〔5〕残すという才能

しじみです。前号「時間の使い方にマイッタ」に関し、沢山の励ましのお便りいただきました。皆さんからいただいたメールには様々な思いがこめられていて、思わず泣いてしまったと同時に「こんなことで負けてはいけない」と前に進む元気をいただけました。いただいた1通1通が今私の心に残ってます。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。この件に関しては、今派遣会社と交渉中です。来週あたり、その経過をお伝えできればと思ってます。今週はお仕事とはちょっとそれますが、「残す」ということについて考えてみました。

ある日、前の会社でお世話になった先輩が私に言った。「私には優れた才能もないし、人より何かがぬきんでてできるわけでもないでしょ?だから子供が欲しいんだ」

最初私は“子供”と“才能”の繋がりがピンとこなかった。先輩はきょとんとしている私を見てこう付け加えた。「自分が生まれてきた意味を何かのかたちで残そうと思った時に、私が残せるのは子供なのかな、って思ったの」。

それからまもなく先輩は妊娠した。

私は物心ついた時から“残す”をいうことを考えた事がなかった。自分の生まれてきた意味や、自分がこれから何をしていくべきか、深く掘り下げて考えるということができなかったのだ。できなかったというより、そういう意識が欠落していたという方が適切かもしれない。

それは働き方にもあらわれていると思う。私は派遣社員だ。派遣社員の雇用主は派遣会社であって、就業先の会社ではない。そのスタンスが気に入っていた。私の頭の中は常に単純明快で「気に入った会社で働ける。でも正社員として拘束されることはない。正社員としての仕事内容を問われることもないだろう」正社員特有のわずらわしさからは常に逃げていたい、そんな風に考えていた。

だから業務上、全面にでることをさけ、ひっそり仕事をするよう心がけていた。契約が終了したら「あれ、山口さんなんて人いたっけ?覚えてないな」、そんななんの形跡も残さないような働きかたを望んでいたのだ。

先輩の妊娠を仲間内でお祝いしてから数ヶ月後、メールがきた。その中には妊娠した子供を流産したこと、その経緯、辛い心内が綴られていた。“しじみが一番楽しみにしてくれていたのにね。ごめんね”とまで書かれていた。

その時、私はことばでは表現できないほどの怒りを感じ、自暴自棄になった。「神様なんてこの世にはいないよ」しばらくの間それが私の口癖だった。

世の中には子供を産んだそばから殺してしまう母親だっているのに、先輩は子供を産むことを心から楽しみにしていた。子供を産んで、自分の意味を確かめようとしていた。そういう人に、こんな私がかけられることばってあるんだろうか。

かけることばが見つからないまま、何故か私は以前先輩が熱っぽく語っていた“何かを残す”ということを考えるようになった。“残す”という中には沢山のものが存在すると思う。芸術家やミュージシャンのように、自分の作品を目に見えるかたちで残せる人。もちろん先輩が言ってたように、子供だってそうだ。

だけど、目に見える物だけとは限らない。考えてみれば、先輩の存在は一緒に働いていた頃から常に何かを私に残してくれていた。彼女は結婚を機に仕事を辞めた時、あとに残った私の業務が混乱しないようにやりやすい道を作って残しておいてくれた。子供がお腹に宿った時の、感動や不思議さを私に話してくれた。

それは確実に私の心に残っている。“残す”というのはそういうことなんだと思う。少しだけ私の中で、何かが動いたような気がした。

先輩が元気になったら、この話しをしようと思う。

「私も先輩のように何かを残せるように頑張ってるよ。今は仕事でも、何かを残せるかもしれないって思いはじめてるんだ。こんな風に考えられるようになって、ちょっと毎日が楽しくなった。元気になったらまた赤ちゃんつくって。そして産まれたら私に一番最初にだっこさせてね」って。

2001.07.12

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