〔47〕「弱さ」を知る“強さ”

GWの最終日、私は母と共に叔母の家に行ってきた。その叔母は母の一番下の妹で、現在50歳。埼玉の奥地(群馬県より)に住み、けっこう名の通った病院で看護婦の婦長をしている。

小さな頃から、休みの度に母の田舎に預けられることの多かった私は、当時まだ結婚していなかったその叔母に面倒を見てもらうことが多かった。

田舎の人にしては、非常にオシャレでパリパリしており、近所では「あそこの家のクミエちゃんはすごいわねぇ」などと噂されることも多く、異色の存在であったらしい。

煙草をふかしながら真っ赤な車を運転する叔母は、カッコよかった。「大人になったらクミエちゃんのようになりたい」私は子供ながらにそう思ったものだ。

結婚し、子供を産んでからは、ずいぶん温和になったが、当時の面影はどこか残しており、私は時々会うそんな叔母を見て、なんだかホッとした。

説明が長くなったが、その叔母が病気にかかった。

病名は“アルコール依存症”だった。

久し振りに見た叔母はスッカリ痩せ、目はうつろで変わり果てていた。私は辛いと思われる部分に触れないよう、他愛のない笑い話をしたり、小さい頃よく行った近所の森を一緒に散歩したり、一日そばにいた。

こっちに戻ってきてずっと考えている。何が叔母をあんな風にさせてしまったのだろう、と。

叔母は若い頃から、破天荒な性格で、プライドも高く、負けず嫌いで、責任感も人一倍強かった。

母は半べそをかきながら言った。「クミちゃんは小さい頃からすごく強い子だったのに。どうしてあんな風になってしまったのかしら」

そうなのかな?と私は思う。こんな平和な世の中に強いも弱いもあるのかな。

私は弱い。

いや私だけでなく、人はみんな弱いと思うのだ。その時々の状況により、強くなれたり、弱くなったりする。それが人だと思うのだ。

「私は強い」と思いこみ、自分を殺して生きていく生き方ほど滑稽なものはないのではないか、と私は思う。

もしかすると叔母はそんな風に、生きてきてしまっていたのではないだろうか。社会に出、結婚し、子供を産み育てる、そんな当たり前の環境の中で、叔母は「いい看護婦」「いい妻」「いいお母さん」を完璧に演じるために、本来の自分を一生懸命殺していたのではないだろうか。

あまりに一生懸命すぎて、一休みできる場所や人を見失ってしまったのではないだろうか。

感情のない叔母の笑い方、見ているようで実は何も映っていないような叔母の目、少しむくんだ顔を思い出す度、苦しい気分に襲われる。

近く「アルコール依存症」という病気を勉強し、私は叔母をうちに引き取るつもりでいる。

50年間休みも取らず、ずっと走りつづけた叔母に、少し休んで欲しいと心から思う。「強く、カッコよく生きる」ということを小さい私に教えてくれた叔母に、今度は「弱さ」を、「私は弱いのよ」と正直に言える“強さ”を知って欲しいと思っている。

2002.05.10

〔46〕「いるもの」と「いらないもの」

自分で言うのもなんだが、私は人を見る目がある方だと思っている。人より少しだけ多く、企業を渡り歩いてきたからなのだろうか。信頼できる人とできない人の違いのようなものが第一印象からくるインスピレーションで、だいたいわかってしまう。

10年間働いてきて、行く場所行く場所で“大切な人”が必ず何人かできた。その“大切な人”は、私に生きていく上でのヒントを与えてくれ、たえず前を見て進むよう働きかけてくれているような気がする。

今の会社でも、こんな私と仲良くしてくれてた“大切な人”がいた。その人は花井さんといい、3月でめでたく定年退職を迎えた初老の男性だ。

花井さんは俗に言う「オヤジ」という言葉が全く似合わない、大人の雰囲気を持った、品のいい、でもちょっと子供のようなところのあるおちゃめな方だ。

彼はことあるごとに私を飲みに連れていってくれ、私と同じ目の高さで物を見、意見を言ってくれた。いつのまにか私達は、性別や年齢という壁を超えた「親友」になっていた気がする。

私は彼が大好きだった。何かに行き詰まった時に相談すると、必ず「しじみちゃんの思った通りにやった方がいいよ」とニッコリ笑って言ってくれる。それは私を心底安心させた。人をけなすようなことを言いながらも、その中に必ずあたたかさがあり、それは私だけでなく、他の人達をもホッとさせてくれていたのだと思う。

そんな彼に、先日の送迎会の席でどうしても聞きたかったことを聞いてみた。「花井さんはどうしていつもそんなに楽しそうにしてるんですか?どうすれば花井さんみたいに生きていけるのか教えて下さい」

すると花井さんは「え?」という表情をし、こう言った。「だた1つだけ。楽しくすることだよ。現代っ子はそれが解らないんだね」

「私もしじみちゃんくらいの頃は色々なことに悩んだよ。先のことだけでなく翌日のことでさえ。ここにずっといていいのか、夢を追って仕事を辞めてしまおうか。そして大きな悩みにぶつかる度に何か1つずつ捨ててきた。で、最後の最後に残ったのは“楽しく仕事をしよう”“楽しく生きていこう”とそれだけだった、ってわけだよ。でもそれが正解だったんだな」

花井さんはそう言ってゲラゲラ笑った。

私はちょっと意外な気がした。花井さんは人が生きていく上で大切なもの全てを身につけているように見えたからだ。

「何か」という部分には敢えて触れなかったが、それはたぶん人間の心の奥深い部分なんだろうな、と私は取ることにした。自尊心とか、虚栄心とか地位とか権力とか、たぶんそういったものではないか、と。

例えばそういう「何か」を“捨てよう”と思った時、その行為にはすごい決心と勇気がいる。私なんてその決心や勇気がなくて、いつも結局それができない。

「“捨てる”ことかぁ。私は、いつも何かを考えてばかりで、先に進むことができなくて、どこかで無理をしている気がするよ。」そんな風なことを言ったら、「いらないモノから捨てなさい」とキッパリ言われた。「楽しくなかったら、生きている意味、あるか?」と。

「いるもの」と「いらないもの」優柔不断な私は、全てが「いらないもの」という気もするし、でもやっぱり全てが「いるもの」という気もしてくる。

煩わしいな、と感じてることがあってもそれを捨てることはおろか、必死になって、それを落とさないように落とさないようにしている、それが私なんじゃないだろうか。
「いらないもの」の存在が見つかった時、勇気を出して捨て、それを繰り返し、最後の最後に残ったものが、もしかすると“私そのもの”なのかもしれない。

「あれ?しじみちゃん、そのデザート食べないの?だったらもらっちゃうよ」と楽しそうに私の顔をのぞき込んだ花井さんを見ながら、ふと嬉しくて、でもちょっと淋しいような気がして、しばし涙をこらえるのに必死になってしまった私なのであった。

2002.04.26