カテゴリ"歴史・伝統文化の常識"のコラム

[1218]日本の国旗と国歌(君が代)

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君が代(きみがよ)は日本の国歌です。正式に制定されたのは比較的最近の1999年。国旗国歌法によって法的に制定されましたが、歌自体はすでに明治時代にも国歌として扱われてきたものです。

歌詞自体は平安時代に詠まれた和歌に基づくものとされ、明治時代その歌詞に林廣守が曲を付け、ドイツ人の音楽家フランツ・エッケルトが西洋的なアレンジをして現在の「君が代」となりました。日本的な響きの中にも西洋的な荘厳さがあるのはドイツ人の手が入っているからなのですね。

明治時代から国歌として慣例的に用いられてきた「君が代」は、その内容が天皇を尊重するものということから、右よりの意見や、左よりの意見が今なお交錯しています。

思想的なものは抜きとして、みんなで唄える国歌はあっていいのではないでしょうか。そして国旗も同様。しかし今上天皇は国家掲揚国歌斉唱については「強制的でないこと」を望んでいるようです。

《君が代の歌詞》

君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
こけのむすまで

これを漢字を交えた文章にすると意味がわかりやすくなります。

「君が代は 千代に八千代に 細石の 巌となりて 苔の生すまで」

君(天皇、君主)の時代は、千年、八千年も続きますように。
細かい石が大きな岩となって、それに苔が生えるくらい永年にわたって繁栄しますように。

訳するとこんな意味となります。ここで、君=天皇とするところにいろいろな意見が分かれる原因となっています。

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[1217]日本の国旗と国歌

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日本の国旗は日章旗、つまり日の丸。そして国歌は「君が代」。

誰もが知っている日本の国旗と国歌ですが、正式に決まったのは1999年(平成11年8月13日公布施行)のこと。これは日本の国旗と国歌を決めた法律「国旗及び国歌に関する法律」によります。意外ですがつい最近のことなのです。

《国旗国歌法》

第1条 国旗は、日章旗とする。
第2条 国歌は、君が代とする。
附則 施行期日の指定、商船規則(明治3年太政官布告第57号)の廃止、商船規則による旧形式の日章旗の経過措置。
別記 日章旗の具体的な形状、君が代の歌詞・楽曲。

これだけの法律です。

日章旗とは日の丸のことですが、これが使われたのはかなり昔の平安時代からとされています。正式に日本のシンボルとして採用されたのは江戸時代末期から。当時の島津藩が海外交易用に使っていた日の丸を、民間の商船であるという目印に江戸幕府が正式に採用したのがのが起源です。

その商船時代の旗は日の丸の位置が竿側に多少ずれていたものでしたが、国旗国歌法により、現在は中心位置になっています。法律の附則は以前の規格でも使えるようにした但し書きです。

《国旗の仕様》

縦:横の三分の二
日章:直径 縦の五分の三
中心:旗の中心
色は地は白色、日章は紅色

制定のいきさつは、ご存知のとおり、学校等で国旗掲揚、国歌斉唱が行われなくなったため、これを遺憾とした文部科学省が法の制定の方向で動いたものです。この点につきましては、裁判でも争われた経緯があり、共産主義(あるいは左翼)とナショナリズム(あるいは右翼)の関連があり白黒させるのは難しいところです。日教組も絡んできます。

ところで、戦争映画でよく見る日本の軍艦に掲揚されている朝日のマークの旗は「旭日旗旗(きょくじつき)」といって、日章に旭光をデザインしたもの。旭日旗は敗戦後一時は使用を中止しましたが、現在では陸上自衛隊が光線が8条ある「八条旭日旗」を、海上自衛隊では光線が16条ある十六条旭日旗を使っています。航空自衛隊はアメリカ臭のする鷲をデザインしたものになっています。自衛隊旗はいずれも旧日本軍隊色が非常に強く、このあたりも海外を刺激してしまう原因となっていると思います。

国歌「君が代」については次回

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[1216]天高く馬肥ゆる秋

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9月に入ったばかりはまだ残暑が厳しく、しかしそれも9月下旬になると涼しさとともに湿度が下がり快適な気候となります。これが10月になると秋晴れで行楽にも良く、またおいしいものが並び食欲をそそる秋でもあります。

10月第二月曜日は体育の日となっていますが、これはもともと東京オリンピックの開会の日(10月10日)を記念したもの。10月10日は晴れの特異日で、一年でも天気の良いこの日をわざわざ選んだのです。(なのに体育の日を第二月曜日にしてしまうとは...)

さて、気候の良いこの季節を指して「天高く馬肥ゆる秋」といったりします。豊穣の秋あるいは食欲の秋を彷彿とさせるこの言葉ですが、じつはこの解釈、日本独自のものです。

もともと中国の故事である「天高く馬肥ゆる秋」は中国人にとって警戒の意味を表す言葉です。食欲とはまったく関係がありません。

秋は実りの秋。この時期になると中国では北のほうから匈奴(きょうど)と呼ばれる騎馬民族が収穫物を略奪するために攻めてきます。せっかく実った農産物を略奪されてはたまりません。そのためこの時期になると「天高く馬肥ゆる秋は北を良く見張って注意しよう」と皆で呼びかけあったのです。それが故事として残ったものと考えられています。

中国では特に北東方角を鬼門といって凶意を表すことに使いますが、これは敵が攻めてくる方向を注意警戒するためのもの。陸続きで広大な土地を持つ中国ではこういった災難に対して警戒することがとても重要。世界遺産にもなっている万里の長城も匈奴の侵入を防ぐためのものです。

攻めるほうの匈奴もすごい語句で呼ばれたものですが、彼らも厳しい寒さのため農作ができず、自民族を守るためには南方への略奪の道を選ばざるを得なかったのです。ちなみに、匈奴とはモンゴル一帯の遊牧民族を言いますが、差別用語のためモンゴル人や中国人の前では使わないようにしましょう。

「天高く馬肥ゆる秋」=「常に外敵の侵攻に対して警戒をする」という意味。

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[1215]情けは人の為ならず

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情けは人の為ならず

この意味はどちらでしょうか?

(ア)人に情けをかけておくと、巡り巡って結局は自分のためになる
(イ)人に情けをかけて助けてやることは、結局はその人のためにならない

正解は(ア)ですが、じつのところ(イ)と誤解している人が正しく理解している人を超えているというデータがあるようです。

このことわざは日本のもので、出典は南北朝時代の1300~1400年ころの伝記「曾我物語」からきています。もちろん原典の意味するところは(ア)。これは道教の教えでもあるようです。

誤解の根本は、「人の為ならず」の解釈を、「人の為にならず=人の為にならない」と独自解釈してしまうことから発しています。ここは「人の為=他人の為」+「ならず=ではない」つまり「他人の為ではなく」と解釈すべきなのです。

しかしこれだけ誤解が多いということは、それなりの理由がありそうです。というのも本来の意味である「巡り巡って」というのが忙しい現代人に合わない事。そして、他人のためにならない=甘やかさない、という理論も厳しい現代で生き抜くには必要なことというなるほどと思わせるものがあるからでしょう。

2008年9月22日、自民党総裁選により選出された第23代総裁麻生太郎氏(68)は平成18年の外務大臣時代に演説でODAの必要性を説いていました。そのときに引用されたのがこの「情けは人の為ならず」。

《麻生氏の演説要約》

「ODAは他人を思いやる暖かい気持ちを抜きにやって貰っては困る。最後は日本のためにしているのだという点を忘れて貰ってはいけない。」

《似たような諺》

「情けは質に置かれず」...質草(金銭的価値)にもならない情けは役に立たない
「情けが仇」...かけた情けがかえって悪い結果になること


諺で学ぶ韓国語1

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[1203]西武園とユネスコ村

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昭和40年代、東京周辺で幼い時を過ごした人は遠足でよく西武園に行ったと思います。西武園は西武鉄道グループが当時どんどん伸ばしていた西武鉄道沿線の充実を目指して遊戯施設として開園したものです。

西武園遊園地にはジェットコースターやオクトパスなどの遊戯施設もありましたが、遠足ではそういった乗り物は有料なので乗りません。もっぱら弁当持参し併設されていたユネスコ村のほうがメインです。

ユネスコ村というのは、1951年日本が60番目にユネスコ加盟したことを記念して西武鉄道が開園したテーマパーク。入り口にはトーテムポールが立ち世界各国の家を模したレプリカが建っていて園内を巡れば世界旅行ができるという趣向。ただし家の中はがらんどうで埃っぽかったのを記憶しています。

加盟国は60カ国なのでおそらくその数だけ家が建っていたのでしょう。印象深かったのはブラジル。高床でバナナの皮を葺いたような家でしたが果たしてこれが本当にブラジルの家だったのか今となってははなはだ疑問ですが。

ユネスコ村は収益性が全く無いので、約40年続いたものの1990年(平成2年) には閉園。1993年(平成5年)には ユネスコ村大恐竜探検館として開館したものの2006年(平成18年)には閉館しています。現在はユネスコ村自然散策園「ゆり園」として営業中。

株式の虚偽記載で問題になったいわゆる西武事件は2004年の頃。ユネスコ村閉園は西武神話崩落の序章だったのかもしれません。

15日の東京株式市場で、有価証券報告書に大株主の株式保有比率を虚偽記載していた問題が発覚した西武鉄道株は前日に続き売り注文が殺到し、値幅制限いっぱいとなる前日終値比100円安のストップ安となる781円で午前の取引を終えた。(2004年10月15日 読売新聞)

テーマパークといえば今でこそメジャーですが当時は珍しいものでした。もしかしたらユネスコ村は日本初のテーマパークだったかもしれません。ちなみに日本初といわれるテーマパークは常磐ハワイアンセンター(福島県いわき市)のオープンは昭和41年1月15日。ユネスコ村は昭和26年9月16日の開園ですからそれより15年も早くオープンしているのです。

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著者プロフィール

たまごや
1954年1月東京中野区生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。現在茨城県にて有限会社たまごや主催。独自の視点によるコンテンツの発信と「感動の園芸・儲かる農業」をテーマとした肥料販売サイト「たまごや商店」を手がける。