[98]玉ノ井バラバラ殺人事件

第98回

■玉ノ井バラバラ殺人事件

此の事件は当時は大騒ぎの事件で新聞各紙も大きく取り上げていた事件でしたが、私はまだ幼い頃のことなので、あまり詳しくは知りませんでしたが、紙芝居のおじさんは連日これを子供達に話して居ました。此のおじさんの紙芝居は、まだ犯人が見つかって居なかった話だつたのか、犯人が被害者の面倒を見ていたころの美談だったのか、或いは犯人が金目当ての犯行だったのか記憶にありません。

大正時代に浅草十二階と云う凌雲閣と云う建物がありました。此の建物は関東大震災で倒壊しましたが、その真下には銘酒屋街と云う売春窟が1000軒もあったと云います。此処に通って書かれたものは、石川啄木の「ローマ字日記」や,永井荷風の「断腸亭日乗」でした。

此の千軒にも及ぶ売春窟が浅草から玉ノ井と亀戸に移動したと云います。浅草からの急な避難で無秩序に建てられた為に迷路のような街になっていたと云い、これを好んだ永井荷風は「墨東奇譚」を書き上げたと云います。

この頃の世の中は古賀政男が作曲して藤山一郎が唄った「影を慕いて」が大流行していました。

♪ まぼろしの   影を慕いて雨の日に
月にやるせぬ  わが思い
つつめば燃ゆる 胸の火に
身は焦がれつつ しのび泣く♪

此のバラバラ事件は此の玉ノ井を舞台にして起きました。まだ肌寒い昭和七年三月七日に、市外寺島町の環状線下の幅1間の「お歯黒ドブ」の中からペンキ職人がハトロン紙に包まれた物体を見つけ、開くと胴体が出て来たと云い、東京中を震撼させた玉ノ井バラバラ殺人の発端でした。駆けつけた警察によって西側の溝からは首が発見されたと云います。

しかし警察で分かったのは此処までで、犯人はおろか、死体の腐敗もひどくて被害者の身元も分かりませんでした。死体発見の場所が場所だけに怪奇実話と云った好奇の目で東京市民が注目をするように成りましたが、一番被害を受けたのは一晩一万人と云う人出だった色街も三分の一に激減し、寺島の売春婦2千人と周辺で商売をしていた人々がお手上げとなったそうです。

そんな状態になったので、町ぐるみで事件解決に熱心であったと云います。警察はやむを得ず全国に公開捜査に踏み切ったと云いますが、1日20人もの人達が警察を訪れたようですが、死体の写真を見ただけで逃げ出す人も多かったと云います。4月28日には寺島の捜査本部も解散し、事件は迷宮入りとなりました。新聞は「1932年の怪奇」と書き立てました。

ところが事件から8ヶ月後の10月20日になって、先に拘留していた本郷湯島の無職、長谷川市太郎39才が玉ノ井バラバラ事件を自供、被害者は元浅草のルンペンで秋田出身の千葉龍太郎30才と分かりました。そして共犯に市太郎の弟で帝大工学部土木科の、長太郎23才、そして妹の、とみ30才、で犯行現場は市太郎の自宅であったと云います。これまで発見されて居なかった死体の腕2本と足1本は、長太郎の勤務先の本郷東京帝大の使われて居なかった旧土木教室の二階の旧測量実験室から発見されたと云います。

此の市太郎が千葉龍太郎を殺した動機と云うのは、全く馬鹿げた龍太郎のウソの話からだったと云います。市太郎と千葉の出逢いは昭和6年4月に妹とみから花屋敷の切符を貰ったので浅草に行ったところ、六区の木馬館の近くでルンペンが10才位の女の子と立って居て、女の子が「お父さんお腹が空いた」と泣いていたので、市太郎は哀れに思ってその場で身の上を聞いたと云います。

そしてその時にバナナ50銭、たばこの朝日2袋と現金50銭を与えて帰ったが、家に帰って母に話すと母が気の毒がって次の日に握り飯を持って浅草に行ったと云います。此のルンペンが千葉龍太郎だったわけです。それからは長谷川一家はかわるがわる浅草に出向いて、この親子に食べ物を与えていたと云います。此の千葉の身の上話には故郷の実家には莫大な財産がある・・とのウソの話に長谷川一家は乗せられて、その下心で親切にしていたのだそうです。そして此の千葉の娘の「きく11才」が笑顔をみせるので、此の千葉親子を長谷川の家に引き取ることにしたそうです。

丁度その頃市太郎の妹「とみ」が銀座の松屋裏のバーで働いて居たが、交際相手から捨てられて妊娠していたが、千葉と恋仲となり、出産の時に出血がひどく危険に成った時、千葉が輸血したことから、「とみ」は千葉と夫婦になったと云います。これも千葉の故郷にある財産を合法的に手に入れる手段と考えていたようです。

此の千葉はまるで働かず、「とみ」の前の交際相手との子供を虐待死させたと云います。千葉の郷里は秋田県の花館村の出身だったが、破産して上京し,先妻ほ亡くして再婚したが後妻はいないし、財産などは何も無かったと云います。このような状態で長谷川一家は窮乏し、電気も止められていた昭和7年2月に「とみ」と口論となり、危険を感じた市太郎が火鉢の中の裁縫用のこてで殴り殺し、長太郎と協力して絞殺し、死体を台所の下に隠したと云います。

そして市太郎は家人の居ないときに千葉の死体を分解して床下に隠していたが、3月6日に「とみ」と二人で分解した死体の包みを3個を玉ノ井に投棄、3月10日に長太郎の勤める帝大に3個を隠し、胴体は板橋に投棄したと云います。10月21日になって此の板橋のドブ川から此の胴体は発見されたと云いますが、此の場所はよく嬰児の死体などが捨てられる場所だと云います。

此の事件は最初は長谷川市太郎の「美談」であったものが、終わりは単なる財産狙いの犯行と分かって、困惑したのはこれを人助けの「美談」として制作していた映画会社だったようです。映画会社の河合映画の「呪いの宿命」は既に公開、新興キネマの「愛と憎しみ、涙の惨劇」、日活の「涙の一撃」、松竹の「残されたお菊ちゃん」の3本は上映中止となりました。

その後の市太郎は夜な夜な千葉の亡霊にうなされ、長太郎は友人と手をつないで遊びに行く途中、握ろうとしていた手がスッポリと抜ける夢を見たとか、「とみ」は千葉が枕元に立つと巡査が来て、首を絞める夢を毎晩見ると云います。

尚「バラバラ殺人」と云う言葉は、東京朝日新聞がはじめて此の事件から作った「造語」だと云います。

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