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[156]昭和の歌・戦前の歌手「伊藤久男」

第156回

■昭和の歌・戦前の歌手「伊藤久男」

   《伊藤久男》(いとう ひさお)

「伊藤久男」は福島県で明治43年7月7日に生まれました。本名は伊藤四三男と言います。家業は酒屋でしたが、次男坊のため、東京農業大学校に入れられましたが、途中で飛び出して帝国音楽学校に入ってしまいました。そして同校を卒業して、昭和6年コロムビアに入社しましたが、約10年間は鳴かず飛ばずの状態でした。しかし戦時下の歌謡界で太く男性的な歌い方で徐々に頭角を現して来ました。そして「熱砂の誓い」や「暁に祈る」などがヒットしました。此処に二曲を記しておきます。

  『建設の歌』(熱砂の誓い)・・昭和15年

  ♪ よろこびあふれる 歌声に     輝け荒野の 黄金雲     夜明けだ 夜明けだ 大陸に     わきたつわれらの 建設の歌  ♪

此の歌は#4までありますが、戦時中の国民の士気を奮い起こさせるような、力強い歌でした。

   『高原の旅愁』・・昭和15年

  ♪ むかしの夢のなつかしく     訪ね来りし信濃路の     山よ小川よまた森よ     姿むかしの儘なれど     なぜにかの君影もなし  ♪

此の歌は#3までありますが、戦時中には国民の士気を鼓舞するような歌も多かったのですが、其の反面このような故郷を思い、恋人を恋うるような歌も多かったと思います。

その他戦時中には昭和15年に「お島千太郎旅唄」などがありますが、此処に書きました『建設の歌・熱砂の誓い』は私には忘れられない思い出があるんです。

それは、昭和16年3月の事でした。学期末試験の前日に高熱が出てしまいました。家の向かい側に三輪医院と云うお医者さんが居て、直ぐに飛んできてくれましたが、病名がなんと伝染病の「猩紅熱」だったんです。すぐに市立駒込病院に収容されて隔離されてしまいました。

約一月入院させられましたが、隔離病棟ですから、家族も面会は出来ませんので、誰も来てくれませんでした。そして一月の間は若い看護婦さんが、付きっきりで看護してくれたのです。ご存じかと思いますが「猩紅熱」は法定伝染病です。熱はすぐに下がりましたが、全身の「皮」が剥けるまで退院は出来ないのです。

特に手とか足の皮膚はなかなか剥けません。そこで看護婦さんは「とげ抜き」で細かく皮を剥いてくれるのですが、その時に美しい声でいつも歌っていた歌が此の「熱砂の誓い」だったのです。14歳だった私はもう今になると此の看護婦さんの姿は思い出せませんが、その歌声は忘れる事が出来ません。「伊藤久男」の歌う声よりも良くその看護婦さんの声を覚えているんですからね。

余談になりましたが「伊藤久男」は特に戦後に数多くの唄を歌ってベテラン歌手になりました。昭和23年に「シベリア・エレジー」、「たそがれの夢」、そして昭和25年の「イヨマンテの夜」が大ヒットしました。

  『イヨマンテの夜』・・昭和25年

  ♪ アホイヤアアア・・・     イヨマンテー     熊祭     燃えろ かがり火     ああ満月よ     今宵 熊祭り     踊ろう メノコよ     タム タム 太鼓が鳴る     熱き唇 われによせてよ  ♪

これはアイヌの祭りを歌ったものですが、非常に力強く歌っています。此の唄は#2まであります。熊祭り・・と云うのがイヨマンテと云うのですかね?アイヌ語でしょうか?

その他に昭和26年に「あざみの歌」、昭和27年に「オロチョンの火祭り」、そして「山のけむり」、昭和28年に「君いとしき人よ」、昭和30年には「サビタの花」など、大自然を讃える歌が多かったです。しかし、昭和58年4月25日に死去しました。享年72歳でした。

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コメント

2日に「熊祭の夜」を女声合唱で聴きました。伊藤久男とは違った実に切ない歌だと思ったのですが、伊藤久男も本当にいい歌を残してくれたと思っております。

イヨマンテは「ものを返す」という意味のアイヌのお祭りで、大事に育てた熊の子を殺して解体し、肉をふるまう(アイヌでは神に「返す」行為)。
あまりに残酷だということで、長く禁止されていたらしいですね。
固有の文化を理解しあうのは難しいと思います。

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