〔35〕ヘビィな気持ち

今年に入ってから、私はなんとなく釈然としない、重々しい気持ちを抱えながら、会社に通っていた。

風邪をよくひき、身体がだるい。なんだか歯まで痛い。年末年始は出歩くことが多かったので、その疲れが今でているのか、はたまた毎年冬になると発症する軽い鬱的症状なのか、、、一体何が原因なんだろう。そんな風に考えながら毎日せっせと仕事をしていた。

そんな矢先、課長から呼び出しをくらった。課長からの呼び出しは不吉の前兆のようなものだ。「今回は何だろう。契約の件かな、それとも仕事内容についてかな。ま、どっちにしろあまりいい話ではないだろう。仕事量もっと増やせなんて言われたらたまったもんじゃない。面倒だな。」などと考えながら会議室に向かった。

私の予測は当たらずど遠からず。開口一番課長はこう言った。「山口さん、まだうちの仕事、続けてくれるよね?」

気の弱い私は“単刀直入”な表現に弱い。一気に結論から入られてしまうと反論はおろか質問もできなくなってしまう。昔からの悪い癖だとわかっていても直せないのだ。その時も、思わず「はぁ」とうなづいてしまった。

すると彼はそれを尻目にまくしたてはじめた。「いやー。4月の組織編成でだいぶ部内が変わってしまうんだよ。内勤をやってた茂手木君を営業に出して、営業で頑張ってた外田が大阪に取られてしまうんだよ。つまり、内勤は君と加藤の2人だけになる。ゆくゆくは増員していくつもりでいるが、今君に辞められたら大変なことになってしまうんだよ。」

愕然とした。課長の前で思わず「マジですか?」という言葉を使ってしまったくらいに。内勤NO.1と営業NO.1がいなくなってしまう?

私は実は今までこのお二人に散々頼ってきてしまっていた。「もう仕事する気なくなっちゃったなー。茂手木君、私もう帰るからさ、ここからお願いしていい?」「外田さん、引き合いあったんですけど、私では解らない明細なので、あとお願いできますか?」。サバサバしてて、人間的にもできている彼ら2人は私にとって、ある意味で体のいい大切な同僚だったのだ。

“そのお二人に頼ることがもうできなくなる”

しかも営業NO.1の後釜が中途採用1年目の仕事のできない男だなんて。トラブルが起こるのは必至だ。更に一明細の入力ごときに5分も6分もかかる加藤君とペアで仕切るのは絶望的に近い。うちの部は営業マンが10人もいるんだぞ。今だって手薄な個所があるのに、絶対に無理だよ。

私はいつのまにか自分がどこにいるのかもわからなくなっていた。頭の上から岩がおっこちてきたような衝撃だ。

課長の話しは続いた。「山口さんは以前、“責任ある仕事をしたい。だから正社員と同等に扱ってくれてもかまわない”と言ったよね。これから社内は更にゴタゴタすると思う。君の力がどうしても必要なんだよ。君に全てを取りし切ってもらって、リーダーとしてみんなを引っ張って行ってもらわないとね」

え?私、正社員同等に仕事がしたいなんて言ったっけ?しかもリーダーって?

もちろん以前そう感じたことは何度もあった。「派遣という働き方で本当に満足?」って自分に問うた時、「もっとやりがいのある仕事を任せてもらえたら」と思ったことは間違いなくあった。でもそんなにあからさまに私はあなたに言ってない。言ったことがあったとしても、それはもっと「深く狭く」の意味だったのだ。

課長との話し合いが終わってから、思った。なんとなく釈然としない日々を送っていた原因はこれだった。暗澹たる気持ちになったのと同時に、逆に胸のつかえがとれた気がしたからだ。組織がえの結果、どのくらいの比重の仕事が私にかかってくるのか、それがずっと心配だった。

それが、なんと、こんな至上最悪の結果になろうとは。

あーあ、どうして私はこういいように使われてしまうんだろう。どうして私はその場その場で感じたことを思ったようにことばで表せないんだろう。

春の到来が待ち遠しかった昨日とはうって変わって、「春なんかこなきゃいいのに」と本気で考えている私がそこにいた。悩みって本当に尽きない。

2002.02.08

〔34〕セクハラ

定時ちょっと過ぎに会社を出ようとした瞬間、近くを通りがかった部長に「あれ?山口さん、ずいぶん早いねぇ。今日はおデート?」と呼びとめられた。

鼻歌を歌って歩いてきた彼は何かいいことがあったのか、やけにニコニコしていつになく機嫌がよさそうな感じだった。

私が笑いながら「いいえ。残念ながら女友達と食事です。」と答えると、近くでそのやりとりを聞いていた課長が「お。部長、若い女の子にそんなあからさまに聞くなんて。そりゃセクハラですよ」とやじを飛ばした。

部長は顔を赤らめ、「いやー。そうなの?ごめんごめん。山口さん、今の聞かなかったことにしといてぇ。」と言ってそそくさと行ってしまった。

これは“セクハラ”なのだろうか。

曖昧な言い方になってしまうが、私は実は“セクハラと思われるもの”に遭遇したことが無い。されていたのに気付かなかっただけかもしれないし、私のキャラがそういうものを感じさせず、されなかっただけかもしれない。

ま、それはどちらでもよいわけだが、上記のやりとりを思い返すと、なんとなく腑に落ちない気がしてしまう。「あんな会話でセクハラになってしまったら会話という会話ができないではないか」とふと悲しい気持ちにさせられた。

その後、プライベートでの食事の最中にその話しを出したら、ちょっと頽廃的な雰囲気を持つ友人はこう答えた。

「セクハラなんて流行らせたのはだいたいがブスな女なのよ」

彼女の持つ独特の理論は聞いていて非常に面白いものなのだが、今回の理論はこうだった。

「世の中の男と女っていうのはさ、みんな“性”でつながっているのよ。女にとって“性の対象”として見られて、ちょっかいを出されるなんて名誉なことじゃない?私だったら大手を振って歓迎しちゃう。ま、そういう女に男は手を出さないもんだけどね」

「セクハラされなくなったら、そりゃ淋しいわよ。そんな風に感じつつ、実際セクハラをされなくなった女が“私は女です”“まだピチピチです”ってことを訴えるために逆説法を使って“セクハラされた”と言い張って、自分が女であることを認めてもらおうとしてるだけなのよ」

その場にいた友人も私も笑い転げたわけだが、確かに。もちろんそれだけではないが、彼女の言ってることもわかる気がする。現に被害に遭われてる方には申し訳ないけど、そういう見方も案外ないとは言いきれないかもしれない。

“性的対象として見られる”ということを単純に考えると、嫌な気はしない。もちろんレズビアンなら別だし、それが就業中ともなると話しは違ってくるわけだが。

年のこと、彼氏の有無、洋服のこと、スタイルのこと、それらをけなされたらそりゃムカつくが、単に聞かれたり、ほめられたりする分には、それは会話の一部なのだ。それ以外に他の意図を読み取ろうとする方がおかしいのではないだろうか。そんな風に私も思う。

“セクハラ”と騒ぐ女性には、どこか「セクハラされたい」という願望が潜在的な部分に潜んでいて、それが男性に何度となくちょっかいを出すスキを与えてしまっているのかもしれないなぁ。

場面場面で、“この人にはOK”“この人はNG”と見極める目を持つということが、今の男性には必要なのかもしれない。

2002.02.01