[582]ゼネコン

ゼネコンといえば公共事業。公共事業といえば汚職。いういった構図ができあがってしまっているのがなんとも悲しいですねぇ。ゼネコンといえば思い浮かべるのが最大手の大林組ですが、創始者の大林芳次郎が現在の建設業界を知ったら悲しむでしょうね。というのも現在の大林組の地位を作ったのは、大林芳次郎の誠意ある仕事振りが源だからです。

ゼネコンとはゼネラルコントラクターのこと。コントラクターとは「請け負う」という意味。つまり工事の細かいことからすべてひっくるめて面倒みますよ、ということです。公共事業はまっさらの開発から始めることが多いので、ゼネコン業者に依頼することが多いようです。

大林組の創始者、大林芳次郎は早くに親を亡くし、大阪は心斎橋の呉服屋に丁稚奉公しました。長年の奉公の末、番頭になるまで出世しました。明治の初めに大阪にできた府庁舎を見て芳次郎は唸った。「ワシもこういうのを作りたい」。思い立ったら行動は速い。呉服屋を辞め、建築の勉強をするため上京。修行を終えて大阪に帰ってきて大林組を創設したのが明治25年のこと。

大林組は決して先発組ではありません。それどころが創始者の大林芳次郎は呉服屋から転職した人で、実績なんかまるで無い。しかし、持ち前のバイタリティと誠実さで初めて落札に成功した仕事が朝日紡績工場の新築工事。芳次郎は精魂込めて仕事をし、納期もらくらくクリアして納めた。この仕事振りが世に認められ後の基盤となったのです。

ゼネコン大手といえば鹿島、大成、清水ですが大林組も負けじとしのぎを削っています。いい仕事をしてほしいものです。

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