〔18〕自律神経失調症<前編>

2年ほど前(今の仕事につく前)、なかなか次の仕事が決まらなかった。家でだらだらと時間だけ食いつぶす日々が続き、こずかいも底をつき、人と会うこともままならなくなった。派遣で長年やっている方なら同じ経験をしたことがあると思うが、私も例にもれず、そんな時期があった。

基本的に“仕事”が嫌いで、「こんなことがやりたい」という的確なビジョンをもたない私にとって、仕事を探す期間ほど辛い時間はない。派遣というのは時期によって全く依頼がない時もある。また、せっかく依頼された仕事が全く自分に向かない、ということもよくあるわけだ。

その頃依頼がきた仕事は非常にしょぼい仕事ばかりで、「これなら」と思えるものがなかったため、断ることすら疲れ果ててしまっていた。「あまり断ってばかりいても、“やる気ない人”と思われて、もういい仕事を回してもらえなくなるかもしれない」とその頃は非常に神経質になっていた。

毎日昼に起きる。顔はむくみ、表情がものすごく暗い。日がな一日、自宅にこもっているわけだから、自然と髪の毛や身体も適当にしか洗わなくなってきてなんだか薄汚い。

「これでは廃人同然だ」「ダメになってしまう」と思った私は一念発起して、とりあえず仕事のことは忘れ、好きなことだけやろう。と考えた。

幸いにも私は読書や音楽鑑賞、という比較的金のかからない趣味があった。

高校生の頃から読もう読もうと思って、つい遠ざけていたプルーストはきっと今、この時でなければもう一生読めないかもしれない!大好きな手塚治虫のマンガ全て最初から読み直すのことも必要だ。そして天気のいい日は窓を開けて、マリア・カラスを聴こう。たまには自分が聴いたことのないジャンルも聴いてみようかな。

考えてもみれば、金がないのはいいことだ。好きなものが近くにあれば全ての雑念から解き放たれることができるだろう。この期に“自分ワールド”を作って、しばらくそこで過ごそう。長い人生なんだ。少しは中休みもだって必要だろう。世の中で騒いでいる「引きこもり」を自らが体験するのも悪くない。

そんなかたちで思い付きの構想は大きく膨らみ、私は図書館であらゆるジャンルの本を借り、少ない所持金の中から、CDをレンタルした。

さあ、これからが私の時間だ。と先行きが明るくなってきた直後、今の仕事が見つかったというわけだ。

派遣というのはタイミングが大切だ。何度も仕事を転々としてればわかるものだが、自分の直感を信じ、「なかなかいいな。それならできるかもしれない」そう思ったら、一気に乗ってしまう、そんな潔さが必要不可欠だ。

そういうわけで、せっかくの“自分ワールド”構想はそこで中途半端なまま、もろくも崩れ去り、結局私は現実の“お仕事”の世界に戻って行ったわけだ。

最初のうちは必死だった。「おいおい、話が違うぞ」と叫びたくなるくらいその新しい仕事は残業が多く、4カ月もブランクを空けてしまった私にとっては非常にキツイ仕事だったが、とりあえず最初のうちはやみくもにやっていた。

2~3カ月ほど経った頃からだったろうか、毎日ひどく疲れていたにもかかわらず、私は変な脱力感に襲われ、夜、眠れなくなった。まぶたは腫れ、強いだるさを感じる。精神はまいり、肉体も疲れている。それなのに眠れないのだ。

朝方になってなんとか軽く眠る、ということを繰り返していたため、朝は母親に起こしてもらわないと自分で起きる事すらできない、そんな毎日を送っていた。

“快眠”“快食”“快便”の3原則を常に重要視している私にとって、これは緊急自体だった。自分の身体が言うことを聞いてくれないことに私は焦りを感じ、今までにない恐怖感に襲われるようになった。

毎日が辛過ぎる。きっとこの仕事が私に合ってないんだ。そう感じ、辞めさせてもらおうと思うのだが、それがどうしてもできない。どういうわけか、ここを辞め、またプーに戻るのが恐ろしかった。

「この仕事のどこが私に合っていないのか」「何故プーに戻ることが怖いのか」その簡単な説明すら全くできない。“できない”というより、考えるのこともままならない自分がいた。自分が一番怖かった。

来週の後編に続きます

2001.10.11

〔17〕お仕事と身だしなみ

派遣として働いていると「意外と大変かも」と思うことの1つに服装がある。

私が今就業している会社は、正社員の女子には制服があるが、派遣や契約社員にそれは支給されない。以前就業していた会社は制服支給があったので楽だったが、今はその倍くらい服に金がかかるようになった。“オシャレ大好き”“新しい物大好き”。そんな性分だと貯まるはずのお金も全く貯まらない。

私が今の会社に入った頃は、今よりもずっと派遣社員が少なかったので、非常に目だってしまったものだが、それが逆に嬉しくもあり、またそれによってちょっとした緊張感もあったものだ。

しかし、派遣社員の女子がすごい勢いで増えた今、「私なんて地味で目立たない部類に入ってしまうのでは?」なんておかしな危機感を感じるくらい、ファッショナブルな女の子達が、うようよいる。ちょっぴり大袈裟な言い方をすれば「おや?この通路はパリコレのランウェイ?」と思ってしまうほどだ。

夏なんてキャミワンピ(肩の部分が紐状になっているスリップのようなワンピース)に素足にミュール、や、タンクトップにジーンズ地のサブリナパンツ、そして厚底の運動靴など、思わず「ここは結婚式場か、はたまた高原か?!」と思わせるような素晴らしいいでたちの女の子が何人もいる。しかも年を聞いてみたら、私とさほど変わらない。これにはビックリした。

ま、本人がいいのなら、それでいいかもしれない。“右を見ても左を見ても同じファッション”というのは、日本が生んだバカバカしい文化みたいなものだ。個性を主張することも時には大切だ。

がしかし、ここは会社だ。個性の主張も時に必要にもなるだろう。しかし、第一段階で主張すべきは、やはり、“スキル”なわけだ。

端末を必死で叩いている時、その肩ヒモは落ちてこないのか。落とした物を拾おうとした時、下着が見えてしまうのではないか。取引先のお客様がお見えになった時、その服装でお茶を出すのか。等など、様々な不安が頭をよぎる。

30を過ぎ、出せる部分が少なくなった(?)せいか、やたらと身だしなみに気を使うことが多くなってきた私は、そのような人達を見ると、どうしても“おいおい、正気かよ?!”と目を覆いたくなってしまうような衝動にかられてしまう。

私が冒頭に述べた「金がかかるようになった」というのは、少なくとも自分の「服装」というものを2つ(“プライベート用”と“会社用”)に分けているからだ。普通それは教えられなくとも、社会に出て働いている人間にとって当然のことなのではないかと思っていた。

ピクニックに行く時は「汚れてもいい動きやすい格好」をするから、転んでも汗をかいても、それをひっくるめて“楽しかった”と思えるのだ。美味しい懐石料理を食べに行く時だって同じだ。「自分のワードロープの中でちょっとだけ品のよい(と思われる)服」を着るから、料理の味、その時の会話など、全てをひっくるめて、“美味しかった”と思えるのだ。

身だしなみも大切な調和の中の1つであり、その日のテーマを楽しむための大切な道具である、というごく当たり前のことを忘れてしまっている人が年々多くなっている気がする。

先日人事部の人と帰りが一緒になったエレベーターの中でこう言われた。「今の派遣の子たちの服装はすごいね。今上の方でもちょっと問題になっちゃってるんだよ。どうすればいいのかな」

彼がわざわざ同じ派遣である私に言ってきたのは相当なやんでの事だったのだろう。思わず私もどう答えていいかわからず、同じ立場の人間として非常に恥ずかしくなってしまった。

単なる身だしなみの話を「派遣」という枠で括るというのもおかしな話だが、“派遣=腰掛け”“派遣=お気楽”という図式が成り立ちつつある、うちのような企業から見れば、「そう思って下さい」といわんばかりの行為にもなりかねない。「派遣社員というのはTPOを知らない、ちょっと頭の弱い人達の集団」というレッテルを貼られかねない。少なくとも私の仲良くしてる派遣仲間の中にはそんな人は1人もいないのだから、それだけは困る!

上に着ているタンクトップをプレーンな白のシャツに変える、ワンピースにカーディガンを羽織る、そんな小さい一工夫で全然違った印象を与えることができる、それがファッションの醍醐味なのだから、その辺をもちょっと活用してほしいものである。

こうなったら、うちの会社専属、風紀委員長“派遣ビューティーアドバイザー”にでもなろうかなぁ。

2001.10.04