〔48〕社会保険への加入

先日友達が、ちょっと落ち込みモードでこんなことを言ってきた。「やっぱり社会保険になんて入らなきゃよかったよ。保険料としてすっごく持ってかれちゃうの。これじゃ給料だけみたらそこらのアルバイトと変わらないよ。」

彼女は大手“T社”から配属されている派遣スタッフで、長期での仕事が決まってから半年後に「その後2カ月以上長期で働き続ける可能性があるならば、加入すること」という書面の通知を受け、何も考えず、加入した。その翌月から、月30000円ちょいという金額が“社会保険料”として抜けることになってしまったというのだ。

もちろん「強制加入だから」ということで、たいして書面も読まず、手続きをしてしまった彼女にも否はあると思うが、実はこの「社会保険加入」ほどやっかいな問題はない、と私は思っている。

というのも、「派遣スタッフの位置」というのは非常にあいまいだ。正社員でもなければアルバイトやパートとも違う。フルの長期で正社員と同じような(いや例えそれ以上の仕事をしようとも)派遣スタッフには、派遣先の会社での的確な査定もなければ、それに基づくボーナスという制度もない。

また、派遣先の会社が経営難に陥ったりした場合、人件費削減のために、まず、派遣スタッフからクビを切られるというのはよくある話しだ。職種により、年数で管理されている場合もあるから「あなたはここにずっといていいですよ」という“長く働ける”という保障がない。
つまり、派遣スタッフの場合、どう考えても会社ベースで見た時の“リスク”は大きい。
「先が見えないのはみな同じ」なのかもしれないが、表面化している雇用条件が不安定、ボーナスの有無、というこの2つだけ取ってみても、私達派遣スタッフというのはある意味で、「月々の給料」が全てなわけだ。

だから彼女の「社会保険に30000持ってかれるのは非常に辛い」という言い分はよくわかってしまう。

そんなこんなで「他の人は自分の保険をどう管理しているのだろう」と興味をもった私は、先ごろ派遣仲間1人1人に聞きこみ調査(?)を行った。すると、社会保険に加入している人が“7割”、加入せず、個人で国民年金保険、その他諸々で手を打っている人が“3割”だった。(あくまでも「私の周り」なので“おおよそ”だが)

その中の一人(国民年金保険支持者)はこう言った。「年金自体きちんともらえるかわからないじゃない?もしかすると私達の老後は一律になってしまうかもしれないもの。しかも若くして死んじゃうかもしれないし。でも、もともと健康な私からすれば、社会保険制度なんて、国への寄付そのものだから、入るだけ無駄。なるべく安く済ませたいしね。みんな個人個人生き方だって違うんだもの。強制加入なんておかしいわ」

うーむ、、、。納得できるような言い分とは言いがたいが、人はそれぞれ考え方が違うわけだから、そういう考え方があってもいいのではないかな。漠然とそんな風に思った。

かくいう私も「社会保険」に一時入っていたこともあったが、実は今は入っていない。

もちろん社会保険は、後々のことを考えても魅力だし、病院通いの多い私にとっては、やはり入っていて損はないものだ。ただ、おおまかな計算をした場合、うまくやれば、国民年金保険やその他諸々の個人で信頼できる保険に入っていた方が月々の支払いといった部分では断然安くすませることができるのだ。

「今が良ければ全て良し」「後悔したらその時はその時だ」と時に刹那的な考えをしがちな私だが、ま、特にそれによって困っていることは今のところ何もない。

ちなみに、私は社会保険についてのことまでしっかり相談に乗ってくれるような派遣会社を選んでいる。

私が知っている範囲での話しになるが、社会保険への強制加入を義務付けている会社は大手が多い。「T社」「P社」は半年後か、又は人によっては長期の仕事が決まった即日から入れさせられる場合もあるという。

今私が所属している「M社」は希望者のみというかたちを取っている。(もちろん「社会保険の加入は義務付けられている」わけだから、社会保険事務所からの指摘があった場合、強制加入は免れないが)

ま、派遣会社側としても社会保険料は、1人につきその半分を負担しなくてはならないわけだから、本音を言ってしまえば「なるべく加入しないで欲しい」なんてところなのかもしれない・笑。

とにもかくにも、派遣会社を選ぶ時は、そのあたりなどもよく吟味した上で、自分のライフスタイルに合ったところを選んで欲しいと思う。

2002.05.17

〔47〕「弱さ」を知る“強さ”

GWの最終日、私は母と共に叔母の家に行ってきた。その叔母は母の一番下の妹で、現在50歳。埼玉の奥地(群馬県より)に住み、けっこう名の通った病院で看護婦の婦長をしている。

小さな頃から、休みの度に母の田舎に預けられることの多かった私は、当時まだ結婚していなかったその叔母に面倒を見てもらうことが多かった。

田舎の人にしては、非常にオシャレでパリパリしており、近所では「あそこの家のクミエちゃんはすごいわねぇ」などと噂されることも多く、異色の存在であったらしい。

煙草をふかしながら真っ赤な車を運転する叔母は、カッコよかった。「大人になったらクミエちゃんのようになりたい」私は子供ながらにそう思ったものだ。

結婚し、子供を産んでからは、ずいぶん温和になったが、当時の面影はどこか残しており、私は時々会うそんな叔母を見て、なんだかホッとした。

説明が長くなったが、その叔母が病気にかかった。

病名は“アルコール依存症”だった。

久し振りに見た叔母はスッカリ痩せ、目はうつろで変わり果てていた。私は辛いと思われる部分に触れないよう、他愛のない笑い話をしたり、小さい頃よく行った近所の森を一緒に散歩したり、一日そばにいた。

こっちに戻ってきてずっと考えている。何が叔母をあんな風にさせてしまったのだろう、と。

叔母は若い頃から、破天荒な性格で、プライドも高く、負けず嫌いで、責任感も人一倍強かった。

母は半べそをかきながら言った。「クミちゃんは小さい頃からすごく強い子だったのに。どうしてあんな風になってしまったのかしら」

そうなのかな?と私は思う。こんな平和な世の中に強いも弱いもあるのかな。

私は弱い。

いや私だけでなく、人はみんな弱いと思うのだ。その時々の状況により、強くなれたり、弱くなったりする。それが人だと思うのだ。

「私は強い」と思いこみ、自分を殺して生きていく生き方ほど滑稽なものはないのではないか、と私は思う。

もしかすると叔母はそんな風に、生きてきてしまっていたのではないだろうか。社会に出、結婚し、子供を産み育てる、そんな当たり前の環境の中で、叔母は「いい看護婦」「いい妻」「いいお母さん」を完璧に演じるために、本来の自分を一生懸命殺していたのではないだろうか。

あまりに一生懸命すぎて、一休みできる場所や人を見失ってしまったのではないだろうか。

感情のない叔母の笑い方、見ているようで実は何も映っていないような叔母の目、少しむくんだ顔を思い出す度、苦しい気分に襲われる。

近く「アルコール依存症」という病気を勉強し、私は叔母をうちに引き取るつもりでいる。

50年間休みも取らず、ずっと走りつづけた叔母に、少し休んで欲しいと心から思う。「強く、カッコよく生きる」ということを小さい私に教えてくれた叔母に、今度は「弱さ」を、「私は弱いのよ」と正直に言える“強さ”を知って欲しいと思っている。

2002.05.10