[124]清朝と徳川幕府

第124回

■清朝と徳川幕府

17世紀の初めに「明」の支配下で、満州に住む女真族の統一を進めた「太祖」が、1616年に「明」から独立して建国した後金國が「清」の前身であるとされています。

其の子の「太宗」は山海関以北の「明」の領土と内モンゴルを征服し、1636年に「元」の末裔であるモンゴルのリンダン・ハーンの遺児から「元」の玉爾を譲られて、大清皇帝として即位するとともに、女真の民族名を満州に改めたと云われています。

満州族は八旗に編成されて軍事力を担いました。重要な官職には漢族と同数の満州族が採用されてバランスを取っていたようです。雍正帝の時代には皇帝直属の最高諮問機関の軍機処が置かれて、皇帝の独裁が完成したようです。

しかし何れの時代であっても「独裁者」が一国を支配することは、良い面があっても必ず自分の地位権力を守ろうとするから、無謀な行為をするものです。

ここで「清朝」300年に及ぶ治世の歴代皇帝を書き留めて置きますが、初代皇帝が初めて在位したのが1616年ですから、この年は日本の元号で云いますと「元和二年」に当たります。

この頃は徳川幕府が出来て、徳川家康が75歳で亡くなった年に当たります。それから300年続いた「清朝」と日本の徳川幕府と同じ時期にあった訳ですね。

1. 太祖 ヌハルチ奴爾哈赤 在位(1616~1626)
2. 太宗 ホンタイジ皇太極 在位(1626~1643)太祖の子
3. 世祖順治帝 フリン福臨 在位(1643~1661)太宗の子
4. 聖祖康熙帝 玄燁    在位(1661~1722)世祖の子
5. 世宗雍正帝 胤禛    在位(1722~1735)聖祖の子
6. 高宗乾隆帝 弘暦    在位(1735~1795)世宗の子
7. 仁宗嘉慶帝 顋淡    在位(1796~1820)高宗の子
8. 宣宗道光帝 旻寧    在位(1820~1850)仁宗の子
9. 文宗咸豊帝 奕許    在位(1850~1861)宣宗の子
10. 穆宗同冶帝 載淳    在位(1861~1875)文宗の子
11. 徳宗光緒帝 載活    在位(1875~1908)宣宗の孫
12. 恭宗宣統帝 溥儀    在位(1908~1912)徳宗の甥

 (注)以上の中で使用した文字が違う箇所もあります。

以上のように「清朝」は12代続いて来ましたが、此の皇帝の姓は「愛新覚羅」(あいしんかくら)と云います。本来の満州語では(アイシン・ギョロ)と発音して、アイシンは「金」でギョロは「氏」と云うことで、「金氏」を意味するそうです。此の12代目の「愛新覚羅溥儀」と云う皇帝が、日本が作った満州国の初代皇帝になった人です。

私達は此の隣国の中國の歴史については意外と知ってはいませんね。此の「清朝」にしても1616年から1912年までの約300年も続いて来たこともあまり知りませんでしたね。でも時代的に云えば、日本の徳川幕府300年の歴史とほぼ同時代であったようです。

でも日本と大きく違うことは、日本は数千年の間万世一系の天皇が祀られ、時によっては政治の実権は武家が握っていたにしても、必ず朝廷があったことです。でも中國は四千年と云う長い歴史がありながら、常に内乱があって統一されることはなく、時代によって王様が変わって来たことです。國が広すぎてまた民族の数も多かったからですかね。

日本は徳川幕府が鎖国を実施して外国の侵略を防いでいたために、日本は外国の植民地に成ることはなかったのですが、中國は相変わらず群雄割拠していたために常に外国の侵略を受ける結果になってしまいました。いずれにしても1937年(昭和12年)7月7日から8年間は國を挙げての戦争に明け暮れてしまいました。

ここで暗い話はひとまずおいて、次回は少し違うお話をしましょう。

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