[1032]八百長(やおちょう)

朝青龍関の連戦に八百長疑惑が持ち上がっています。告発したのは週刊現代。書いた記者・武田頼政さんはテレビでも顔出ししており、信憑性にはかなりの自信があるようです。

そもそも八百長とはどういうことをいうのでしょうか?

八百長とはもともとは八百屋の長兵衛という人の名前です。時代は明治になってすぐの頃。長兵衛は相撲の年寄り伊勢ノ海五太夫と懇意であり、相撲はかなわないけれど囲碁では長兵衛のほうが上手でした。

しかし、お客さんでもある伊勢ノ海五太夫にそうそう負けるわけにもいかず、商売上の打算もあり、わざと負けて伊勢ノ海五太夫のご機嫌をとることも多かったのです。真剣勝負のように見せかけて、打算上手加減をすることを八百屋の長兵衛が行うところから「八百長」というようになったのです。

ちなみに伊勢ノ海五太夫は明治維新後の大相撲の復興・普及に尽力した人で、江戸時代から続く由緒ある江戸相撲興行の御三家の一つ「伊勢ノ海」を襲名した人です。今で言う理事長に匹敵する地位の人ですから、普通の力士は頭も上がらない雲上の人です。その伊勢ノ海五太夫に負けてあげた八百屋の長兵衛も人物といえましょう。

最近の八百長疑惑で有名なところは、1995年11月場所の千秋楽優勝決定戦での若乃花勝と貴乃花光司の対戦。史上初の兄弟力士での優勝決定戦になった一番ですが横綱・貴乃花があっけなく敗れ、八百長ではないかといわれた取り組みでした。後日、貴乃花がこれをふりかえって「やりにくかった」と発言したのは記憶に新しいところ。

そもそも相撲は近代西洋スポーツとは一線を画す、日本の国技・伝統文化です。スポーツの世界では八百長は断じて許されませんが、日本の文化の中では「わざと負けることが美しい」という風潮もあるのです。

相撲は本来、五穀豊穣を願う儀式が起源になっています。一人相撲といって、見えない神様を相手に一人で相撲をとる儀式も存在します。神相手の勝負ですから、力士はわざと負けます。そういった背景を理解せず「いんちき相撲」などと軽口するのは早計かもしれません。

しかし、問題なのは日本相撲協会は財団法人であること。公益法人とはいえビジネスとして相撲を行っています。そして力士はプロですから報酬を得ることで取組みをします。一番で100万円単位の金が動く世界なのです。金が絡むところに八百長が仕掛けられる。こうなると、黙っているわけにはいかないというのが世の常となります。