〔54〕雇用保険とその後の生活

ワールドカップ熱もそろそろ冷めかかってきた今日この頃。日本が頑張っていた当初はどこもお祭りムードで、興味もないのに即席でできたサッカーグッズ売り場なんぞを覗いてはウキウキしていた私でしたが、打って変わって最近は「なんだかだる~い」なんて日々を過ごしています。日本が負けたのが1つの合図だったかのように梅雨入。更にうら寒い日が続いていますよね。風邪をひく人が私の周りでも非常に多いです。皆さんも健康には十分気をつけて下さい。

48号にて「社会保険への加入」についての記事を書いた。

周囲に調査をしたからなのか、最近若い派遣スタッフの女の子から、色々な相談を持ちかけられる。(中には恋の相談しかしてこない女の子もいるが・笑)

その中で、私はもう1つの点に気付いた。“社会保険”に関しては、約8割方の人が“自分の意見”というものを持っているのだが、“雇用保険は?”と聞くと知らない人が殆どなのだ。

うちの会社に最近派遣で入ってきた23歳の女の子に聞いてみると、「え?派遣ってそんなのないんじゃないんですか?それって正社員だけの特権てわけじゃないんですか?」という答えが返ってきた。

雇用保険は原則として、フルに働く(事が見込まれる)労働者であれば、就業した即日から誰でも加入できる保険だ。

派遣スタッフに関しては「継続して派遣就業する者」「家計補助的な者でないこと」が挙げられている。「継続して就業する」という場合の目安は1年となっているが、これは何も“1社で1年”というわけではなく、“数社で(次の会社に移る間大きなブランク期間がない限り)1年”であってもいいわけだ。

だから、「2カ月後~」「半年後、社会保険とセットで」などと派遣会社によりその取り決めも様々らしいが、実はこれは間違いで、フルの長期契約であれば、就労日から加入できる。

私は今の会社との契約が決まり、2カ月後にそれを派遣会社に申請した。

「ここで少しやってくか・・・」という諦めと、「雇用保険は社会保険に比べれば、月々持ってかれる額が低いからなー」という浅い認識しかなかったわけだが、就労したその日から雇用保険に加入させてもらうことにし、遡って、雇用保険料を3カ月分まとめて支払った。(ちなみに私の月々の雇用保険料は1000円前後だ。)

今回問題に思ったのは、派遣スタッフとして働いているにもかかわらず、それを知らない人がやけに多かったことと、派遣会社側が、その働きかけを全くしていないということだった。

私が所属する「M社」も決して「雇用保険、社会保険はどうしますか?」と自発的には言ってこない。こちらから、相談してはじめてというパターンだった。嫌な言い方をすれば、「しぶしぶ」というかたちでもあったわけだ。

派遣会社の営業さんは「スタッフさんのために」というフレーズが(特にうちの営業は)好きで、何かというとその言葉を使い、その場をうまくまとめようとするが、社会保険や雇用保険のことまでは「スタッフさんのため」とは言ってくれないようだ。

つまり、「自分のことは自分でしろ」ということなのだろう。

ご存知かもしれなが、私は先のことを現実的に考えることができない人間だ。今の企業との契約は9月で切れるが、その先のことは一切考えていない。「たぶん、また派遣で別のところで働くのだろうな」程度なわけだ。

契約が終わってからの「その後」の事に関しては、自分もめどが経っていず、親も考えてくれない。ましてや派遣会社はそんな面倒まで見てくれやしないのだ。

仕事はどんなにできようが、年をとればとるほど、雇用条件は悪化し、最悪の場合「次の仕事がここ半年も見つからないまま」なんて事態も起こりうるだろう。

そんな時の“その後の生活”を支えてもらうために「雇用保険」はあるのだと私は思う。

いつなんどき、どんなことが起きるかわからない。派遣スタッフだって、一般の労働者だ。正社員と同じように様々なメリットがあるということを忘れないで欲しい、と思う。

2002.06.28

〔53〕感謝

「がんばる派遣美人」がなんと今週で1周年を迎えました!(パチパチパチ)“何かを続ける”ということに今まで執着することができなかった私にとってはこれはすごい出来事であり、また1年がアッという間の出来事だったせいかネットの中では現実とは違った時間が流れているような気がして今とても不思議な気分です。こんな私にお付き合いくださった皆様に感謝、感謝です。

私の祖母は非常に敬虔なキリスト教信者だ。小さい頃、祖母の家に預けられることの多かった私は、毎晩聖書を読んでもらい、(今では忘れてしまったりしているが)色々な教えを教わった。そしてこう言われた。「夜眠る前にはその日一日を振り返りなさい、そして常に神様にお礼を言いなさい」。

母も熱心だったため、小さい頃に洗礼を受け、よくわからないままに日曜学校に通わされていた私は、無意識ではあるにしろ、実はけっこうその影響を受けている。

だからかもしれないが、“人が生きていく上で決して忘れてはいけないものを1つ挙げる”とすれば、「感謝の念」という言葉が浮かぶ。

人に対する感謝、毎日食べ物が美味しく食べられることへの感謝、働ける健康があることへの感謝、自分を怒ってくれる人への感謝、など、数え出したらキリがない程、世の中には「感謝してもいいこと」が溢れている気がする。

でもそんな感謝の念も、毎日が当たり前化すると、何故か、忘れてしまう。

小さなことにカリカリし、社会や人間を非難し、物に当たり散らし、何かにつけブツブツと文句をたれ、タチの悪い酔っ払いのそれのように管を巻く。

「あんな人にはなりたくないな」なんてつい数日まで思っていた人に、自分がなってしまっていたりするものだ。

もしも、今現在「眠る前にその日起こったことを振り返る」というような習慣を作ってしまったら、私なんぞ怒りで眠ることができなくなる日が週に2日は発生してしまうだろう。

何故、小さい頃は簡単にできた「感謝する」という行為が、大人になったらできないのだろう、と思う。

そんな風に漠然と考えていた矢先、私は、目を患った。眼球に肉眼ではわからない程度のキズができ、これがなんとも嘘くさい話しなのだが、その部分にマスカラやアイシャドーで使う“ラメ”が大量に入りこんでしまっていたのだ。

真っ赤に充血し、瞬きをするだけで針で刺されたようなチクチクした痛みが走り、医者からも「これはかなり大きなキズで普通と違っているから、ラメを全て取り除き、縫った方がいいのではないか」と提案された。

最近事情があり半休を取ることがしばしばあった私は、「自分のことでは決して休みたくない」と腹をくくっていたので、化粧ができないということと、縫わないと治らないかもしれないという事実にスッカリしょげ返り、どうしていいかわからなくなってしまった。

そんな私に部長は「山口さん、一生懸命頑張るのもいいけど自分の身体のことを第一に考えなさい」と、同僚の男の子は「すごく心配なので、もう仕事なんてどうでもいいですから、今日は午後から医者に行ってください」と、本当に心配そうな面持ちで言ってくれた。

もし、私が逆の立場でも同じようなことを言ったと思う。

当たり前のことかもしれないが、なんだかそれがすごく嬉しかったのだ。心身共に弱くなっていたからなのかもしれない。「あと少しでこの会社ともお別れなのだ」という複雑な気持ちがそういう感情をもたらしたのかもしれない。

そのあたりはよくわからないが、“そう言ってくれたこと”が嬉しかったのではなく、“そう言ってくれる人がいた”ことが嬉しかったのだと思う。

私は無力だが、周りの人の力があって、はじめてこんな風に日々生きていることができているのではないか、この2年間も散々文句を言ってきたが、この人達がいるおかげで、ここまで頑張ってこれたのではないか、と虫のいい話しかもしれないが、なんだか今までになく、素直にそう思えたのだ。

自分が弱くなっている時だけでなく、強くいられる時も、時々はいつもと違った場所に立ち様々なものに感謝できる、そんな人間でありたいな、とつくづく思う。

2002.06.21