〔7〕聖なる場所

しじみです。毎日溶けちゃうような暑さが続いてますが、皆さんはもう旅行などされましたか?私の部ではもうすでに何人かの人が休暇をとり、早い夏休みを楽しんだようです。旅行がそれほど好きではない私は、この時期になると実は毎年悩みます。「え?どこも行かないの?」と言われるのもなんだか悲しいし、かと言って今のところ「ここに行きたい!」というほどの場所もないしな。8月の末あたりに4日間ほど休暇を取る予定なので、オススメの場所などありましたら、是非教えてください。

先日、ある番組で登山などしそうもない有名な女優さんが「登山を初めてから、自分の原点はここにあるんだということに気づいたのです。私にとって山は聖なる場所なんですね」というような話をしていた。

「ほう、聖なる場所か。私にとってはどこかな」なんて考えが思い浮かんだ。

エネルギーをくれる場所、自分が一番楽でいられる場所、それを聖なる場所とするなら、私の場合は間違いなく“夜の町”だろう。

私は高校時代から夜中外に出て遊ぶのが大好きだった。今でこそあまり飲めなくなってしまったが、そんなティーンの頃は夜な夜な友達と家を抜け出し、今でいうクラブでお酒を飲んで騒ぎ、朝まで踊り明かした。

その頃一緒に遊んでいた仲間達の殆どはもうすでに嫁に行ってしまったが、実は私は今でもこっそり夜の町にくり出す。当時友達と大声を出して歌をうたい、時には大人ぶって歩いた、六本木や青山界隈を散歩するのだ。

きちんとした服を着、しっかりした言葉を使い、取引先の客に笑顔で挨拶する。それが今の私の仕事上での表面的な日常だ。そういった日常に疲れた時、そんな自分を重苦しく、つまらなく感じた時、私は夜の町を歩く。

六本木や麻布の湿った空気、表通りの喧騒がウソのようにしんと静まり返った路地裏、車の急ブレーキの音、遠くから聞こえる男女の嬌声、歩いている時にスレ違う人、、、。不思議だが、そんなものを感じている時、私の中には新しいエネルギーが流れ込んでくる気がする。

わずらわしいこと1つなく、時間に追われることもなく、とにかく遊ぶことで精一杯だったあの頃の私。勉強が大嫌いで、“明日”のことすら考える余裕もなかったほど、その瞬間の“今”を思う存分楽しんでいた私。そんな無邪気な私が“今の私”のどこかにもきっと、いる。そんな感覚がくすぐったい。

ふと耳元で声がする。「どーしたの?バカみたいに暗い顔してさ。嫌なことなんてどうでもいいじゃん!六本木の裏にあやしい人達が集まるクラブみつけたんだ。おもしろいよ。一緒に騒いで遊ぼうよ」

私は思わず苦笑いをする。昔の自分に腕を引っ張られる。スキップをする。湿った風が心地いい。

聖なる場所。何かに行き詰まった時、新しいエネルギーが欲しい時、私はこれからもその場所に行くだろう。

2001.07.26

〔5〕残すという才能

しじみです。前号「時間の使い方にマイッタ」に関し、沢山の励ましのお便りいただきました。皆さんからいただいたメールには様々な思いがこめられていて、思わず泣いてしまったと同時に「こんなことで負けてはいけない」と前に進む元気をいただけました。いただいた1通1通が今私の心に残ってます。この場を借りてお礼申し上げます。本当にありがとうございました。この件に関しては、今派遣会社と交渉中です。来週あたり、その経過をお伝えできればと思ってます。今週はお仕事とはちょっとそれますが、「残す」ということについて考えてみました。

ある日、前の会社でお世話になった先輩が私に言った。「私には優れた才能もないし、人より何かがぬきんでてできるわけでもないでしょ?だから子供が欲しいんだ」

最初私は“子供”と“才能”の繋がりがピンとこなかった。先輩はきょとんとしている私を見てこう付け加えた。「自分が生まれてきた意味を何かのかたちで残そうと思った時に、私が残せるのは子供なのかな、って思ったの」。

それからまもなく先輩は妊娠した。

私は物心ついた時から“残す”をいうことを考えた事がなかった。自分の生まれてきた意味や、自分がこれから何をしていくべきか、深く掘り下げて考えるということができなかったのだ。できなかったというより、そういう意識が欠落していたという方が適切かもしれない。

それは働き方にもあらわれていると思う。私は派遣社員だ。派遣社員の雇用主は派遣会社であって、就業先の会社ではない。そのスタンスが気に入っていた。私の頭の中は常に単純明快で「気に入った会社で働ける。でも正社員として拘束されることはない。正社員としての仕事内容を問われることもないだろう」正社員特有のわずらわしさからは常に逃げていたい、そんな風に考えていた。

だから業務上、全面にでることをさけ、ひっそり仕事をするよう心がけていた。契約が終了したら「あれ、山口さんなんて人いたっけ?覚えてないな」、そんななんの形跡も残さないような働きかたを望んでいたのだ。

先輩の妊娠を仲間内でお祝いしてから数ヶ月後、メールがきた。その中には妊娠した子供を流産したこと、その経緯、辛い心内が綴られていた。“しじみが一番楽しみにしてくれていたのにね。ごめんね”とまで書かれていた。

その時、私はことばでは表現できないほどの怒りを感じ、自暴自棄になった。「神様なんてこの世にはいないよ」しばらくの間それが私の口癖だった。

世の中には子供を産んだそばから殺してしまう母親だっているのに、先輩は子供を産むことを心から楽しみにしていた。子供を産んで、自分の意味を確かめようとしていた。そういう人に、こんな私がかけられることばってあるんだろうか。

かけることばが見つからないまま、何故か私は以前先輩が熱っぽく語っていた“何かを残す”ということを考えるようになった。“残す”という中には沢山のものが存在すると思う。芸術家やミュージシャンのように、自分の作品を目に見えるかたちで残せる人。もちろん先輩が言ってたように、子供だってそうだ。

だけど、目に見える物だけとは限らない。考えてみれば、先輩の存在は一緒に働いていた頃から常に何かを私に残してくれていた。彼女は結婚を機に仕事を辞めた時、あとに残った私の業務が混乱しないようにやりやすい道を作って残しておいてくれた。子供がお腹に宿った時の、感動や不思議さを私に話してくれた。

それは確実に私の心に残っている。“残す”というのはそういうことなんだと思う。少しだけ私の中で、何かが動いたような気がした。

先輩が元気になったら、この話しをしようと思う。

「私も先輩のように何かを残せるように頑張ってるよ。今は仕事でも、何かを残せるかもしれないって思いはじめてるんだ。こんな風に考えられるようになって、ちょっと毎日が楽しくなった。元気になったらまた赤ちゃんつくって。そして産まれたら私に一番最初にだっこさせてね」って。

2001.07.12