自の共和制をしき、その部落を守ってきましたが、信長はこれを嫌い制圧に乗り出します。天下の信長に敵うわけも無く、甲賀は生き残りのために織田信長の傘下に入ります。一方伊賀は制圧されてしまうのですが、直後に起こった本能寺の変に際し、徳川家康を伊賀越えの手助けをしたことから生き残りのチャンスを得たのです。以来、徳川に仕える伊賀者は服部半蔵をして功績を認められ、江戸城を守る半蔵門の建立という異例の栄誉を得るまでになったというわけ。

伊賀甲賀の忍びは、共和制という独自の部落を守るために戦闘、謀略、諜報の技術を否応無くつけざるを得なかった点、優れた種族であったことも見逃せません。甲賀は後に信楽焼きを発達させ、伊賀の末裔は松尾芭蕉を生んだことは有名な話です。