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[153]昭和の歌「うちの女房にゃ髭がある」美ち奴

第153回

■昭和の歌「うちの女房にゃ髭がある」美ち奴

『うちの女房にゃ髭がある』唄・美ち奴・杉狂児・・昭和12年(デュエット)

  ♪ 何か云おうと思っても
    女房にゃ何だか 云えません
    それでついつい うそをいう
 (女)なんですあなた
 (男)いや、別に、僕は、その、あの
パピプペパピプペ パピプペポ
うちの女房にゃ髭がある   ♪

此の唄は日活映画「うちの女房にゃ髭がある」と言うヒット映画の唄で#4までありますが、此の映画の主題歌は次に書きます「ああそれなのに」ですが、これが大ヒットとなって、美ち奴(みちやっこ)の名前が不動のものになったと云われています。

『ああそれなのに』唄・美ち奴・・昭和12年

  ♪ 空にゃ 今日も アドバルン
    さぞかし会社で 今頃は
    おいそがしいと 思うたに
    ああ それなのに それなのに
    ねえ おこるのは おこるのは
    あたりまえでしょう     ♪

此の唄は#4までありますが、20歳の美人芸者の美ち奴が、透き通るような美声で歌っていた声を未だに忘れることが出来ません。美ち奴とは、勿論見たことも、あったこともありませんが、当時は「空にゃ今日もアドバルン」なんてことを鼻歌で歌っていたほど有名でしたから・・今手元にある美ち奴の写真を見ると、美人だし、あの甲高い声が蘇って来るような感じです。美ち奴は沢山の唄を出していますが、代表的のものを上げれば昭和12年の「軍国の母」と昭和14年の「吉良の仁吉」ですが、ここで「軍国の母」を記しておきます。

『軍国の母』唄・美ち奴・・昭和12年

  ♪ こころ置きなく 祖国のため
    名誉の戦死 頼むぞと
    泪も見せず 励まして
    わが子を送る 朝の駅    ♪

此の唄は#4までありますが、こういう唄を見聞きする時、胸が締め付けられるような気が致します。わが子、父、夫、恋人などを、心で泣いていても表面には出さず、きっと無事で還って来て欲しいと願っていたと思いますね。

「美ち奴」は大正6年6月8日に北海道浜頓別で生まれました。本名は「久保染子」と云い、父は旅回りの役者だったようで、幼いときから芸事に興味を持っていたようです。特に三味線で身を立てたいと思い、昭和6年に浅草で芸者置き屋「美知濃屋」を営んでいた親戚を頼って上京したと云います。ところが翌年に此の芸者置屋が経営に行き詰まったため、染子は「美ち奴」として芸者になったそうです。

昭和8年に松竹映画「東京音頭」のトーキー部分の撮影に、参加して其の甲高い歌声に評判を呼んで「鶯歌手」と呼ばれるようになっていました。そしてニットーレコードにスカウトされて、昭和9年「さくらおけさ」で歌手としてデビューしました。

ニットー専属時代は、まだ名もなかった作曲家「服部良一」の作品を数多く歌っていましたが、彼女の紹介で昭和10年に服部良一は万里子夫人と結婚することになったそうです。服部良一は前に書きました「服部富子」の兄さんです。

ニットーでは、後に前に書いた楠木繁夫とデュエットした「ああ満州」がヒットしたようですが、毎月のように新譜を出していた「美ち奴」は評判にはなっていたようです。そしてテイチクレコードに移籍して、昭和10年の秋に「ほんに貴方は罪方」で再デビューしました。

そして昭和11年には映画俳優の杉狂児と唄った「細君三日天下」がヒットして「美ち奴」の名前は不動のものになりました。そして前に書きました日活映画「うちの女房にゃ髭がある」がヒット映画となり、此の主題歌「ああそれなのに」が爆発的な大ヒットになったそうです。軽快なリズムと綺麗な歌声で、ずいぶん聞きましたよ。もう70年も経つんですねぇ!

<続く>

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