[441]ニコヨン

2013年5月26日

小学生の頃(1965年頃、担任の先生がよく言ったものです。「今日は授業のかわりにニコヨンを行なう」

ニコヨンってなんだ??よくわからぬまま、しかし、勉強しなくてもいいことと、「非」日常がうれしくて、バンザーイ!などと皆で叫んだ記憶があります。

何をしたかというと、主に校内の掃除や整理であります。体操服に着替え、埃にまみれてみんながんばった。当時の担任の先生は、今もご健在です。お聞きしたわけではないが、多分戦争直後のニコヨンを経験されたのではないかと思う。今度同窓会を行なう予定なので伺ってみようか。といいつつ何年も同窓会を行なっていない・・

今から53年前の昭和22年(1947年)、政府は11月30日に職業安定法を公布して翌12月1日から実施しました。

当時、町で繁盛していたのは闇屋とかつぎ屋だけ。町は復員してきた兵士と海外からの引揚者でごった返し、職につけない人であふれていたようです。ちなみに米1升の値段は1月60円、2月70円・・・9月155円、10月180円とうなぎ上り。いわゆるヤミ米です。生活もままならない日々が続きます。

職業安定法の公布によって職業安定所ができ、日雇い労働の斡旋が始まった。そのときの賃金が240円。これを俗にニコヨンといいます。

現在では職業安定所は「ハローワーク」、ニコヨンは差別用語に指定され「日雇い労働者」から「自由労働者」と呼ぶようになりました。時代は変わったけれど、景気回復の見通しがたたず大手企業のリストラで、日本は再び失業者が激増しています。歴史は繰り返すといいますがこんなことは繰り返してほしくないと思ってしまうのですが・・・

ちなみに「かつぎ屋」とは船で韓国と日本を行ったり来たりしながら道具や食料などを相手国に持ち込み、売りさばく商売のこと。「闇屋」は当時食料など配給以外の取引は違法となりますが、配給では当然足りないので、闇取引をして食料を手に入れますが、その間に入る業者を闇屋といいます。